島の西側で「無人」島生活
19、大蛇と魔法使いの幽霊
突然ですが私は今、ご飯を作っています。
自分たち三人の為では無く、大蛇と魔法使いの幽霊の為に。
遡ること一時間ほど前。
ここ数日で常識の幅も肝もずいぶん鍛えられた私が、回想の口調がおかしくなるほどの恐怖体験をしたのでございます。
私はその時トイレを作る材料を求め、森に入ろうとしておりました。
頭の中は、どうやって作ったら快適なトイレが出来るかの計画でいっぱいでございました。もうかれこれ十二時間はトイレのことばかり考えておりますので、段々計画が非現実的な、どうにか浄化槽が作れないかという贅沢な方向にずれかけておりましたのも仕方の無いことでございます。
その時でございます。
持ち物を揃え、準備をしている私の横でのんびりしていたパジェ君が何時になく慌てた声を上げたのでございます。
『ご主人、ご主人、何か来る。乗って、早く!』
一つのことを伝えるのに五も十もあれこれ付け足して喋るパジェ君の、その切羽詰まった様子に慌てて私は車に乗り込み、鍵をかけたのでございます。
そしてその直後に、森からのそりと顔を出したのは、見たことも無い、ハリウッド映画のアナコンダもかくやと言うほどの白い大蛇でございます。
周りの木と大きさを比べるまでもございません。
大型のトラックが森から出てきても、ここまでは驚かなかったことでしょう。大型のトラックが大きいのは阿呆でも分かることでございます。しかし蛇が大型トラックほどもある、と言われて誰が信じるでしょうか。
信じないでしょう。
私だって信じません。
酒でも飲み過ぎたのだろうと笑い飛ばします。
そんな大きな蛇が目の前にいて、その尾は森の深くに伸び見ることも出来ません。
そんな大きな身体なのに、木を倒すことも揺らすことも無く、ただ静かに這い出て参ります。
いえ、もしその時私の耳が正常ならば何らかの音を聞いていたのかもしれません。しかしその時の私と言えば、心臓が壊れたかという程打ち鳴らされ、耳鳴りに目眩までしている有様で、とても正常とは言いがたかったのです。
そしてそのまま大蛇が車を抱き込んだとき、この大蛇の心一つで車ごと潰されることを覚悟したのでございます。
ぐるり一周巻いて外が見えなくなり、もう一つ巻いて光も漏れなくなり、その時やっと後悔が襲ってきました。
嗚呼、最初の時にエンジンをかけ走り出せば良かった。パジェミィが枝を擦って傷だらけになったとしても、無事に帰れたら直せばいい。
こうなったらだだの鉄くずと肉塊に成り下がり、それも叶わない。と。
五分経ったでしょうか、十分経ったでしょうか。
または数秒だったのでしょうか。時間を確認するなんて事は頭にありませんでした。
ただ暗い空間で、死刑宣告を、刑の執行される時を待っているだけです。
パジェ君は不安そうで、いつものお喋りは出てきません。スラちゃんは事態が分かっていないのでしょう、楽しそうです。
その時昔懐かしいブラウン管テレビの画面が乱れたときのような、プレイ中にファミコンを動かしてしまいゲームがフリーズしたときのようなノイズがはしりました。
そしてするすると離れていく大蛇。
見えた光景は先ほどまでと似てはいるけれど違う場所でした。
そして私たちを待っていたのは、半透明で薄く光る青年でした。
驚きが引かないまま車から降りられないでいると、青年が手招きをします。
すっかり車から離れた大蛇は大人しく青年の横に控えています。
どうしていいか分からずそのまま固まっていると、青年は困ったような顔をして杖を振るいます。この杖はタクトのような物では無くて、仙人が持っていそうな大きな物です。
その杖から出た光が空中に絵を描きます。
それはパン、でした。
自分の口を指さす青年を見たパジェ君の「腹減ってるんすかね」の声で、やっと耳が聞こえるようになったことに気付きました。
相変わらず心臓の音は五月蠅いですが、現実が戻ってきた瞬間でした。
回想此処マデ
足の震えを感じながら、恐る恐る車から降り青年に話しかけても言葉は通じていないようで、ただ困った顔をするばかり。
そこで昨日のことを思い出した。
パジェ君とは、食事を分けることで言葉が通じたのだ。まあ起きたらスルメをかじっていたんだけれど。
パンが欲しいと言っているのならば。
ならば、一緒に食べようでは無いか。作りますよ。今すぐ。
ただし、その蛇、襲ってきませんよね?
そして今に至る。
作っているのはホットケーキ。
魔法使い(仮)の青年が光で描いたのはバゲットのようなハード系のパンっぽかったけれど、持ち合わせが無い。中力粉(一時期スーパーから強力粉が消え去った時に使ってみてから気に入っている)もドライイーストもあるけど、このまま発酵なんて待っていられない。ので、ホットケーキ。
湯気の立つそれを紙皿に乗せ青年に渡した。
少し考えたけど大蛇さんにも。貴方の目よりも小さいですね、すみません。近くに寄るのが恐いので、お兄さん渡してください、とジェスチャーで伝える。
半透明なのに通り抜けること無く皿を受け取って、満足そうに匂いを嗅ぐ青年。彼が大蛇にも差し出すと、ちろりと舌を出し一つ瞬きをした。
舌の方が皿よりも幅がある。その大きな舌で器用にホットケーキだけを一飲みにした。
「甘くて美味しいね。ありがとう」
一口も食べずに返してくる。線の細い青年からは予想しなかった低音ヴォイスでちょっと驚いた。
それでも予想通り言葉が通じたことに安堵しつつ、食べないのかと問うてみた。
「もう身体が無いから。精気をいただいた」
「美味。美味」
蛇さんの声?に思わずビクッと身体が震えた。彼(?)もよい声をしている。
「彼は私の友人だし、善き精霊だから君たちを襲わない。驚かせたのは悪かったね」
私はこのあたりから離れられないから、来て貰うしか無くてね。
申し訳なさそうに言う青年に悪意は無かったのだという事は信じるが、蛇さんが人食い大蛇じゃ無いことも信じるが、
信じようと思うが。
それでも恐かったんですよ。
恐かったんですよ。
大きすぎて今も恐いですよ。
すっごく、すごく、すごーく、恐かったんですよ。
死んだと確信しましたからね。
万感の思いを込めて、「そうなんですか」とだけ返した。
返されたホットケーキは、熱々だったはずなのによく冷えていた。
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