【拾壱】死体ノ告白

(36)

 半家の座敷に一族が揃ったのは、遺言状が開封されて以来のようだった。

 あの日以来、半馨子は部屋に引き籠もり夫にすら姿を見せず、半聡の妻の静代は夫を避けるように、別室で寝起きしていたのだ。

 そして新たに加わったのは太輔だ。彼もまた、両親とは別の部屋で過ごしていた。この日初めて、バラバラになった一族の様相を前にして、彼は唇を噛み顔を伏せた。


 口火を切ったのは馨子だ。彼女は百々目に冷めた顔を向けた。

「あんたが昨日、あいつをうちに帰さなければ、何人か死なずに済んだんじゃないの」

「何人か?」

 百々目の眉が吊り上がる。馨子は唇を歪めて嘲笑う。

「だってそうでしょ? 厩番の娘が生きてたら、熊造も死ななかったんだし、あんたは犯人を死なせずに逮捕できて万々歳。バカじゃないの」

 だが百々目は表情を固くしただけで、言い返そうとはしなかった。そこで代わりに保憲が、

「滋さんに佳衣さんを殺す事は不可能では?」

 と、滋を迎えに来た太輔に目を向ける。だが彼は、申し訳なさそうに首を竦めた。

「帰る途中、父はどこかに行ってしまったのです。すぐに追いましたが見失ってしまって。急いで帰り母に相談したところ、放っておけば良いと」

 ……という訳は、その直後に田中家の裏口から侵入したとすれば、佳衣殺害は可能、という事である。

「そこに書いてあるんでしょ? お義父さまも、きよめの婆も、女工の娘も、酔っ払いも、厩番の娘も、全部やったって」


 一同の前に置かれた書置き。一筆箋ほどの小さな紙に、

『五人を殺しました。ごめんなさい』

 とだけ、震えるような筆跡で書かれていた。


「では、どの事件でも構いません、滋さんが外出されたのを見掛けられた方は?」

 保憲が問うが、あらぬ方を向いたり顔を伏せたり、誰も答えようとはしなかった。


 すると痺れを切らした聡が低い声で言った。

「自殺なのだろう。そして、自白もある」

 その表情は、怒憤りを押し殺しているようでも、立場のない二人を嘲笑うようでもあった。

「俺を犯人扱いしておきながら、何だこのザマは。もうウンザリなんだよ。出て行ってくれ。次にうちの敷居をまたぐ時は、事件の真相を隅から隅まで、全部揃えて持って来い」


 ろくな現場検証もできないまま、彼らは屋敷を追い出される事となった。検死だけは行うと了承を取り付け、養蚕研究所に向かう。

 滋の遺体が縄から下ろされる横で、保憲は屋根裏の様子を目に入れておくのが精一杯だった。そこは、合掌造りの屋根の部分を利用した養蚕場である。孵化した蚕が這う木箱が並べられ、桑の葉を食む音と独特の匂いに満ちていた。

 ただ、昔ながらの合掌造りと違うのは、荷運びの作業効率を上げるためだろう、かぎの付いた滑車が、梁に取り付けられたレールにぶら下がっている事だ。

 こうして、滋の遺体だけは役場に運んだのだが、立て続けの呼び出しで本来の仕事が間に合わないと、老仏温泉の医師に検死すらも断られてしまった。


 こんな様子だから、捜査員たちの士気が保てるはずもない。更には、百々目が彼らに出した命令に、警官たちを代表し、前園巡査長が異議を申し出た。

「捜査員の拳銃の所持を禁止するとは、一体どういう了見ですか?」

 抑えてはいるが、彼の口ぶりには怒りが込められている。一方、百々目の声に力はない。

「村人との衝突は、何があっても避けなければならない」

「しかしですな、これは殺人事件の捜査なのですよ。我々も危険を覚悟でここにおります。それはお分かりですか?」

「犯人は死んだ。事件は終わったのだ。我々に残されているのは残務処理だけだ」

 百々目の返答に、だが納得できない様相を前園巡査長は浮かべる。立て続けの事件に疲弊しているのは、百々目だけではないのだ。前園巡査長をはじめとする捜査陣一同も、疲労の極致にあると言っていい。

 溜まりかねたものを吐き出すように、前園巡査長は百々目に食ってかかる。

「前々から言おうと思っていましたが、この際はっきりと言わせていただきます。――なぜ、本部の応援を呼ばれないのですか。交代人員がいないため、我々はずっと泊まり込みですよ。車に乗れる者は交代で帰宅もできる。しかしほとんどの捜査員は、この一週間、家にも帰っていない。幼い子を持つ者もいます。病気の親を持つ者もいます。勿論、警察官である以上、それなりの覚悟はしております。しかし、この状況で士気を保つのは無理があります。少しは我々の事も考えていただきたい!」

「本部長には何度も応援要請を出している。だが一向に返事がないのだ――済まない」

 先に謝られてしまっては、それ以上は言えない。前園巡査長は渋々ながらも矛を収め、事務所を出て行った。


 その集会所では、捜査員たちが隅に集まって雑談に耽っていた。村人たちは敵となり、十三塚城への出入りも禁じられてしまった以上、捜査が停滞するのは当然だった。

 はっきりと自害と断定できる熊造の亡骸だけは、おぬいと同じく、十三塚のあったあの地へ埋葬したのだが、検死のできない滋の弔いは、いつになるかの見通しすら立たない有り様だ。家族からもすっかり見捨てられた男は、集会場の片隅の冷たい床に置かれ、むしろを掛けられ放置されていた。

 そんな風でも昨夜よりは、村人たちの罵倒と投石がないだけマシなのだ。彼らが熊造を犯人と決め付け自害に追い込んだ直後に、真犯人が見つかったのである。それに心を痛めていないとすれば人間ではない。


 今日は田んぼに人影もなく、村は異常なほどひっそりと静まり返っていた。

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