(41)

 川上惣八は、向かいに姿勢正しく座る青年に深々と頭を下げた。

「正式に婚約もしてなかったのに、お参りくださるとは」

「いえ。とし子さんとの縁談をから手紙で知らされた時は、とても嬉しく思いました。幼い頃からとし子さんの気立ての良さをよく知っておりましたので、よくぞ彼女を選んでくれたと、義父ちちに感謝したほどです」

 青年――田中勝太郎は唇を噛む。

「今回の帰郷も、とし子さんを満州に連れて行くお許しいただくのが、主な目的でした。それが、こんな事に……」

 川上惣八はそこまで聞いて耐えかねたように、口元を押さえて声を震わせた。

「何で……何でとし子は、死なねばならなかったんでしょうか……とし子が……何をしたというんでしょうか……」

 勝太郎は軍服の折り目正しく居住まいを正し、毅然とした表情で惣八を見る。それでも返事をするのにしばらくの時間が必要だった。

「とし子さんは、何も悪くありません。悪いのは……」

 そこで一息つき、勝太郎は続ける。

「悪いのは、村の掟を破り、十三塚の怒りを買った者にあると考えます」

「…………」

 川上惣八は充血した目を勝太郎に向ける。

「今朝、義父から村の事情を聞きました。五十年前の、盗賊団を皆殺しにした事件も。――私は、義父の行いは立派だったと思います」

 勝太郎の視線は揺るがない。

「村を守るため、義父をはじめとする自警団のした行いは、一族として誇れるものであります。村を守る事は、すなわち国を守る事。そのためならば、多少の犠牲をいとってはなりません」


 ……田中常勝は今朝、彼を養子とする署名をする前、彼にこれまでの出来事を語った――おいよの件と、清一の嘘以外の全てを。

 己の行いを正当化し、彼らが行ったのはあくまで盗賊団を返り討ちにしたものであると、懇々と説明したのだ。

 純粋な勝太郎は、それを疑わなかった。そして新たなる父の行いを賞賛したのである。

 かたや川上惣八は、娘の通夜の晩、役場の前で東馬雄二の演説を聞いた。そして熊造の家の襲撃にも先頭立って加わっていたのだが、この時、彼はなぜそうなるに至ったかの原因を、全て東馬雄二が熊造を追い詰めたいがためにを吐いたせいだと確信した。

 人間とは、自分の属する集団には、正義の側に立っていて欲しいと考えるものである。そして時には事実を歪めて、自分たちは、自分たちのした行いは正しく、悪は別にあると思い込もうとするのだ。

 この時の惣八もそうだった。彼は熊造の死を東馬雄二のせいにして、自分は騙されたから仕方がなかったのだと、自分を納得させたのだ。

 おいよの件さえなければ、表面上、盗賊団の成敗である。彼の中でこの時、それがとなった。


 き物が落ちたように、川上惣八は顔を上げた。

「本当に、ご立派になられた」

 恐縮した様子で軽く頭を下げた勝太郎は続ける。

「私もこの村の生まれとして、村の苦境のお役に立ちたいです。それには、今起こっている『連続死』を、止めねばなりません」

「ですが、どうやって?」

 何気なく聞いた惣八だったが、勝太郎の返答を聞いて戦慄した。



 短く答えた勝太郎の言葉の意味するところに、惣八は身の凍る思いがした。

「そ、それは、この先もまだ人死ひとしには続くというんですか!」

「致し方ないと考えます」

 勝太郎は答える。

「今この村に起こっている災いの原因を、十三塚が崩れた事に端を発していると考えれば、十三塚を再建する事が、祟りをおさめる唯一の手段ではないかと」

「で、ですが、これ以上村から犠牲者を出すのは……」

 勝太郎は、惣八をなだめるように微笑んだ。

「人柱を、この村から出す必要はありません」

「…………」

「古来より、この村はを捧げて、十三塚を保ってきたというではありませんか。もちろん、これまでの犠牲者九名の、尊い御霊みたまは尊重せねばなりません」


 その意図を読み取った惣八は愕然とした。

 つまり、今現在、この村にいる余所者――で、残りの四名を足すべきだと。


 しばらく沈黙が二人を包む。

 やがて惣八は、ふうと大きく息を吐いた。

「あなた様の言う通りですな。それが宜しい。……ですが、そのうちの一人は、私に決めさせていただけませんか?」


 ◇


 霧雨は昼過ぎから本降りとなった。

 道が緩んで危険だと言われ、保憲もいすゞも大骨博士も、村から出られなくなってしまった。

「弱りましたな……」

 保憲は忌々しい目で窓を叩く雨粒を眺める。

 だが大骨博士は食事をしながらご満悦だ。

「いや、君の作る味噌汁は良い味をしている。旅館にも引けを取らない」

「あら、博士ったらお上手ですね」

 珍しく台所に立ったいすゞも、悪い気はしないらしい。

 役場の炊事場である。(他は知らないが)百々目の仕切る現場では、事件関係者から食事の接待を受けない決まりとなっている。そのため、寝泊りしている捜査員らの食事は、初めのうちは老骨温泉から仕出しを運んでいたのだが、集会所の炊事場が使えると分かり、自炊するようになったのだ。

 慣れない警官たちの料理よりも、財閥令嬢として恥ずかしくないだけの嫁入り修行をさせられているいすゞの方が、料理の腕は確かだった。

「おかわりありますよ」

「お願いします!」

 警官たちがお椀を差し出す。

 ――捜査本部に訪れた、ほんのしばしの憩いの時である。

 こんな事ならば、いすゞが取り寄せた紅茶のセットを持ってこれば良かったと思いながらも、保憲も百々目も、夕食に舌鼓を打つ。

 東馬雄二と佳衣の父娘おやこ、西宮司、そして滋の亡骸は、老仏温泉で荼毘だびに付す予定である。今この村に、彼らを弔える人がいないためだ。事件解決後、改めて葬儀を行うのだろう。

 火葬場のないこの村では、特例的に土葬を行っているようだが、村民墓地となっている十三塚神社の裏手の山に立つ真新しい墓標の数々が、ここ二週間足らずの惨劇を痛々しく物語るため、近頃は寄り付く者もない。

 皆早く、この事件を忘れたかった。

 何もなかった事にして、これまで通りの日常に戻りたかった。

 それは村人たちだけでなく、捜査陣も、保憲も同じだった。

 だから、この何気ない食事風景が、何よりも尊いものに見えるのだ。


 ――その晩は、保憲も大骨博士も雑魚寝の一員だが、さすがにいすゞはそんな訳にはいかない。

 かといって、この状況で、一人だけ別で休むのは危険すぎる。

 という訳で、千代を頼りに頼み込んで、一晩、半家の使用人小屋に泊めてもらう事となった。女所帯で大勢いるので、あそこなら安心だろう。


 雨の降りしきる中、夜は静かに過ぎていく。

 ――そんな中を、レインコートを身にまとい、ひっそりと村道を抜けていく存在に、誰ひとり気付く者はなかった。

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