(43)

 ――翌、五月十六日。

 土御門保憲は浅草にいた。

 とはいえ、この辺りは震災で焼け、かの十二階の煉瓦塔――凌雲閣りょううんかくもすっかり取り壊されている。千代、もしくは「おゆき」が見た光景とは程遠い。

 「おゆき」とは、大熊一座の踊り子の名である。大骨博士の鑑定で、十五の白骨に人物と、増岡編集長が調べた大熊一座の座員の氏名を照らし合わせ、「大熊ゆき」――座長の孫に行き着いた。

 だが、市電を降りた途端から絶望的な光景である。おゆきを知る人物を探すのは、簡単な仕事とは思えない。

 しかし、犬も歩かねば棒に当たらない。彼は自分を奮い立たせ、その日一日、一座の写真を手に浅草を巡ったのだが……。


 夜、滝野川の自宅である。

 蘆屋いすゞからの電話に応じた保憲は疲れ果てていた。徒労に終わったのである。

「まあ、人が多い地域ですし、米粒に混じった一粒の麦粒を探すような作業かもしれませんね」

「君の方はどうだ? ……夏子君の様子は」

「そりゃあ、想い人ではなくても、幼なじみの従兄が、自分に手紙を届けるために死んだとあれば……」

 いすゞの声は暗い。

「それに、温泉街の駐在さんに聞いた話、また村で何かあったみたいですよ」

「どんな事件かね?」

「それが分からないんです。これまで日に一度は、県警本部に状況報告するために誰かが来てたらしいんですけど、今日は誰も来なかったって」

「…………」

「何だか嫌な予感がするわ」


 その後、久しぶりにミルクティーを味わいながら、保憲は思いを巡らせた。

 ……いすゞの「嫌な予感」が正しければ、村では既に、とんでもない事態が起きている――捜査陣を分断させるほどの非常事態が。

 悠長に時を浪費している猶予は、一刻としてないだろう。

「…………」

 思い悩んでいる暇はない。保憲は心を決めた。

 彼は受話器を取り、交換手に告げる。

「帝国議会議事堂を」

 電話を受けた職員に用件を伝え、再び連絡が来たのは、一時間ほど後だった。

「珍しいではないか、おまえから連絡を寄越すのは」

 兄・忠行である。

「ひとつ、お願いがありまして」

「何だ?」

「占って欲しいのです」


 ――この陰陽師の末裔の兄弟には、奇妙なところがあった。

 明治三年布告の天社禁止令により、陰陽師という職業は消滅した。また明治五年、陰陽寮が定めた暦が廃止され、太陽暦が採用される。

 最後の陰陽師である彼の父は、それに最後まで抵抗していた。そして、政府上層部もいつかは、陰陽道で導き出した暦こそが正しいと考えを改めると信じ、まだ幼い長男・忠行に、その手法を伝授した。

 ところが父の死後、時代は移り、忠行は先進的な考えを持つ青年に育った。科学こそ正しく、陰陽道の占星術などは非科学的であるという価値観である。

 ……とはいえ、陰陽師直伝の彼の占いは、百発百中で当たるのである。

 家柄もあり、それを表立って公表しては天社禁止令に触れかねない。なので、彼の占いの腕を知るのは、弟の保憲くらいである。

 その兄もまた、弟の奇妙な癖を理解していた。

 幼い頃から常人離れした観察眼を持つのである。

 人の表情、言葉の端、視線、呼吸、そんな機微を敏感に読み取り、相手の考えている事を推理する。

 彼がそれを使うのは、戸棚に隠されたおやつを探す時や、兄を驚かせようとする時くらいであったが、成長してからも観察眼は失われなかった。

 社会に出てから、全ての人の感情が手に取るように分かってしまうという事は、非常な苦痛を伴う。それは人格形成にも影響し、妙に偏屈な人間になってしまった。

 それを知る兄は、引きこもりがちになった彼を屋敷に住まわせ、自分は帝国議員の活動がてら、あちらこちらと気ままに移住しているのである。


 そんな弟が、兄の居所を帝国議会に問い合わせてまで占いを頼むのは、人生始まって初めてである。

「占い? おまえらしくないではないか」

「いけませんか」

「いや、構わない。何を占えばいい?」

 保憲は事情を説明し、おゆきという名の踊り子が住んでいた地域を占って欲しい旨を伝える。

「荻島弁護士に頼まれた、製糸会社の会長の遺言の件と、繋がりがあるのだな」

「あの遺言状が、今回の事件の引き金になっている事は間違いありません」

「そうか……分かった。明朝までに電報で伝える」


 受話器を置き、保憲はふうと息を吐いた。

 彼が兄を苦手とするのは、脛をかじっている引け目だけではない。彼が唯一、考えている事を全く読み取れない人物だからだ。近頃では電話でしか話さないが、それは幼い頃からである。……だから、帝国議員という魔窟に於いても、やっていけるのだろう。


 さて……と、保憲は書斎に戻り、紙に何やら書きだした――事件関係者の相関図である。

 事件の全容はあらかた分かってはいる。だからこそ、今十三塚村で起こっている事が手に取るように分かるのだ。

 ……早くしなければ、彼――百々目が、死にかねない。

 そんな事になったら、土御門家の名誉にとって――いや、この国かもしれない――一大事である。

 蜘蛛の巣のようなその図を書き終えると、保憲は四つの名前を赤いペンの丸で囲む。

 半清一。

 大熊ゆき。

 名も知らぬ彼らの息子。

 そして、千代。

 この四人の関係が明らかになれば、事件は、解決する。

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