【拾参】第七ノ事件

(42)

 ……五月十五日の未明。

 激しく扉を叩く音で、集会所で眠る面々は起こされた。

「どうしたのだ」

 宿直の警官が、かさみのをまとった訪問者に問う。

 彼は答えた。

「殺人鬼の息子を、殺してやった」


 川上家よりももう少し山側の村道。

 泥水の中に、彼は伏していた。

 レインコートの背に、包丁を突き立てて。


 犯人――川上惣八は、百々目の問いに答えた。

「罪のないとし子は死んだのに、殺人鬼である半滋の息子が生きているのは、道理が通らないでしょう」

 それが、犯行動機だった。


 「全ての犯人は滋である」――。

 彼の遺した自白状の内容は村に伝わったのだが、その後の大骨博士の「他殺である」という見立ての後、度重なる事件に追われて、十分な捜査ができていなかった。

 そのため未だに村人たちは、滋が全ての事件の犯人だと思っていたのだ。

 百々目の後悔は、保憲の目からしても計り知れないものがあった。


 一通りの取り調べ後、川上惣八の身柄を前橋の県警本部に送る。

 それと入れ違いに、集会所に安置されている太輔と、母・馨子の対面があった。役場の狭い建物では、必ず犯人と遺族が対面してしまう。余計なトラブルを避けるためである。

 彼女はヨロヨロと役場に入ってくると、むしろに寝かせれて動かぬ息子を見下ろした。

「何で……屋敷を出たのよ……」


 その答えは、彼の上着の内ポケットにあった。

 雨に濡れても大丈夫なよう、丁寧に油紙で包まれて。


 ――拝啓 夏子様

 お加減はいかがでしょうか――


 そう始まる手紙は、詫び状だった。

 何度も何度も書き直したと思われる丁寧な字で、夏子の体を気遣う旨、祖父の通夜の晩の非礼を詫びる旨が、切々と書き記してあった。


 ――殺人犯の父を持つ私が、どのような言葉を夏子さんに贈ったところで、もう取り返しのつかない事は承知しています。今はただ、遠くから、夏子さんの幸せを祈っております――


 そう締めくくられた彼の真心からの言葉の真意は、恋心であっただろう。果たせぬ想いを絶つために、別れを告げずにはいられなかったのだろう。

 その文面を読み、保憲は悟った――太輔は彼に、この手紙を託そうとしていたのだと。

 昨晩、いすゞが半家を訪れた時に、保憲と共に雨で足止めを食っている、雨が上がれば明日にでも大骨博士を前橋まで送りに出ると、彼は聞いたのだろう。

 だが、使用人たちと行動を共にするいすゞにそれを預けられない。男の矜恃きょうじ、夏子への未練を使用人、そして村人たちに知られるのは恥と思ったのかもしれない。

 そこでこっそり屋敷を抜け出し、保憲に手紙を託そうとしたのだ。

 ――そこを、彼を殺す方法はないものかと偵察に来ていた川上惣八に、見つかってしまった。

 木陰に隠れ、一旦やり過ごした惣八は、用意していた出刃包丁を取り出し、その背中めがけて一息に――。


 事情を聞いた馨子は呟いた。

「おまえは私らの、最後の切り札だったのに。あんな女のために、なんでこんなつまんねえ死に方を……」

 その台詞に、保憲は眉をひそめた。

 『最後の切り札』というのが、清嗣翁の指定した相続人が女だった場合、彼と結婚させれば財産は手に入る、という意味なのは分かる。

 だが、私とは、誰の事か?

 なぜ彼女は、太輔を殺した犯人よりも、太輔の行動の方を責めているのだろうか?

 非常に嫌な予感が、保憲の胸をぎる。


 馨子は亡骸の傍らにくずおれ、泥で汚れた髪を撫でた。

「もうおしまいだ……全部、何もかも、私らの手の届かないところに行っちまった……これが呪いだと言うのかい……これが祟りだと言うのかい……」

 打算はあっただろう。しかし馨子が愛息子の胸にすがって慟哭する姿は、とても嘘には見えなかった。


 ◇


 馨子を送り届けてから、百々目は事務所に戻ってきた。

 保憲が掛ける言葉に逡巡しゅんじゅんしていると、彼は爆発した。

 椅子を蹴り倒し、机に散らばる書類を床にぶちまける。

「畜生! 畜生!」

 およそ彼らしくない言葉を吐きながら暴れ回る彼の頬を、保憲は平手打ちした。

「暴れてどうにかなるのは、赤ん坊だけですよ」

 ハッと手を止めた百々目は、バツが悪そうに頭を掻きむしる。

「どうして君はこの状況に冷静でいられるのかね?」

「あなたを見ていると、私くらいは冷静でいなければと思います」


 そこに大骨博士が入ってきた。

「他殺体は見飽きた。私はそろそろ東京に戻るよ」

 と傾いた机に、太輔の死体検案書を置く。

 この変態博士をもうんざりさせるほど、今回の事件は異常なのだ。

「あと、君に頼まれていたものだ」

 と、博士は保憲に書類の束を渡した。

「十五の白骨のうち、この村に持ってきた三体の所見だ。正式な書類でない事だけは念押ししておくぞ、一応署名はしてあるがな」

「十分です。ありがとうございます」

 軽くめくって確認しただけでも、死亡推定時期、死亡年齢、性別、身長、特徴、死亡原因、それに頭蓋骨から想像しただいたいの顔立ちまでもが描いてある。保憲は目を見張った。伊達に大骨博士ではない。


 雨上がりの虹の下、大骨博士と保憲といすゞは村を後にした。

 そしていすゞを老仏温泉に残し――夏子へ太輔の手紙を届ける、最も辛い役目である――、保憲は大骨博士と共に、前橋から東京に向かう列車に飛び乗った。今からならギリギリ、最終便に間に合うだろう。

 保憲の目的は、大熊一座のうち、行方不明となっている軟体人間――踊り子の少女の行方を追う事だ。


 この異常な事件を終わらせるには、一刻も早く清嗣翁の遺言に決着を付けるしかない。彼はそう考えた。

 ――この事件の根源は、やはりあの遺言にある。

 東馬雄二殺害の一件、そして太輔の亡骸を前にした馨子の言葉で確信した。

 「十三塚の祟り」はまやかしに過ぎない……はずだったのだ。


 事件は既に、犯人の思惑を超えている。


 こうなっては、誰にも事件を止める事は不可能だろう。

 ならば、彼にできる事は、疑問の余地のないまでの証拠を揃え、清嗣翁が遺言に託した意味を明らかにする事しかないと考えたのだ。

 百々目の不安定な様子は心配ではあったのだが、こればかりは彼の持って生まれた運命である。念の為、長谷刑事に念押しをしてきた。

 あとは、最悪の事態となる前に村へ戻れるよう、祈るしかない。


 これまでに知り得た情報の限り、彼女は東京の浅草近くに住んでいたと思われる……千代が彼女ので間違いないのであれば、であるが。

 絡み合う蜘蛛の巣のような人間関係と謎。それらを解きほぐすには、多方面から攻めなければならない。清一の息子と思われる人物の照会を頼んだ陸軍からは音沙汰なしだ。ならば、自分で動くしかない。


 蒸気機関車は夕暮れの山あいを抜け、電灯が灰色のバラックを照らす東京へと滑り込んだ。

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