【拾肆】第八ノ事件
(44)
その頃、十三塚村。
事務所で百々目は、前園巡査長と睨み合っていた。
「申し訳ございませんが、これ以上、警部補殿の指図には従えません」
血走った目を怒らせ、彼は官帽を床に叩き付ける。
「警部補殿は、我々の命などどうでもいいと仰っている!」
「そうではない!」
百々目も立ち上がり、奥歯を噛み締めて反論する。
「市民に危害を加えれば、警察の信用は地に墜ちる。何としても、それだけは避けなければならない」
「だからそれが、我々現場の警官の命を二の次に考えておられるという事です! 現に……」
と、前園巡査長は声を震わせる。
「現に、
……それは、この日の夕刻だった。
午後から村の巡回に出た橋元巡査が戻らないと報告があり、捜査員総出で探したところ、橋の近くの木立の影で、惨殺体となって発見されたのである。
武器というのは、お互いの信頼関係があってこそ抑止力として成立する。お互いに敵と認識したところに武装をすれば、敵意を煽り、完全衝突を誘発しかねない。それは警察、引いては国家権力にとっての危機である。
歴史の上で、地方の暴動が全国へ飛び火し、国家が転覆した例は数知れない。彼の立場として、それだけは一命に懸けても阻止しなければならなかった。
これまでの犯行を見るに、犯人は素人だ。警官たちはそれぞれ武術を心得ており、警棒を所持をしている。念の為、見通しの悪いところは通らぬよう、複数人で行動するよう申し伝えた。
――その考えの元、拳銃の所持を禁じた百々目の判断が、完全に
前園巡査長の激高を全身で受け止めながら、百々目は辛うじて姿勢を保つ。
「なぜ彼は、一人で巡回に行ったのだ」
「この村に来て、もう何日になりますか? 人員の入れ替えもない中で、我々ももうヘトヘトなんですよ! だからあいつは気を遣って、休める時に休めと……!」
クッと、前園巡査長は唇を噛む。
「もう我慢なりません。この村のモンは全員敵だと思って、我々は行動します。犯人はこの村のモンに違いないのですから、全員を監視すれば、事件なんか起きません!」
と、彼は百々目を押し退け、机の引き出しから鍵を取り出す。
そして事務所の戸棚を解錠し、そこに収められた拳銃の保管箱を持って行った。
よろけて床に座り込んだ百々目は、立ち上がる事すらできなかった。打ちのめされされた心をどう奮い立たせればよいのか、その手段を考える力すら、彼には残されていなかった。
どのくらいそうしていただろう、ふと顔を上げると、事務所の片隅に長谷刑事が佇んでいるのが見えた。
「……君は行かないのか」
百々目が呟くと、彼は答えた。
「土御門氏に、あなたについているように言われました。あなたを見捨てたら、末代に至るまで後悔すると」
彼らしい言い分だ。
だがそんな長谷刑事の存在が、百々目の自意識を辛うじて呼び起こした。いつまでも彼に、無様な醜態を晒しているわけにはいかない。
ようやく起き上がり、椅子に座る。それだけで、完全に折れた心が少しだけ繋がった気がした。
「君も座りなさい」
ぎこちなく長谷刑事が向かいに座る。だが話す話題もない。居心地悪そうに会話のネタを逡巡する様子だった彼は、やがて口を開いた。
「私がなぜ警察官になったのか、お話しましょうか?」
「聞かせてくれ」
長谷刑事は照れ臭そうな笑みを浮かべる。
「私はガキの頃、相当なやんちゃ坊主でして、心の赴くままに出かけて迷子になるわ、人様の家に忍び込んで通報されるわ、よく警察のご厄介になりました」
「…………」
「そんな悪ガキでも、真剣に市民の安全を守るお巡りさんの仕事ぶりを見て、憧れたんですよね。大人になったら、こういう人になりたいと……だから、警部補殿の言われる理想に、共感できるのです」
百々目はじっと長谷刑事の横顔を見る。
「警察官は市民を守る英雄でなくてはなりません。英雄とは、自らを犠牲にしても守るべき者を守る勇者です。私は、そうでありたいと思います」
そう語る長谷刑事が、この時の百々目には眩しかった。
「正しい手段で犯人を逮捕し、事件を終わらせましょう。……そういえば、土御門氏は村を出る前、こう言っていました」
――解決のための鍵を取りに行ってくる――
「恐らくあの方には、既に事件の全容が見えているのではないでしょうか。それを我々に納得させるために、何かを調べに行ったのだと思います。ですから……」
長谷刑事が百々目に顔を向ける。
「彼を信じて待ちましょう。我々はこれ以上犠牲者が出ないよう、できる限りの事をして、村を守りましょう。――憎むべきは犯人です。あなた自身ではありません。それだけは、どうかお間違えのないように」
◇
前園巡査長は部下を引き連れ、村民名簿を手に各戸を回っていた。
「この家は六人家族だな?」
「へぇ」
「これからしばらく、外出を禁止する」
「田植えは? 田植えはどうすればいいんで?」
「そんな事はどうでもいい! 我々の言う事が聞けぬのなら……」
と、彼は腰のホルスターに手を当てる。
「覚悟するのだな」
前園巡査長たちが去った後、村人たちは戸口に恨みを込めた目を向けた。
「あいつら、ワシらが飢えてもいいと思っているんじゃ」
村の各所に
……だが、名簿にない人物がひとり、村に存在するのを、彼らは知らなかった。
篝火の届かない森の奥。その人物は軍の支給品の懐中電灯を手に、とある場所に向かおうとしていた。
視線の先にあるのは、煌々と明かりの灯る十三塚城。
軍服の脚にはゲートルを巻き、腰のベルトには実家から持ち出した日本刀を挿している。
――田中勝太郎。
「十三塚を再建する」――その任務を遂行すべく、彼は森を進んでいった。
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