第8話
その日の放課後、日時計に向かうとヱ梨香が単語帳を読みながら待っていた。勤勉なことだ。五月末に迫る中間試験のことは考えたくもない。何も言わずにヱ梨香の隣に座ると、ヱ梨香はこちらを見ずにパタンと単語帳を閉じる。
「――"ポーン"全員に探りを入れ終わったわ」
「もう? すごいね。こっちも二人、工藤と佐古屋が協力してくれるって」
「大津さんの影響ね。彼女は本当にすごいと思う。ただ、敵を作ってしまったみたいだけど」
ヱ梨香はあの場にいなかったが、もう大津と秋田がやり合ったことを知っているようだ。既にクラス中に広まっているのかもしれない。
「秋田のことは一旦大津に任せようと思うんだけど。何か問題ある?」
「いいえ。役職は私じゃ歯が立たないからむしろありがたいくらい」
歯が立たないとは言うが、ヱ梨香だってクラスの中で目立つ存在だ。才色兼備がゆえに距離を置かれていることは間違いないが、全く話を聞いてもらえないということはないだろう。
そう言うとヱ梨香は首をすくめて答える。
「私はダメよ、"キング"と折り合いが悪いから」
「大希か……」
大希はことあるごとに僕に構ってくるものの、まだ人気投票ゲームの話はしたことがない。放課後も部活で忙しくしていて、深い話はできていないのだ。
大希とヱ梨香が犬猿の仲であることはクラスの中で暗黙の了解となっている。お互い目線すら合わせない。グループ授業で同じ班になっても大希が誰かと代わってしまう。そんなあからさまな避けっぷりにも誰ひとりとしてツッコまない。
ゆえに、ヱ梨香は役職者の説得には向かないだろう。ヱ梨香と話すと"キング"に目をつけられるからだ。しかしながら、そんなヱ梨香は香川と違ってイジメられることなく日々を淡々と過ごしている。ヱ梨香の持つ天性のオーラのおかげか、それとも。
「さつきくんがいなかったら私"キング"に潰されてたかもね」
「僕?」
「うん。さつきくんはね、自分が思っているより強い力を持っているんだよ。さつきくんが私をヱ梨香って呼んでくれるだけで私は守られるの」
「そんなバカな」
呆れると同時にそれが本当でないことを願う。これではまるで僕がヱ梨香を囲っているみたいだ。
『あんたなんて"ナイト"のあたしの後ろ盾がなかったらまたイジメられるだけなんだから!』
秋田の言葉が脳裏をよぎる。あんな風には、なりたくない。
「僕も"ポーン"の説得を手伝いたいんだけど、その前に一度清水と話をしてみようと思うんだ。彼は他の役職者と違う気がして」
「清水くんね……」
曖昧な相槌をうつヱ梨香に僕は首を傾げる。
「清水のこと嫌い?」
「いえ、そうじゃないんだけど。何考えてるか分からないでしょ、あの人。ちょっと苦手なのよね。さつきくんもあまり深入りしない方が……ああでも話をしない訳にも。ううん」
珍しく言い淀むヱ梨香に、僕は「おや?」と眉を上げる。
「分からないけど計画を邪魔したりはしないんじゃないかな」
清水のことは深く知っているわけではないが、悪い
「そう、よね。じゃあ清水くんはあなたに任せる。私は"ポーン"の説得も続けるけど……そうださつきくん、テスト勉強は?」
「うっ」
僕は言葉に詰まる。選択授業が別々だったり内進生と外進生で授業が分かれていたりと同じ授業を受けることは意外と少ないが、ヱ梨香は勉強ができるともっぱら噂の努力型の秀才タイプだ。
対して僕はギリギリにならないとやる気が起きない、追い込み型の一夜漬けタイプの人間。受験も締切寸前志望校を決めて、受かったのもボーダーギリギリだったに違いない。
「僕のことは気にしないで」
「でも、バイトもあるんでしょ? 年に数回のテスト前くらいは無理せずいきましょ。クラスのみんなもテスト前じゃ話をする時間が取れないかもしれないし」
「テストってまだ十日も先じゃん……!」
「そんなこと言ってると
「えっ」
♢♢♢
ヱ梨香にそんな風に脅かされたものだから、テスト前の数日間は大人しく勉強に勤しむことにした。学園の敷地内にある立派な図書館の自習室で、僕はぼんやりと教科書を眺める。
全くやる気が起きない。こんなことなら巴さんにもらった攻略本を持ってくるんだった。僕は使い古された学習ノートのことを思い出す。
巴さんのお兄さんたちが綴った人気投票ゲームの攻略本。夜眠る前に毎日にらめっこしているが、今のところ上のお兄さんがゲームで白熱した戦いをしていた様子しか分からない。
下のお兄さんが"ビショップ"だった時の記録を読み解きたいのだが、いかんせん字が汚すぎて読み進められない。今度巴さんとシフトが被った時に解読を手伝ってもらおうと思っている。
そんなことを考えている間に日が暮れてきた。やはり追い詰められないと机に向かう気になれない。テスト前ギリギリの自分の集中力を信じよう。
僕は教科書をしまって図書館を後にする。その時、視界の端にチラリと人影が映った。
「あ……。なあ、待って!」
思わず呼び止めた僕の声に振り向いたのは、茜日に目を細めた清水だった。
「その声は福島か。何か用?」
「うんそうだよ。あれ……目悪いの?」
顔は認識できる距離で話しかけたはずだ。清水は薄く色の入ったメガネを取り出しながら「強い光が苦手で目が眩むんだ」と言う。
今の時間は強烈な西日がさしているから辛いのだろう。僕は清水に影を作るように隣に立った。
「清水は今帰り? 少し話さない?」
「これから塾があるから、駅までなら構わないけど」
清水の肩まで伸ばした色素の薄い髪が風に揺れる。駅まで歩く約十分間で、僕は全員同票計画を清水に説明した。焦って早口になってしまったが、清水は一を聞いて十を知るかのように計画をすぐ理解してくれた。
「全員が平等に、か。よくできた理想の計画だね」
「確かに理想かもしれないけど、みんなの協力があれば実現できると思わない?」
清水は僕を見てニヤリと口元だけで笑ってみせる。
「そうやって仲間を増やしていってるってわけか。君って意外と人たらしだな」
「なんだよそれ」
駅に着くなり「じゃ」と言ってそのまま帰ろうとする清水を慌てて止める。
「ま、待って。だから清水にも協力してほしいんだ! 清水の持つ二票、計画のために使ってくれないか」
背を向けたままの清水はしばし逡巡し、ふと僕を振り返る。その表情は、読めない。
「知ってる?
「え?」
清水は突拍子のない話を始める。僕が返事に窮するのを見て清水は続けた。
「福島、君は本当に彼らが平等を望んでいると思う?」
「……それは、どういう意味?」
「平等な権利があるということは、平等な責任があるということ。はたして本当にクラス全員が、自分の言動に責任を負いたいと思っているかな。何も考えず誰かに付き従う方が楽だったりしてね。もしかしたら、彼らは明確な群れのリーダーを求めているのかもしれないよ」
「そんなことは。分からないじゃないか」
「うん、そうだね。よそから来た勇敢な黒山羊には、か弱い羊の気持ちは分からない……。勘違いしないでね。君たち外進生のことが嫌いなわけじゃあない。個人的には興味があるし、仲良くしたいと思うよ。ただ、人というのは君が思っているよりも、弱くて、群れないと生きていけないことだってあるということ」
僕はなぜかそう言う清水から目が離せなかった。無意識にごくりと空気を呑む。清水の言葉は妖しい力を持っている気がして、僕は無理やり話を切り上げた。
「……そうか、よく覚えておくよ。で、協力してくれるのか?」
僕は今、彼の持つ雰囲気に飲まれそうになっていた。清水は僕の問いに軽く答える。
「ああ、とりあえずは君の話に乗ってみてもいいかな。山羊のいなくなった羊たちが何を選択するのか少し興味があるから」
そう言って定期をかざして改札を通った清水は、駅構内に立ち尽くす僕を見て言った。
「それじゃあまた明日」
僕はそれに片手をあげて応えた。
結局協力は得られた形だが、どうも腑に落ちない。清水はうちのクラスに人気投票ゲームが必要だと考えているのだろうか。
うちのクラスの"ルーク"は、何を考えているのか分からない。
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