二、白と黒の戦い

第7話

 ダンッと机を激しく叩く音が教室に響いた。僕たちは食事の手を止め音の方に注目する。本来なら楽しいはずの昼休み中に、一人の女子生徒が床にへたり込んでいた。


「何回言えば分かるわけ!? あたしの好きな味はグレープ! ほんっとうに記憶力悪いよね真奈まなは!!」

「ご、ごめん秋田ちゃん……売り切れてて、」

「口の利き方ァ!」

「あ、あ、秋田さん。申し訳ございません……」


 そのやり取りを見て、一緒に弁当を食べていた僕と水戸は顔をしかめる。"ナイト"の秋田は役職の中でも苛烈な性格で、特に取り巻きの女子の一人、香川かがわ真奈に対してパシリや暴言を吐くなどの行為をしている。

 今日は特に秋田の機嫌が悪いらしく、他の取り巻きの女子たちもハラハラして見守っている。おおかた秋田にパシられた香川が買ってくるものを間違えたとかそんな話だろう。

 香川はいかにも気弱な女子で、ひょろりと高い身長を隠すような猫背が特徴だ。秋田の取り巻きは大体が溌剌とした運動部の女子なのだが、香川は一人だけタイプが違う。

 オレンジ色をした炭酸飲料の缶が無情にも香川に投げつけられる。僕は見ていられなくなり席を立つが、水戸に手で制されてしまう。


「女子の問題にお前が出て行ったら余計拗れるぞ」

「でも……」


 僕たちがそんなことをしている間にも秋田は香川を責め立てる。


「本当に分かってんの? あんたなんて"ナイト"のあたしの後ろ盾がなかったらまたイジメられるだけなんだから! 中等部でハブられてたあんたを仲間に入れてやったの誰だと思ってんの?」

「秋田さん……秋田さんです……」

「分かったならさっさと買い直して来いよ!」


 秋田の剣幕に怯えた香川が急いで教室を飛び出そうとしたその瞬間だった。

 ドンッと秋田の机の上に別の炭酸飲料が置かれた。教室にいる全員の視線が注がれる中で、黒い制服が秋田のことを静かに見下ろしている。僕たちはその姿を見て「あっ」と口を揃えた。


「ウチのグレープと交換してあげるー」

「は……?」


 秋田がイラついた顔でにらみ返したのは、飄々とした笑顔を浮かべた大津だった。


「なに? 大津さん、くれるのこれ? ドーモありがとう」

「どういたしましてー。ウチオレンジも好きだからさ」


 なんでもない会話のはずなのに、二人の間にバチバチと火花が散るのが見える。大津はそのまま香川のそばに寄って、その肩にそっと手を乗せた。


「香川ちんさ、今日からウチらと一緒に学食で食べようよ」

「え……」

「いいから行こ」


 大津の大胆な行動に僕は心の底から拍手を送りたい気持ちになった。役職に胡座をかいてふんぞり返っている"ナイト"の秋田に強く出られるのは、秋田より多く票を持つ限られた女子。大津はまさにその内の一人だ。

 そのスマートな救出劇に、教室で固唾を飲んでいた生徒たちもホッとした表情を見せる。しかし黙っていないのは秋田だった。大津を指さした秋田は、目と口を大げさに開けて騒ぎ出す。


「あー! ハイハイそういうことね。みんな見たぁ!? 外進生の票稼ぎ! あたしから票を奪おうってわけだあ」


 秋田は取り巻きたちに熱弁するが、周囲は静かなまま。そこに大津の冷たい声が響く。


「そう思ってんのはあんただけだよ、周り見な」


 大津は秋田を一瞥してから、香川の手を引いて教室を去って行った。


「なんっだよアレ! ムカつく!! 外進生が役職狙いやがって! いい? "ナイト"からの命令。今後一切大津と口きくなよ!」


 はたして何人がその命令に従うだろうか。椅子や机に散々当たり散らした後、秋田は怒りでハアハアと肩を上下させたまま大津の置いて行った炭酸飲料を手に持った――その時。


「きゃあ!?」


 プシャッとグレープ色の液体が飛び散り、勢いよく秋田の顔面に直撃する。大津の置き土産だ。僕と水戸はプルプルと肩を震わせて必死に笑いを堪えた。

 同じように笑いを堪えようとする生徒たちから少しずつクスクスと声が漏れ出てくる。秋田はカァーッと顔を赤くして教室を飛び出して行った。


「大津のファインプレーだな」

「うん。でもこれで完全に秋田と敵対したね」


 忘れてはいけないのは、今学期末までに役職者の説得も済ませないといけないということ。今回の件で秋田が意地になって、役職にしがみ付こうとする可能性はある。彼女の説得は難航するかもしれない。


「全く"ナイト"に相応しくない振る舞いだよ」


 僕たちのすぐ横から、そんな冷めた声が聞こえてきた。声の主は呆れた表情で秋田の去った方向を眺めている。


「清水」

「アレを見て役職者がみんなああだと誤解しないでくれよ」


 "ルーク"の役職を持つ清水貴人たかひと。他の役職者と違って権力を振るう姿を見せたことがない彼は、常にクラスを一歩引いた目線で見ている。

 その冷静さに加えて、女子から騒がれるクールな見た目で自然と票が集まるのが清水という人間だ。


「もちろん。清水のことはそんな風に思わないよ」


 そして、まず初めに説得を試みるべき役職者であると僕は考える。清水は見る限り権力に固執していない。人気投票レクへの熱意も感じない役職者だ。全員同票計画を最初に話す役職者として妥当なのではないか。そして力になってくれるなら他の役職者の説得も進みやすい。


「ならいいんだ。アレと一緒にされたくないからね」


 言うだけ言ってさっさと離れていく清水の後ろ姿を見て呟く。


「清水ともっと話ができるといいんだけど……」

「だな。それよりちょっと学食の様子見に行かないか?」

「行く」


 昼休みはまだ半分以上残っている。僕たちはごはんを口に詰め込んで、大津がいる学食へと向かうことにした。



♢♢♢



「ごめん、黙っていられなくなっちゃった」


 学食に現れた僕と水戸を見つけた大津は、開口一番へらりと謝る。大津の隣で目をまっ赤に泣き腫らしている香川を見ると、大津を責める気なんてこれっぽっちもわかなかった。

 大津と仲の良い内進生の工藤くどう佐古屋さこやが香川のことを慰めている。二人とも大津と同じく派手な見た目だが、話してみると穏やかで真面目な印象だ。

 香川を二人に任せて、大津は深刻な顔をして僕たちに向き直る。


「役職の説得をしないといけないってのに、バチバチになっちゃった」

「大津は何も間違ってないよ」


 僕の言葉に水戸も頷く。


「そうだ。票稼ぎとか言われてたけど気にするなよ」

「うん、でも……」


 大津は煮え切らない表情でしばらく悩んだ後、何かを決意したように拳を握る。


「秋田ちんのことはウチに任せてほしい」

「え? まさか今の状態から説得に入るつもりか?」


 驚く水戸に大津はゆるく首を振ってみせる。


「今回の件でウチは間違いなく敵視された。だからそれを逆手に取る。どうせ秋田ちんの説得は難しいって思ってたし」

「逆手に?」

「まあ、協力が必要になったら言うからさ」


 大津の意思は固いようだ。ここは大津を信じることにする。彼女が慎重派で思慮深いことは知っているのだ。僕たちが頷くのを見て、大津は急いで昼食をとり始めた。


「ねえ」


 教室に戻ろうとしたところを、工藤と佐古屋に呼び止められる。顔を見合わせる僕と水戸に向かって二人は言った。


「アタシら計画・・に賛成だから」

「えっ」


 それは間違いなく全員同票計画のことだ。ポカンとする僕に佐古屋がツッコむ。


「えっじゃないし。ヱ梨香がなんか難しいこと言ってきた時はあんま興味なかったけど、要は役職消せるんでしょ? アタシらいい加減秋田がウザいんだよね」

「今までは目付けられると面倒だから"ナイト"を放置してたけど、沙良ちゃんがいれば心強いしね」


 初めて"ポーン"の理解を得られたことが、僕の胸の奥をじんとさせる。そんな僕の隣で水戸が冷静に答えた。


「役職を引きずり落とすための計画じゃないからな? あくまでクラスでの立場を平等にするのが目的だ」

「分かってるよ」


 二人は香川をちらりと見て、それから口を開く。


「今まで見て見ぬふりをしてきた分、なんとかしなきゃ」


 内進生には内進生で思うところがあるようだ。むしろ僕たちよりも長くこの学園にいる分、それは深いところで渦巻いているのかもしれない。


「――ああ、助かるよ」


 ほんの少しずつ、盤面が動き出す気配を感じていた。


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