助けても助かっても救われない 1




 海の、波打つ音がする。いその匂いが、ここまで漂ってくる。窓から入る真っ赤な西日が、横になる俺を照らしていた。


 床は硬くて、体中が痛い。まさかヤクザが本当に埠頭ふとうの倉庫を持ってるなんて、思わなかったな。


 気分? そんなの最悪に決まってんだろ。


「おいおい、こんなんでへばんなよ」


 視界に入るのは、立派な革靴をはいた足、足、足。


 もう動けない。起き上がることもできない。手を後ろに縛られた俺は、あいつらのサンドバッグだ。


 腹を蹴るなんて序の口。顔も容赦なく殴られた。ほんの十分程度かもしれないが、かなり長いこと痛めつけられた気もする。


 髪をつかんで持ち上げられたかと思えば、顔を床に叩きつけられた。やつらは普通とは違うから、こういったことをためらいなくやってのける。


 あー、いてえ。歯が折れなかったのは幸いだ。でも鼻が、折れたかもしんねえ。血が流れていく感覚がよくわかる。


 きっと、誰も助けになんか来ないんだろうな。スマホも取り上げられちゃったし。


 こんなことなら、あいつと一緒にいればよかった。あんな、怒鳴りつける必要なんてなかったのに。


「気絶したかったらしてもいいぞ? 目ぇ覚めたとき、自分の顔がどうなってるかはわかんねえけどな」


 一番偉そうで、ガタイのいいおっさんが、俺の頭上にしゃがむ。さっきと同じように髪をつかみ、無理やり顔をあげた。


「キレイな顔が台無しだ。なんでこんな目に合ってるか、わかるか?」


 目が、開かねえ。よく見えねえ。今、俺、相当ひどい顔してんだろうなぁ。


「きみね、女の子と一緒にいただろ? ギャルっぽい子。あの子ね、俺らの上司の娘さんなんだわ。知らなかっただろ?」


 ああ、このパターンか。


 知るわけねえだろ、んなもん。興味も、なかったし。


 思わず鼻を鳴らすと、鼻血が噴き出した。髪をつかむ手がギリギリと強くなる。髪の毛が抜ける音も続いた。めちゃくちゃいてえ。


「あの子なあ、ちょっと間抜けなんだわ」


 あきれたようなため息のあと、おっさんは続ける。


「面食いだし。れっぽいし。小遣いポンポン渡しちゃうし。好きになる男全部、金だけせびるクズ野郎になっちまう。俺たちが何度男を痛めつけても、何度顔だけで選ぶなっつってもききゃしねえ」


 俺の頭を揺らして、そのまま床に叩きつけた。もう、額が割れそうだ。


「ホテル代も女、メシ代も女、その服だって嬢ちゃんから買ってもらったんだろ? もらうだけもらってトンズラは、あまりにも無責任なんじゃねえの?」


 ああ……頭、ガンガンする。なんにも考えられない。


「あ、なに? きみ、よわいね。もうちょっと頑丈だと思ったんだけどな。説教のしがいがないんだわ」


 もう、いいや。このまま殺されちまったほうが楽なのかもしれない。こんなこと、繰り返すくらいなら。死んだほうが、幸せなのかもしれない。


「そもそも、女に本気でれてたらよ、男が全部金出すのが筋ってもんだろ? そう思うだろ? なあ?」


 そんなん言われてもな。


 こっちは出会って一日もたってねえし。本気になる以前の問題だし。先に金はらってんのは向こうだし。


「とりあえず、金は回収させてもらうわ。いいよな? ……まさか、金のために命捨てるつもりはないだろ?」


 ジャケットのポケットに入れてたはずの封筒は、いつのまにか奪われていた。


 そうでなかったとしても、今の俺に抵抗する力はない。


「あ~、えらいもらってら」


 封筒の中身を確認したらしい。


「こんな金いきなりもらったら感覚おかしくなるだろ? 没収だ、没収」


「兄貴、これ以上はめんどうなことに」


「ああん?」


 目が開かず、視界が悪い中、おっさんたちの会話が耳に入ってくる。


 おっさんの声は、部下相手にもドスがきいていた。


「さすがに殺しはしねえよ」


「ですがこの前もねえさんに」


「俺たち使ってんのはオヤジのほうだろ」


 再び、髪をつかまれ顔を上げられる。さすがにそろそろはげそう。


「じゃあ、どうする? 消すことができねえなら、この顔、再起不能なくらいにぐちゃぐちゃにしてやろうか? 二度と女から金巻き上げられないように」


 部下たちの返事はない。それが肯定なんだろう。


「ブスにでもなりゃもう女にひどいことできんだろ。……おう! 誰かタバコに火いつけてこっちに渡せ」


 ははっ。マジか。終わったな、俺も。


「だーいじょうぶだよ。ちょっと顔に模様できるだけだ」


 おっさんの低い笑い声が、反響する。


 つかまれた髪の痛み。煙くさいタバコ。


 今みたいに、死が迫っている冷たい空気を何度味わってきたことか。あと何度味わえば終わるのか。


 ……顔か? 顔が原因なのか? すべて顔のせいなのか? この顔がなくなれば、今までみたいな苦労、しなくて済むのか? ここで試してみんのも、悪くはねえのかも。


 ……においは、だんだん近づいてくる。


 熱と痛みに耐えるべく、歯を食いしばった。


「んぐっ!」


「あん?」


 なにかがぴしゃりと、顔に張り付いた。てっきりタバコが押し付けられるもんだと思ってたから、変な声が出ちまった。


「なんだぁ?」


 あー、見えねえ。なにが貼られてんのかわかんねえ。手が縛られてるからとれもしねえ。


「おいおいおいおい、ここは関係者以外立ち入り禁止だよ? ん?」


 男たちの声と、遠ざかっていく複数の足音。


 つかまれていた髪が離され、また、足音が遠ざかる。おっさんも、俺から離れていったんだ。


 ひとまず、顔をヤケドすんのは避けられたわけだな。いまだに、顔になにかが貼られたままだけど。


 いや、なにか、なんて、わかってる。これはきっと。


「僕はカードを、拾いに来ただけです」

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