(38)
その後、村にもう三つ他殺体があると聞くと、
「埋められる前に見ておかねば!」
と、大骨博士は役場を飛び出していった。
「……何なの、あの人」
いすゞは唖然としている。そんな彼女の肩をポンと叩き、
「とんでもなく頼もしい助っ人だ」
と、百々目もすぐに博士の後を追った。
……博士はまず、田中家へ駆け込んだ。そして儀式が終わり、葬列の相談をしている参列者を押し退けるように前に出て、棺の友吉を覗き込む。
「な、何だね君は!」
田中常勝が声を上げた。だが、
「東京からお越しの法医学博士です」
と百々目が答えると、彼は口を
大骨博士は遺体の硬直状態、頭の傷の具合を見て、すぐさま見立てを論じた。
「背後から一撃か。それなりに力のある男の犯行だな。右利きで、多分だが、剣道の心得があるではないか。そういう印象を受ける太刀筋をしている。だが、背後から隙を狙ったところを見ると、腕は大した事ないな。傷の角度から、身長は百六十センチメートルくらいだろう。凶器はよくある鉈だな」
呆然とする一族を残し、大骨博士は続いて川上家へと向かった。
「あー、これはこれは、男と名乗るのも恥ずかしい犯人だな。首を絞められる時、彼女は抵抗もしていない。身を穢された事に絶望して、死を迎え入れたのだ。抵抗もしない
……百々目も驚いていた。
これまで分からなかった犯人像が、こうも的確に判明するとは。
「死体は生きている人間以上にものを言う。何より嘘偽りを言わぬのが良い。君もそう思わんかね?」
……人間性が欠如していなければ、もっと
最後にやって来たのは、東馬家である。
熊造殺しを煽った結果、村に
布団を被せられた愛娘の小さな亡骸の傍で、魂を失ったように座り込む東馬雄二は、大骨博士と百々目が入って行っても、顔を上げる事すらなかった。
大骨博士はスイカのように割れた彼女の頭を見て、即答した。
「真正面から鉈で一撃、か。力加減、傷の向きからして、中年男を殴った犯人と、同じ人物の仕業に違いない」
◇
事務所に戻った百々目は、先程とは別人のように生き生きとしていた。それは、いすゞに昨夜の事情を話していた保憲が目を丸くするほどだった。
――半滋が犯人である可能性が、極めて低くなったのだ。
捜査は振り出しに戻ったと言っても過言ではない。
彼は手早く死体検案書に大骨博士の見立てを書き込み、犯人像を詳しく記述していく。
更には、半清嗣翁の現場写真も大骨博士に見せた。
「この老人……」
写真と彼の死体検案書を見比べて、大骨博士は眉を寄せる。
「自害ではないのか」
「……え?」
「どうもそのように思えるのだが」
「なぜですか? 切腹するには不自然な仰向けに倒れていた上、傷口は複数ありました。それに、検死をした医師の話では、時間をかけゆっくりと短刀を刺した跡があったそうです」
「そうだろう、そうだろう」
「…………?」
この変人博士の考えている事は理解に苦しむと、百々目が写真を睨んだ時。
「……なるほど、そういう事ですか」
と、保憲が言ったから、彼は目を丸くした。
「どういう事なのだ?」
「つまり……」
と保憲は、両手を握り拳にし縦にふたつ並べて腹に当てる。
「私も気になっていました。殺害されようとしているのを防ごうと、被害者が短刀を押し返したのなら、もう少し抵抗の跡があるべきだと思っていたのです。血溜まりには、犯人と
「だが、ゆっくりと腹に短刀を刺す痛みに耐えられる人間がいるだろうか?」
「もちろん、耐え難い苦痛だったでしょう。彼は早く死を迎えたかった。――それを、邪魔した人物がいたのです」
「――――!」
保憲が腹に当てた拳を動かす。
「清嗣翁は自害しようと短刀を腹に押し込む。犯人――と呼んでいいかは分かりませんが、その人物は、その翁の手を握り、こう、手前に引っ張っていたのです」
「その結果、ゆっくりと短刀を刺す事態になったと!」
「そうそう、そういう事」
と言う大骨博士の視線は、既に別の写真に置かれている。
「この老女は分かりやすいね。背後から紐状のもので一息に殺して、川に捨てたんだろう。しかし、皮膚病が酷い。海外では治療薬が研究されていると聞く。もう少し長生きしていたら、彼女の生き様も違っていたかもしれないな……」
と言ってから、彼はふと顔を上げた。
「そういえば、老仏温泉で見た白骨にも、この皮膚病の所見がある骨があったぞ」
「さすがですね……」
「それはいい。軟体人間の骨はどうなった? あれを目的に、はるばるここまで来たのだが」
◇
その後、保憲といすゞは、大骨博士と共に老仏温泉へ戻った。紀ノ屋で一晩過ごしてから、明朝、十五の白骨の安置されている萬永寺に向かう事となったのだ。
先日こっそり持ち出した、銃創のある骨を返さねばならないと、保憲も付き従う事にした。
風変わりな博士のおかげで百々目のやる気は蘇ったし、熊造の一件で村人たちもすっかり大人しくなった。しばらくは大丈夫だろう。
ここ数日、ろくに休めていない体を温泉で癒し、柔らかい布団に体を伸ばす。二等室とはいえ、捜査本部の雑魚寝に比べれば天国のようだ。
とはいえ、道みち説明はしてきたが、大骨博士ご所望の軟体人間の骨はないだろう。東馬雄二の話によると、踊り子はあの惨事の場にはおらず、半清一と共に姿を消している。彼はガッカリしていたが、保憲は彼に、もうひと仕事してもらおうと思っていた。
半清一と思われる骨の特定である。
大骨博士ならば、写真の特徴からその人物の骨格がどのようなものであるか、見分けてしまうのではないか。
せめて清一の骨は半家の墓に納めてやりたいと、そう考えたのだ。
保憲は目を閉じ、物思いにふける。
東京を離れてから随分と時が過ぎた気がする。とはいえ、大骨博士の活躍で事件は大きく進展した。先は明るい。もう間もなく、事件の真相は明かされるだろう。早く自宅の庭園で、こだわりのミルクティーを飲みたいものだ……。
◇
ちょうどその頃。
十三塚村の入口の橋を、ある人物が渡った。
彼は夜更けの農道を真っ直ぐに進み、ふたつ目の分かれ道の角にある屋敷の前で足を止める。
そして、大戸を叩こうとした手を止めた――何かがおかしい。
この村の家々に、夜、明かりが灯っているなどどいう事はあり得ない。特に役場。以前は空き家同然だったあの建物が特に明るい。
ただ事とは思えない。
大戸の隙間に見える光が、彼を警戒させたのだ。
しかし、ここは彼の家。わざわざ帰郷したというのに、遠慮する必要はない。
彼は思い切って大戸を叩いた。
すると、すぐに足音がした。くぐり戸が開き、見慣れた顔が覗く。古くからの使用人である。
彼女は大きく目を見開いた。
「坊っちゃま……ご立派になられて……」
すぐに旦那様を呼んできますと中に導かれ、彼が待つこと一分足らず。
玄関に現れた田中常勝に、彼は背筋を伸ばし、手を額に当てて敬礼した。
「――
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