第9話

♢♢♢


 ――それから数日後。前期の中間試験が終わった。色々な意味で。試験直前に全ての教科の試験範囲を詰め込んだ僕の脳みそは、限界を訴えるようにビリビリズキズキと痛みを発していた。


「よぉ……さつき……生きてるか」

「うん……なんとか」


 同じく一夜漬け仲間の大希が隣の席でぐったりと脱力している。大希の所属するバスケ部では赤点を取ると試合に出してもらえないらしい。なのに一夜漬けなんてギリギリの橋を渡ろうとするのが盛岡大希という男なのだ。


「あーやっと部活できる」


 腕を伸ばして開放感を表す大希に僕はそれとなく提案をする。


「大希さ、土日も部活?」

「日曜は試合がなかったら基本オフだけど」

「僕も日曜バイトないんだよ。気晴らしにどっかいかない?」

「いいな。ガキの頃以来か」


 そろそろ大希とも深い話をしてしておきたい。大希が人気投票レクのことをどう思っているのか。どうやって"キング"になったのか。役職であることにこだわりはあるのか。こういうことを聞くことができるのは昔なじみの僕しかいないと思う。

 大希は運動部の男子たちと固まって行動することが多い。おそらくその男子はみんな大希に投票することを決めている"キング"の取り巻きなのだろう。できれば彼らがいない時に、大希と一対一で話したいところだ。


「俺もお前と色々話したいと思ってたんだよ」


 そんなごく普通の台詞にも少し身構えてしまう。人気投票レクの弊害だ。仲の良かった相手が役職を持っているというだけで色々考えてしまう。


「ねー! ちょっといい?」


 その時、ホームルームが終わった後の喧騒のさなか、一際目立つ声が上がった。僕は「またか」と心の中でため息をつく。見ると鬼のような形相をした秋田が大津の席の前に仁王立ちしていた。


「話があるんだけど」

「はあ……場所かえよっか」


 大津は至極面倒くさそうに爪をいじりながら、秋田について教室を出て行った。秋田の取り巻きもそれに続くのを見て僕は腰を上げる。


「見に行くのか? "ナイト"VS外進生」

「だってもし複数人で囲まれたりしたら」


 いくら飄々としている大津でも怖い思いをするのではないか。

 "ナイト"と外進生の争いを一目見ようと野次馬が次々と二人を追って外へ出ていく。大津の友人の工藤と佐古屋、そして同じ外進生の山口も心配そうに大津を追って行った。


「私のせいだ……私のせいで大津さんが」


 教室に香川の震える声が響く。かわいそうに香川は机に突っ伏して泣き始めてしまった。

 大津が呼び出されたのは間違いなく香川の一件が絡んでいるはずだが、これまで秋田の動きがなかったのは中間試験が終わるのを待っていたのだろう。

 野次馬に続いて二人を追う僕に大希も続く。


「面白そうだから俺も行こっと」

「いや面白がるなよ」


 二、三歩で前を行く僕に追いついた大希はワクワクしている子供のような笑顔を浮かべていた。大事にならなければいいが、秋田の性格からしてタダでは済まないだろう。

 野次馬を数人かき分けて見えたのは、中庭で対峙する秋田と大津だった。


「はっきり言うけどさ、役職狙ってあたしから票奪おうとするのやめてくれない?」

「そんなの投票する人の勝手じゃん」

「白々しいんだよ! 教室であたしの株を下げて一票奪ったくせに!!」


 語気を荒げる秋田に対して大津は冷たい目線を送る。


「株はあんたが自分で下げてんの。てかクラスメイトのこと『票』って言うのやめなよ」

「はっ。出た出た綺麗事。あたしそういうの大っ嫌いなんだ。知ってんだよ? あんたら外進生が裏でコソコソしてること」


 僕はその言葉にギクリとする。全員同票計画のことが秋田の耳に入っている! 取り巻きの"ポーン"から情報が入ったのだろうか。

 だとすると、もしかしたら他の役職者も知っているのか? ぐるぐるといろんな可能性を思考しながら固唾を飲んで二人を見守る。


「だったら何? ウチは役職なんか狙ってないし。暇じゃないからもう帰っていい?」


 大津のまるで相手にしない態度が秋田のカンに触ったのか、ついに秋田が大津を壁際に追い詰める。ドンッと壁を殴る音が中庭に響いてこだました。

 大津がもし殴られるようなことがあったら。さすがに止めよう。僕は足にグッと力を入れる。


「大津沙良……! フェンシング中学チャンピオンでスポーツ推薦でうちに受かったんだってね。あんた運動部の間で超有名だよ? スポ薦のくせに部活の練習もろくに出ずにすぐ帰るって! うちの運動部はねぇ、全国目指してみんな必死に部活やってんの。あんたみたいなのにでかい顔されると困るんだよ!」

「……部活一所懸命やってたら正義、って言いたいの?」

「あんたみたいに舐め腐ってるよりはね!!」


 二人の応酬が止まらない。大津がスポーツ推薦だったりフェンシング部だったりと新事実が判明したがそれどころではない。

 そろそろ止めに入ろうか、僕が一歩踏み出すのを大希が肩を掴んで制す。大希を見ると黙って見てろと言わんばかりの視線を寄越された。

 その時だった。怒鳴りすぎてハアハアと肩で息をする秋田に対して、大津が口を開いたのは。


「――じゃあさ、勝負しようよ」


 秋田はその言葉に眉を寄せる。大津はうつむいていてその表情は見えない。


「は? 空手とフェンシングじゃ勝負にならないんだけど?」

「ウチ、インハイ優勝するから。秋田ちんも優勝できなかったら秋田ちんの負けね」

「はあ!?」


 大津の大胆発言に、二人を見守る野次馬も動揺を隠せず顔を見合わせる。


「大津、まさか」


 僕は大津の狙いが分かってしまい、思わず震え出す自分の両腕を抱いた。大津は続ける。まっすぐ秋田を指さして。


「そして負けた方が勝った方の言うとおりに投票する!! どう? やるの、やらないの?」

「なんなの急に……! あんたみたいなサボり魔がインハイ優勝なんてできるわけないじゃん!」

「ふーん、自信ないんだ。そういえば秋田ちん、空手歴長いけど全国優勝はしたことないんだってね。ウチは全中も優勝したしU15も選ばれてるし、世界ランキングものってるし? ウチと勝負したくないのは分かるけどネ」

「はぁぁああああ゛!?」


 大津の煽りに秋田は今日一番のキレ顔を見せる。そしてその場で大きな声で宣言してみせた。


「やってやろうじゃない!! インハイで成績良かった方が勝ちね!!」

「成績良い、じゃなくて、優勝だよ優勝」

「分かったっつってんの!!」


 秋田がそこまで言うのを待ってから、なぜか大希が僕の腕を引っ張ってズカズカとその場に乗り込んでいった。


「お、おい大希!?」

「話は聞かせてもらった。秋田、大津。二人の勝負は"キング"である俺と外進生のさつきが見届けさせてもらう」


 大希の出現に秋田はギョッと目を剥いて、慌てて大津から距離を取った。「見届けるって?」と大津がみなりを整えながら問う。


「負けた方が約束を反故にしないか、俺たちが投票までしっかり見させてもらうぜ」

「え、僕も?」

「なるほどねー。ウチは構わないよ、さっつん」

「ふ、ふん。勝手にすればいいでしょ」


 なるほど大希の狙いは負けた側が約束を守らずに逃げることがないよう、大希と僕が勝負の監視をすること。これで当人同士の口約束では済まなくなった。

 大津が勝てば秋田の三票が手に入る。しかし、大津が負ければ五票が秋田に奪われてしまう。万が一のことを考えて僕はおずおずと挙手をして言った。


「あのさ、かけるのは三票でいいんじゃない? その方が――」

「さっつんはウチが負けると思ってるんだ」

「いいえ。すみません、なんでもないです」


 余計な一言だった! 大津の冷たい視線を浴びて思わず縮こまる。

 こうして大津のけしかけた勝負に秋田が乗り、夏に行われる全国高校総体――インターハイの結果に二人の票がかかることになった。


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