【拾弐】第六ノ事件

(40)

 ハイヤーの行先を前橋から十三塚村に変更し、三人でやって来たのは東馬家の居間である。

 そこでは、愛娘に覆い被さるように、東馬雄二が事切れていた。

 傍らに立つ百々目は言った。

「服毒自殺――もしくは毒殺かと」

「毒殺!?」

 保憲は目を丸くした。

 これまでの五件の殺人――滋を含めると六件になるが、それに毒を使用されたものはなかった。何かが強く違和感を訴える。

 すぐさま大骨博士は遺体を観察する。皮膚の状態を確認し、吐瀉物の匂いを嗅ぐ。そして答えた。

硝酸しょうさんストリキニーネで間違いないだろう」

「それは……?」

殺鼠剤さっそざいによく使われるものだ。どの家にあってもおかしくない」

 博士の言葉に、百々目が傍らに倒れた徳利を指す。中身は全部流れ出て床を濡らしていた。

「酒に混入されていたのではないかと」

「徳利を鑑定に出せば、付着した成分からすぐに判明するだろう」

 百々目はすぐさま、長谷刑事に指示をする。


 保憲は少し離れ、ハンカチで口を押さえながら思った。百々目は血が苦手なようだが、私は死体自体が駄目なようだ。いすゞには、清一、その息子、おいよと思われる骨箱を預けて役場に待機を命じておいたが、それは正解だった。

 そうは言いながらも、彼は遺体をできるだけ目に入れないように、周囲を観察する。

 東馬雄二の下には、昨日東馬家を訪れた時と同じように、彼の愛娘の佳衣が、布団を被せられて横たわっている。

 その胸元に、玉串がひとつ。この玉串も、この村の祭具の多くがそうであるように、白ではなく赤い紙垂が結び付けてある。

 状況的には、ひとりで娘の弔いを行ってから、毒入りの直会を呷って娘の後を追ったように見える。

 だが……と、保憲は思った。

 誰がこの玉串を用意したのか? 彼自身が用意したのだろうか?

 しかし、熊造の一件で村じゅうから敬遠され、魂を失ったように背を丸めていた彼が、榊を取りに行き紙垂を折ったのだろうか?

 いや、どうもそうは思えない。昨日の様子では、そのまま娘と共にこの場で朽ち果てようとしている風にすら見えた。そんな彼が、積極的に娘を弔おうとしたのだろうか?


 案の定、その後の証言で、昨日の夕方「通夜はどうするのか?」と聞きに来た縁者にも、東馬雄二は何も返事をせず、その者はそのまま帰ったという事が分かった。……そして彼は、その時までは生きていた。

 そして決定的な事が、納屋を調べていた捜査員によりもたらされた。

「殺鼠剤がありました。しかし、これは未開封のものです」

「空瓶はないのか?」

「どこにも見当たりません。これが一本だけありました」

 つまり、毒は外部から持ち込まれた事が確定した。

 他殺である可能性が、非常に高まったのである。


「それから……」

 と、別の捜査員が手提げ金庫を示す。

「納屋の奥にこんなものが」

 それは酷く汚れていた。まるで土に埋めてあったかのように。

 捜査員の話によると、まさしくその通りで、土間に掘られた穴の中に隠されていたのだという。

かめで穴に蓋をしてありました」

 百々目はそれを受け取り、ダイヤルを回す。すると鍵は掛けられていなかったようで、パタリと蓋が開いた。

 ――その中を覗き込んだ保憲は息を呑む。

 貮拾圓にじゅうえん紙幣が隙間なく詰め込まれていたからだ。数千円は下らないだろう。

「これは……!」

 金庫を持って来た捜査員は、目を白黒させている。

「な、なんで納屋なんかに、これほどの大金が……!」

 総理大臣の月給が千円と言われていた時代である。寒村で馬の世話をして稼げる金額ではない。

「隠してあったところを見ると、後ろめたい金なのだろう」

 百々目も眉を寄せる。

「以前から気にはなっていました。夏子君へ矢文を送った騒動の黒幕を考えた時、彼が印象として最も相応しいのではないかと」

 保憲がそう言うと、百々目は目を見開いた。

「それは、つまり……」

「彼は、強請ゆすっていたのでしょう――馨子さんたちを」

 東馬雄二は、馨子と聡の関係を知っていたのだ。

 それをネタに……幼い愛娘を置いて長期間家を空けるとは考えにくい事から、恐らく前橋の馨子を脅迫し、これだけの金銭を得ていたのだろう。

「その上で、正義感から矢文を……」

 捜査員が周囲にいる状況で、それ以上は言葉にできない。


 ともかく、この小さな金庫のおかげで、彼を毒殺する動機のある人物が、浮上したのである。

 とはいえ、それが直接的に彼女の犯行を示すものではない。

「彼女を落とすには、確かな物証が必要だろう。だが……」

 百々目の言いたい事は、保憲には分かった。

 立て続けの事件に疲弊しきった捜査陣に、そこへ人手を割くだけの余力がないのだ。


 ……とその時。

 居間に入ってきた人影があった。

 彼は捜査員を押し退けて、重なり合う遺体の傍に寄ると、何かをその上に放り投げた。

 ――熊造の家を襲撃する前、村人たちの前で演説する時に東馬雄二が持ってきた、干からびた耳である。

 その人影は、歯のない口を動かし、ようやく聞き取れる程度の発音でこう言った。

「ワシじゃ……ワシと同じじゃ……」

 彼の祖父、東馬仁兵衛である。


 ◇


 別室で寝ていたため、すっかりその存在を忘れられていたらしい。

 部屋を移し、話を聞こうにも、だがまともな話し合いはできそうになかった。

「先程仰られた、『ワシと同じ』というのは、どういう意味ですか?」

「耳じゃ。左耳じゃ。ほれ、ここ」

 と自分の右耳を引っ張るといった具合である。

 当然、昨夜訪れたと思われる何者かの話など聞けるはずもない。


 仕方なく、百々目と保憲は事務所に戻り、いすゞを交えて調書を眺める事となった。

「第一発見者は、様子を気に掛け食事を持ってきた縁者で、今朝七時頃、彼の遺体を発見したそうだ」

「死亡したのは、昨夜の間に違いないと」

「大骨博士の見立てでは、昨夜十時頃だそうだ」

 そして、言いにくそうにいすゞが呟く。

「……やっぱり、馨子さんが……」

「今しがた、捜査員を十三塚城へ送ったのだが、事件が解決するまでは一歩も入れないと言ったはずだと、聡氏に追い出された。逮捕状を取るまでの証拠を揃えなければ、動けそうにない」

「現場の状況から何か掴めれば……」

 と、保憲は調書を睨んでいたが、ふと一人足りない事に気付いて顔を上げた。

「大骨博士は?」

「彼は、の死体を見に行った。……君たちは、見ない方がいい」

 百々目は険しい顔を見せる。

「亡くなったのは?」

「西宮司だ」

「彼は、どうして……」

「十三塚のあった川べりの崖から転落。履物が揃えてあったところを見ると、自ら飛び降りたのだろう」

 保憲も、その場所は見た。それなりの高さがあり、下にはゴツゴツした岩が重積している。遺体の状態は絵を見るように想像できた。

「第一発見者は喜子夫人。朝起きたら寝床が空になっていたのを不審に思い、境内を見て回り、発見したそうだ」

 そこで百々目はどこか意味深な表情を浮かべた。

「彼女の話によると、昨日、川上家と田中家へ葬儀に行った後から、どうも様子がおかしいと、気にしていたそうだ」

「昨日……」

 大骨博士が乱入したあの葬儀である。確か、田中家では既に儀式は終わっていたが、川上家では玉串奉奠が行われていたと聞く。当然、西宮司もその場にいたはずだ。

「警部補殿もその場へ行かれましたよね?」

「……生憎、私は大骨博士の手腕に注視していたため、彼の様子は深く観察していないのだ」

「…………」

 チラリと百々目へ目を向けた後、保憲は言った。

「妥当に考えれば、『六ツ塚』の呪いが西家へも降り掛かった場合に、ご内儀とお腹の子を守るために先に……といったところでしょうが、それだと矛盾があります。既に犯人……滋さんが死亡しているのは、知らないはずがないでしょうから」

「川上家とし子さんのお葬式の場で、何かあったんでしょうね……」

 いすゞも百々目に目を向ける。すると彼は気まずそうに天井を仰いだ。

「私が何かを見落としていると言いたいのだな……」

「いえいえ、そんな事は……」

「ですです、そんな事は言ってませんよ……」

 嫌な空気を振り解くように、いすゞが話題を変える。

「喜子夫人は、大丈夫なんですか?」

「夫の酷い有様を見てしまったからな。お腹の子の事を考え、しばらく老仏温泉の療養所で安静にした方がいいと、運ばれて行った」

「ですけど、心配ですね」

 いすゞが呟く。

「喜子夫人の事かね?」

「勿論、それもありますけど……」

 保憲には、彼女の言わんとしている事が分かった。


 ――滋の死によって終わったと思われた事件が、まだ続いていたのである。

 村人たちにとっては、それが他殺であろうが自殺であろうが、関係ないだろう。


 彼らの不安は的中し、村人たちの間に、再び恐慌が広がろうとしていた。

 そしてそれは、川上惣八――桑畑で無惨な最期を遂げた、川上とし子の家の居間から、再燃しようとしている。

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