(3)
いすゞの言葉に、えも言われぬ空気を感じ取り、土御門保憲は思わずゾクッと首を竦めた。
「それはどういう訳なのかね?」
「昔から、あの村に行くと帰って来られないみたいな、変な噂があるんですって」
「何か根拠となる出来事でもあったのかね?」
「さあ。詳しくは教えてくれなかったんですけどね。その運転手さん、とにかく昔からそういう村だから関わるのはやめておけと」
「で、どうしたのかね?」
「
何でも金で解決する。蘆屋いすゞという記者の強みである。
「でも、行ってみたら何て事はないただの
「それで、村で何を調べてきたのかね?」
◇
――蘆屋いすゞが
この冬は比較的雪が少なく、人通りの少ない山道でも自動車が通れないほどではなかった。だがハイヤーは村の手前で停車し、運転手はいすゞを振り返った。
「村の入口にある橋は、自動車が通れないんですよ、木造ですのでね」
そこでハイヤーを降り、待つよう運転手に心付けを渡してから、彼女は
村へと続く一本道を進む。正面に
集落へは、小屋の前の、これまた架け直されたばかりに見える木造の橋を渡る事になる。強度もだろうが、幅からして自動車の通れるものではない。リヤカーが
橋の下の片口川の流れは穏やかだった。碧く透んだ水が橋脚の土台石に当たって渦を巻く。
そこを渡った橋の向こうは恐ろしく静かだった。田畑が雪で覆われているから、野良仕事ができないのだろうが……。
それにしても
彼女は谷間に張り付くような村落を見渡す。左手の西側と正面奥の北は山になっており、右手の田んぼが広がった先の東側斜面は桑畑だろうか。南側は湿地になっていて、時期になれば菖蒲でも咲くのだろう、尖った葉が芽吹いている。
いすゞは村をぐるりと一望した後、とある場所に目を向けた。左手の山の斜面に石段が這っていて、その先に鳥居らしきものがある。神社なら、神主か誰かがいるかもしれない。彼女はそちらに足を向けた。
ペンキの剥げた板張りの建物の角を、左に逸れる道に進む。その先は再び橋だ。といっても、今度は吊り橋である。渓流を
ようやく渡った先の古い石段も苔むしすり減っており、踏み外さないよう慎重に上る。
……と、ある奇妙なものが目に入り、彼女は足を止めた。いや、神社にこれがあるのはおかしくはないのだが、奇妙なのは色だ。
――鳥居に下げられた
そこに垂れた
通常、紙垂とは白いものである。赤い紙垂など見た事がない。
白々と反り立つ石の鳥居と真っ赤な紙垂。その組み合わせの違和感が、軽い運動で上気した肌を粟立たせるほど不気味だった。
その時――。
「どちらからお見えですかな?」
掛けられた声にハッと視線を送る。鳥居の脇で
いすゞは一呼吸置き、よく通る声で答えた。
「東京の神田書房という出版社で記者をしております蘆屋と申します。十三塚の事を取材させていただきたく、お伺いいたしました」
竹箒の人物は、この神社の宮司だった。
普通、神職の普段着は
十三塚神社の社務所の座敷である。
脱いだコートを膝掛け代わりに、蘆屋いすずも
彼女の
「外から来た人には不思議でしょう。神職の着物といったら普通白ですから。ですが、うちの村では『白』という色を使う事が禁じられているのですよ」
「それはなぜですか?」
「この村は、平家の落人を始祖とする隠れ里です。白は源氏の色。平家としては忌々しい色ですので」
「なるほど……」
千年も昔の因果を未だに守っているとは。半ば呆れた気持ちを表情に出さないよう、いすゞは意識しなければならなかった。
すると障子が開き、いすゞよりも年下と思われる若い女が湯呑みを運んできた。宮司の娘だろうか、それとも
茶を受け取り礼を言うと、西宮司は彼女に申し付けた。
「
「かしこまりました」
静々と退がった彼女を見送り、西宮司はいすゞに顔を戻す。
「老仏温泉に流れ着いたという、白骨の件でしょう?」
いすゞは驚いた。すると再び宮司は笑う。
「この半年、警察やら役人やら、色々な方が訪ねて来られましたからな」
一応警察も、事情を聞きには来たらしい。いすゞが十三塚の事を知ったのは前橋の役場であるから、役人が調査に来たのは納得がいった。
「その度に、我が家に伝わる書物をお見せして、ご説明したのですがね」
間もなく喜子が戻ってきた。手にした
西宮司はある頁を開くと、いすゞに示した。そこには墨書きの達筆で、つらつらと文字が
「ここに記してあるのですが、この神社の裏手にある――というより、あった、ですな。『十三塚』には、何も埋まっておらんのです」
この村が築かれたのは、平安時代の末期。
源氏の追及を逃れこの地に隠れたのは、平家の武将とその部下十二人、そして彼らの親きょうだい妻子たち。
彼らは農民に身をやつし、田畑を
――彼らがなぜこうも
そこで彼らは申し合わせた――自分たちは元々ここに住んでいる土民であり、平家の落ち武者は流れ着いたものの全員死んだという事にしようと。
村の西山にある、片口川を見下ろす崖の上。その少しばかり
これが、十三塚の由来である。
「……ですから、名こそは十三塚となっておりますが、何も
「えっ……」
「確かに、先の地震と台風で、十三塚はすっかり崩れ落ちてしまいましたが、そんな訳で、老仏温泉に流れ着いた白骨には、全く心当たりがないのですよ」
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