(4)

 話し終えた蘆屋いすゞは、保憲が淹れ直した紅茶をポットからティーカップに注ぐ。

「その後、神社の裏手の崖崩れの現場も見ましたけどね、白骨に繋がるようなものは何もなく……」

「だろうな」

 保憲の返答に、増岡編集長といすゞは顔を見合わせた。

「何が『だろうな』、なんです?」

「証拠を残すはずがない、という意味だよ」

 二人は保憲の貧相な顔を見据えたまましばらく固まった。

「……ど、どういう事で?」

 すると保憲は手を叩いて使用人を呼んだ。すぐさま現れたのは、フロックコートの痩せた老紳士――執事の浅尾あさおである。

を持ってきてくれないか」

かしこまりました」

 呆然とその背を見送る二人をよそに、保憲は安楽椅子を揺らし手を組んだ。

「そもそも、その西という宮司は、なぜ君に『十三塚は空だ』と説明したのかね?」

「えっ……」

「発見された骨は死後五十年ほど。千年も昔の骨など、関係ないではないか」

 いすゞはハッと息を呑んだ。

「確かに」

「ならばなぜ、西宮司はその話を君にしたのか。……他に隠したい事があるからに相違ない。そこで思い当たるのが『十三』という数字だ」

 そこに浅尾が戻ってきた。彼の手にあるのは、黄ばんだ古い新聞だった。

「我が家は物持ちが良くてね。明治からの新聞、しかも東京だけでなく、近隣の地方紙も集めて、一通り捨てずに保管してある。時折、帝国図書館などからも資料の問い合わせがあるくらいだ。これは明治七年の上毛じょうもう日報――ああ、ここだ」

 と、彼が示した記事には、旅芸人一座の様子を写した写真が印刷されていた。見出しには『大熊おおぐま一座ノ前橋公演ハ大盛況ニ終ル』とある。

「……これがどうかしたんですか?」

「ないのだよ」

「何が?」

「分からんのかね」

 保憲は呆れた表情をいすゞに向けたが、彼女に分かるはずもない。ムスッと口を尖らせ、渋々降参というように両手を挙げた。

「分かりません。何がのか、ご説明いただけませんか?」

 だが保憲は得意気な表情をするでもなく、さも当たり前のように答えた。

「続報だよ。この大熊一座の次の公演先の記事がどこにもないのだ」

「……はぁ」

「いいかね。この大熊一座というのは長崎の旅芸人一座で、支那シナ仕込みの軽業かるわざを見せると評判だったのだよ。だから行く先々で話題となり、地方紙によっては一面を飾るほどだった。ところが、この前橋公演を最後に、プツンと消息が途絶えている」

 再び増岡編集長と蘆屋いすゞは顔を見合わせる。そして互いの意志を確認したように、いすゞは保憲に顔を戻した。

「……調べたんですか、五十年も前の地方紙を」

「うち‪にある新聞や書籍には一通り目を通してあり、だいたい頭に入っている。今、かつて気になっていた記事を思い出した」

 その言葉に、いすゞは驚愕と呆れを半々に込めた目をした。

「よくもまあ、事件にもなっていないのに気付きましたよね……」

「仕事のない暇人なのでね」

 不貞腐ふてくされたようにそう言うと、保憲は再び安楽椅子に身を預けた。

 一方、増岡編集長は脂ぎった目をギラつかせて、保憲の前に身を乗り出す。

「つ、つまり、その大熊一座というのが五十年前に失踪しており、去年老仏温泉に流れ着いた白骨であると」

「いや、それだと人数が合わない。この記事によると、一座は老若男女合わせて十三人。十五人ではないし、傷痍軍人の件は説明がつかない」

「しかし、調べる価値はありますぞ!」

 増岡編集長はそう言うと立ち上がった。そして、

「この新聞、しばらくお借りしても宜しいですかな。大熊一座の足取りを調べてみます。……いやあ、このひと月ばかり、我々も色々と調べてはみたのですが、全く手掛かりすら掴めず、先生の『神通力』を頼ろうとなった訳ですが、さすがのお手並みですな!」

 と、息せき切った様子で屋敷を出て行った。


 残された蘆屋いすゞは、おもむろに紅茶を飲み干した後、保憲に囁いた。

「……私があの村を不気味に思ったの、十三塚神社の件だけじゃないんです」

「と言うと?」

「さっき、村に人気ひとけがないと言ったでしょ? あれ、余所よそから来た私を警戒して、村の人がみんな、家に隠れてたからなんですよ。それで、引き戸の隙間から、そっとこっちを覗いてたんです」

「…………」

「まぁ、私はこの通り、大女ですから目立ちはしますけどね。それにしても、いくら何でも異常じゃないですか? ……どうも私も、あの村には何か秘密があるような、そんな気がするんです」

 保憲は冷めた紅茶にミルクを垂らし、スプーンで混ぜながら渦を眺める。

「世の中には、触れてはならない事というのは存在する」

「いきなり何ですか? 先生らしくない」

「これでも陰陽師の家系なのでね。多少の信心はある」

 いぶかしむいすゞの方を向きもせず、保憲はティーカップに口をつけた。

「そういうのを突っつくと、ロクな事がないのだがね」

「でも編集長、ノリノリですよ? 先生のせいで」

「つい言ってしまってから、やはりまずかったのではないかと反省しているのだ」

 ティーカップを一息に空にした保憲は、投げ槍に安楽椅子に身を投げた。

「それに、面倒事は嫌いだ。――そうだ、明日からしばらく旅に出る。熱海がいい。南国の空気を吸ってくる。編集長にはそう伝えてくれ」

「…………」


 ――ところが、その夜。

 旅支度を始めた保憲の元に、足枷となる一本の電話が掛かってきたのである。

「……ああ、保憲。息災にしているか」

 兄・忠行である。いい歳をしてすねかじっている自覚はあるため、保憲は思わず姿勢を正した。

「明日、会って欲しい男がいる」

 その名を聞き、保憲は絶望した。

 ――荻島おぎしま参太郎さんたろう

 半製糸工業の顧問弁護士である。

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