真夜中のゴミ捨て場で 2
……いや、なんだこれ?
トランプよりも少し大きいカードだ。この都会ではめったに見られない、満点の星空が一面に写っている。裏返すと、昔の外国人が書いたような絵が描かれていた。
真ん中にいる、怖い顔をした化け物。その下で、つのをはやした小さい男女が、化け物を挟むように立っている。カードの下には『the devil』の文字。
「あの。通してください」
みずみずしいハリのある声が、路地裏に響く。
「僕はカードを返してもらえればそれでいいんです」
ああ、そうだ。確かこれ、タロットカードってやつだ。占いに使うやつ。
ネオンで明るい路地のほうに、顔を向けた。
数メートル先に、持ち主は突っ立っている。だぼだぼのTシャツにチノパン。ななめがけしたボディバッグ。どこにでもいるような、いたって普通の男だと思う。
暗くて、顔がよく見えない。
「なに? あんたあいつの友達?」
クソいきり茶髪野郎とその取り巻きに囲まれ、見下ろされている。
かわいそうに。運が悪かったんだな。こんなところに来なきゃ、あんな野蛮人どもにからまれることもなかったのに。
まあ、あいつらに殴られてダウンしてる俺に、同情されたくないだろうけど。
「……いえ。僕はカードを拾いに来ただけで」
茶髪野郎が舌打ちする。
「あんた目見えねえの? だったらわかんねえよな。すぐに後ろ向いて戻りな。俺たちここで後輩に指導しなきゃなんねえんだわ」
「でもカードが」
「知らねえんだよ! そんなもん! とっとと帰れっつってんだよ!」
茶髪野郎に触発されたとり巻きたちが続ける。
「俺たち、今機嫌悪いからさ」
「痛い目見たくないならさっさと帰れや? な?」
取り巻きの一人が、男の肩に手を置こうとした。が、下がった男によけられている。
「殺す覚悟もないくせに」
「あ?」
「気が済むまでどうぞ」
哀れむような声だった。
「あなたたちに、倍以上の痛みを背負う、覚悟があるのなら」
しばしの沈黙。冷ややかな空気が流れる中、吹き出す音が反響した。
「こいつやべーわ!」
「中二病じゃん! 漫画の主人公気取りですか~?」
馬鹿にするような笑い声。
正直、俺も、こいつ何してんだとは思った。だってそのまま逃げりゃいいじゃん。わざわざ突っかかっていく必要なんてないんだし。
でもそいつは、動じちゃいない。顔を、茶髪野郎にずっと向けている。
「あーあ、もういいわ。マジでしらけた」
その一言で、品のない声はぴたりと止んだ。
「こんなやつ相手にすんの時間の無駄だわ。客になりそうな女ナンパしたほうがまだマシだろ」
「マオさんなら女口説くのも余裕っすよ」
「今日のぶんもすぐに巻き返せますって」
茶髪野郎どもは、微動だにしない男を通り過ぎていく。とり巻きたちが振り向いて、俺に声を張り上げた。
「おい、お前! 明日覚えとけよ!」
「いやいや、明日になったら飛んでるだろ~! こんなことして来れるわけねえよな~」
あー、くそ。頭も腹も痛すぎて、なんも言い返せねぇ。
「……あの」
たたずんでいた男は、俺に背を向ける。茶髪野郎が立ち止まり、振り返った。
「あん? なんだその目。カラコンか?」
俺からは、そいつがどんな目をしてるのかわからない。
「全然似合ってねえんだけど」
「色のチョイス、ヤバくね?」
でもあいつらがわざわざ口に出すってことは、よっぽどおかしな目なんだろう。
バカにした笑いが耳に刺さるこの状況で、男は茶髪野郎を指さした。
「寝取られた分を取り返したいんだったら、ルインに入ってる連絡先の中で、上から七番目の女の子と、連絡を取ることです。……今日中に」
笑い声が、ぴたりと止んだ。
「あ、メッセージじゃなくて、電話のほうがいいですよ。……そう。カナちゃんに」
「はあ? きっも」
男を無視して、ヤツらは先を急ぐ。
「まじで変なやつの相手したわ~」
「頭おかしいんすよ。なんか薬きめてんじゃないすか?」
茶髪野郎とそのとり巻きたちは去っていく。わざわざ姿が見えなくなるまで見送った男は、俺に体を向けて近づいてきた。
目の前で止まったそいつの顔が、はっきりと見える。
特徴がない、その辺にいそうな顔だ。両目とも、閉じているということをのぞけば。
俺はといえば、体を起こしたいのに、痛みで力が入らない。俺って、意外と軟弱みたいだ。
「それ、僕のなんだ。ちょうだい」
男はしゃがみ、俺の手からカードを抜き取る。
抵抗もせず、反論もない俺は、そいつの顔をただ見上げていた。
「……あ?」
そいつは目を開いて、カードをまじまじと見つめている。だからってそれだけで変な声は出さねえ。
その瞳が、とにかく輝いてるんだ。
比喩とかじゃなくて、本当にキラキラしてるんだ。この暗闇の中、紫色の目がちかちかと光ってる。
あいつらがカラコンを疑ったのもわかるけど、これはそんなもんじゃねぇ。黒目の部分が宝石みたいになって、光が乱反射してるみたいで……。
歓楽街のネオンなんか、比べ物にならない。空高くのぼる満月とは、また違う魅力がある。
ああ、きれいだな……。
その目が、俺に向いた。
「ありがと。僕はこの目、好きじゃないけど」
彼がかすかに笑うと、より一層、目の輝きが増した。
「……カードは、大アルカナの十五番目、悪魔の正位置」
そいつはカードを見せつけるようにふっている。
「呪縛、恐怖、不純、欲望……いろんな意味があるけど、どれもよくない意味ばかりだ。そうだな、きみに関して言えば、依存して、誘惑に負けている状態ってところかな」
ずいっと顔をのぞきこんでくる。その目で見つめられると、吸い込まれそうだ。こいつに隠しごとはできないんだと、本能で理解できた。
「ああ、きみは、女難の相も出てるね。女性に、振り回される人生だ。すごく、モテる。けど、長続きしない。女性のせいでトラブルも絶えない」
紫色の瞳が、俺からそれる。
「もう少しきみのことを見ていたいけど……時間だ」
目が、閉じた。このあたり一帯が、真っ暗になったような気がした。
立ち上がろうとするヤツのシャツを、とっさにつかむ。
ああ、くそ。せめてここから出るの手伝ってくれねえかな。痛くて、自分じゃ動けないんだ。
そう頼みたいのに、声が出ねえ。吐き気もする。店で余計な酒飲みすぎたな。くそ、情けねえ。
「……ごめんね。今、きみを助けたら、報酬をもらわなきゃいけなくなるんだ」
薄情なやつめ。わけわからん占いだけしていきやがって。
「だって、きみを助けるのは僕じゃないからね」
俺の手からシャツが抜けた。力も抜ける。
あの男はもう、振り返ることもなく離れていく。薄汚いゴミ捨て場から、ネオンが輝く歓楽街のほうへと。その姿が遠くなっていくにつれ、俺の意識も遠のいていった。
――ヤツとはまた、会える、気がする。
なぜか、そう思えた。
目の前が真っ暗になったころ、女の声が遠くから聞こえた。
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