第10話

 "ナイト"の三票を自由に使えるのはかなりデカい。しかしそれを大津ひとりに背負わせるのは躊躇われる。そんな僕の迷いを断ち切ったのは、後日バイト中に現れた大津本人だった。

 カランとドアベルが鳴り、「ホームズ」の扉が開く。そこには制服姿の大津がいた。僕は一瞬キョトンとしてしまったが、マスターの「いらっしゃいませ」の声に慌てて続く。


「いらっしゃいませ。ひとり?」

「うん、ちょっと……独り言聞いてもらいたくて」 


 そんなのいくらでも学校で聞くのにと思いつつ、彼女がわざわざバスに乗って一人でここに来た意図を汲む。他の生徒がいないところで愚痴をこぼしたいといったところか。

 幸い客は他にいないので、僕は仕事をしながら大津の話に耳を傾ける。


「この前はビックリしたっしょー? 秋田ちんに票をかけた勝負なんてふっかけて」

「そりゃそうだよ。でも最初からそのつもりだったんだろ?」

「まあね」


 大津の注文したメロンクリームソーダをカウンター越しに出すと、いつものへらりとした笑顔が返ってくる。


「ウチ、最近まで指痛めてたんだ」

「え、そうなの?」

「うん。今も病院帰り。やっと治ったよー。これで部活行けるし試合も出れる」


 大津はそう言って爪をいじる仕草をする。僕はそれを見て気づいた。大津がよくやるその動きは、爪の色艶を気にしているわけではなく、ケガを気にしてのことだったのだ。


「秋田が言ってたサボり魔っていうのは誤解だったんだな」

「顧問やフェンシング部のみんなには言ってあったんだけどさ。事情を知らない他の部の人にあんな風に言われるのは癪だよねー」


 クリームをスプーンでつつきながら、大津の笑顔は段々真面目な表情に変わっていく。


「だからさ、必ず勝つから。ウチのこと信じてよ」


 僕はその時、本物の大津沙良という人間を知った気がした。笑顔で飾らない彼女の本心を。


「分かった。でも無茶はしないでくれ」


 ケガが治ったばかりの大津を心配はすれど、勝負に負けるかもしれないという不安は捨て去ることにした。それが僕なりの信じるということだ。大津はそれを聞いて安心したように大口を開けてメロンクリームソーダをかきこんだ。


 そしてこの夏、大津が宣言どおりインハイ優勝し、秋田との勝負にも勝つことになるのだが、それはもう少し先の話だ。


「そういえば話変わるんだけど」

「うん?」

「春子ちんがさっつんに話があるって言ってたよ」

「山口が?」

「うん。内容は聞いてないんだけど」


 同じ外進生の山口春子。最近手芸部に入って楽しそうにしているのは知っているが、確かにあまり話す機会がない。


「あの性格だし、さっつんみたいなのには話しかけづらいんじゃない。話聞いてあげてよ」

「コラ、僕みたいなのってなんだよ」


「冗談冗談」とおどける大津は置いておいて、山口が僕と話したいという内容に心当たりがない。それが人気投票レクについてなら早めに情報共有してもらいたいところではある。


「分かった。明日山口に聞いてみる」

「リーダーは大変ですネ」

「リーダー? やめてよ」


 僕は首を振るが大津はキョトンと見返してくる。


「さっつんはウチら外進生のリーダーじゃん。水戸っちも言ってたし」

「ええ? そうだっけ」


 水戸がそんなことを? 言っていた、かもしれない。全く気にしていなかったが。大津はそんな僕を見て笑っていた。


「この全員同票計画もさ、発案はヱ梨香ちんかもしれないけど。さっつんだから協力してんの。ウチらは」


 大津からの信頼を感じる。だからこそ、彼女は勝負に出てくれたのだ。その思いに報いなければいけない。僕は大津に対して仕方なしに頷いてみせる。


「頼りにしてるよ」


 リーダーなんてガラじゃないけれど、目的のためなら四の五の言っていられないのだ。



♢♢♢



 ――翌日、部活に行こうとする山口春子を捕まえることに成功した僕は、「大津から話があると聞いた」とだけ言って彼女が話し出すのを待つことにした。

 山口は一瞬たじろいだように見えた。まさか大津から僕に話が伝わっているとは思わなかったのだろう。彼女は「少し待ってて」と言って手芸部が集まる家庭科室に小股で駆けていく。

 次に山口が戻ってきた時、白い制服を着たひとりの女子生徒を連れていた。クラスメイトの長崎ながさき日菜ひなだ。小柄で丸っこい鼻が特徴の長崎は、僕を見てぴゃっと猫のように山口の背に隠れてしまう。


「長崎さん? どうかした?」

「気にしないであげて……。推し・・なんだって」

「推し?」

「い、言わないでよう。やまぐっちゃん」


 そのまま隠れてモジモジしている長崎を横目に僕は首をひねる。


「それで山口の話って?」

「うん……この子の準備ができたら話そうと思ってたんだけど。ちょっと気になることがあって」

「気になること?」


 山口は伏し目がちにそう言って長崎の肩をつつく。「言える?」と聞かれた長崎は意を決したようにコクリと頷いた。


「若狭さんのことなんですけど」

「え……」


 思ってもいなかった話題に僕は一瞬呆けてしまった。若狭さんは以前の人気投票レクで最下位になったことで学校に来れなくなってしまったクラスメイトだ。


「私っ、例の計画・・には賛成してます! やまぐっちゃんから聞きました。渦古さんが若狭さんのためにレクを終わらせたいって……。それを聞いて私、少し思い出したことがあって」


 僕は長崎が一所懸命に話すのを黙って聞く。長崎は内進生だ。思い出したこととは、ひょっとして過去の人気投票のことではないだろうか。僕は逸る気持ちを抑えて続きを待つ。

 しかし長崎は僕の顔を見たまま真っ赤な顔で「あ」とか「う」しか言わなくなってしまった。すると山口が僕の額を指で押しのけて言う。


「近い」

「あ、ごめん」


 長崎は勢いよく後ろを向いてしまったので、仕方なく山口が続きを話し始める。


「若狭さん、中二の時は"キング"だったらしいの……」

「へ?」


 "キング"――つまり若狭さんは前年、中学一年の人気投票でトップだったということだ。長崎は中一、中二と若狭さんと同じクラスだったのでそのことを知っていたということらしい。

 僕はその事実に違和感を抱く。それは山口も同じだったらしい。


「……それにしても変だよね。中一の投票でトップになるような人気者だったのに、中二でいきなり最下位になるなんて」

「確かに」


 ヱ梨香が言うには、若狭さんは中二の人気投票で最下位となり、中三からは丸々学校に来なかったということだったはず。だから僕は若狭さんが役職争いなんてしていないと思い込んでいた。


「若狭さんは中学入学してすぐから人気だったんです。かわいいし、優しいし。だからみんな言ってました。うちのクラスのトップは若狭さんか渦古さんだねって」


 落ち着いたらしい長崎が再び話し出す。


「ヱ梨香も同じクラスか……」

「はい。中一、中二とも」


 若狭さんのことで涙をにじませていたヱ梨香を思い出す。二年間同じクラスで仲を深めたのだろう。


「でも、その年の投票はおかしかった」


 長崎がポツリとこぼしたその言葉に、僕はえもしれぬ不安感を抱く。


「中一の前期、プレ投票でトップだったのは渦古さんだった。でも本投票では若狭さんがトップになったんです。それ自体は別におかしいことではないんです。二人が競っているのはクラスのみんなも分かってました。けど……おかしいのは、本投票で渦古さんがTOP4にも入っていなかったことなんです」

「え……」


 プレ投票で"キング"だったヱ梨香が、本投票で大きく順位を下げ、"ポーン"にまで落ちたということか。

 聞くだけならあり得る話だ。いくらプレ投票で稼いでも本投票で票が入らなければ意味がないということ。しかし、その場にいた長崎がおかしい・・・・と感じていることが引っかかる。


「つまりその時、みんなヱ梨香のトップを確信していた。トップでなくてもなんらかの役職にはつくだろうと。けれど実際のトップは若狭さんで、ヱ梨香の名前は役職にすらなかった――ってことだね?」


「はい」と長崎は何度も頷く。


「それで、クラスで噂になったんです。渦古さんは次のレクの"ビショップ"に選ばれたから、役職がつかなかったんじゃないかって」

「な、」


 僕は絶句した。

 "ビショップ"は他の役職と兼任しない。"ビショップ"に選ばれたら"キング"にはなれない。だから、中一の本投票の時点でヱ梨香が次の"ビショップ"に選ばれていたのなら、役職がつかなかった説明がつく。長崎はそう言いたいのだ。


「で、でもこれは全部想像で。ただ噂になっただけで事実は確かめようがないんですけど」

「じゃあ長崎さんは、ヱ梨香が中二の時に"ビショップ"だったと思ってるんだ」

「はい……中一で同じクラスだった人は、多分みんなそう思ってると思います。でもそれを言い出したのは私じゃありません」


「誰?」と間髪入れずに問うと、長崎はきゅっと身を縮こませながら言った。


「盛岡くん、です」


 一瞬、その場が静まり返る。それを聞いて僕の頭はしばらくフリーズした。「大希、」と口の中で呟くと、長崎が話を再開する。


「盛岡くんも中一と中二で同じクラスでした。だから私、"ビショップ"のことは渦古さんに聞くのが一番いいと思ったんですけど、やまぐっちゃんの話では渦古さん、"ビショップ"のこと知らないって言ってるって聞いて」


 僕は愕然として、なんとか首を動かして山口を見る。

 大希はヱ梨香が中二の時"ビショップ"であったと疑っている。しかしヱ梨香は僕たちに"ビショップ"のことは何も知らない風に言う。疑われていたことさえ伏せて。

 山口が僕に伝えたかった話はこれだったのだ。山口は僕を見てひとつ頷いてみせる。


「正直、盛岡くんがそう思うのは状況からしておかしくはないよ……。でもそれなら、なんで渦古さんは黙っているのかな。ねえ福島くん」


 山口の疑問に答えることはできなかった。事態は想像よりはるかに根深く、複雑で。

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