(2)

「奇妙な骨?」

 眉を寄せる保憲に、彼は更に得意げに語る。

「ええ。先程も言いましたが、それらの骨は死んでから五十年以上経っているという見立てなんですがね、ひとつだけ、そうするとどうも説明がつかないものがありまして」

「ほう?」

 増岡編集長は額の汗を拭いながら、すっかり冷めた紅茶を口にした。

「その博士、かつて日露にちろ戦争に従軍医として出征しゅっせいしていたそうで。その時の経験からとされる彼の考えを聞いたんですが、私からすると、どうも変態的なこだわりのあるように思えるのですがね」

「というと?」

銃創じゅうそうを見れば、それがどの銃による傷かが一目で分かると言い張るんですよ」

 保憲は首を傾げた。編集長の「博士が変態」という意見に同意した訳ではない。「その程度の区別が付くくらいで変態扱いをする編集長が奇妙な生き物に見えた」からである。彼自身、妙にこだわりが強い面があり、それを理解されない事に辟易へきえきしている節があったのだ。

 しかし、それを指摘するのは面倒なので、彼は先を促した。

「それで、博士は何と?」

「奇妙な骨というのは、腸骨ちょうこつ――いわゆる骨盤と呼ばれる部分です、そこに銃弾が貫通したとしか思えない穴がありましてね。それが、ロシヤの軍用銃による傷だと言い張るんですよ。写真を見ましたが、私なんかからすると、何が何やらさっぱり」

「…………」

「ロシヤで銃創と言えば日露戦争でしょう。確かにその仏さん、土石流に巻き込まれても形を保っていたくらいガッシリした骨格をしていたので、日露戦争に出征した傷痍しょうい軍人なのだろうと、医学博士はそう仰るんですがね。すると、合わないのです」

 保憲は冷めたティーカップの中で揺れる茜色の波紋を眺める。

「――日露戦争はたかだか二十年前の出来事ですからな」

「左様。その骨だけ、地中に五十年埋まっていたという説と合わないのですよ」

「その方は、戦死されているのですか?」

「いや、博士によると、傷の位置や状態から致命傷ではなく、負傷してから何年かは生きておられたようです。しかし、腰への負傷ですからな、びっこを引いていたんじゃないかと」

 五十年より前の骨が十四と、二十年より後の骨がひとつ。なるほど、ミステリィの題材としては面白そうだと、保憲は思った。

「どちらにせよ古い骨ですがね。どこかの墓地が崖崩れで流されたのだろうと、博士はそう言っていました」

「その可能性のある墓地については調べましたか?」

 すると、蘆屋いすゞがオホンと咳払いをした。説明を編集長に引き取られてしまった面目躍如めんもくやくじょとでもいうように張り切って返事をする。

「ええ、勿論。片口川の上流で、崖崩れの起こった箇所を全部調べましたよ。そうしたら、それらしい場所がひとつ」

「ほう」

 彼女はクリッと大きな目を保憲に向けた。

「――十三塚とみつか村の十三塚」

「聞いた事のない名だな」

「先生でも知らないんですか。私、現地調査に行きましたけど、とんでもない山奥で、しかも、外との交流がほとんどない閉鎖的な集落でしたよ……気味が悪いくらい」


 ここで、十三塚村について、蘆屋いすゞ記者が調査結果を発表したのだが、かいつまんで説明する事にする。

 ――十三塚村は、平家の落人おちゅうどをその始祖とする隠れ里である。前橋の北、沼田より更に山奥の、片口川のほとりに張り付くように存在する、人口二百人足らずの小さな村だ。

 その歴史は先述したように、源平合戦の時代にまでさかのぼるほど古い。壇ノ浦で敗れたか、あるいは壇ノ浦まで行き着けなかった平家の落ち武者が逃げ延び、人目を忍んで住み着いたのである。

 平家狩りを恐れ、集落の存在を明かさぬよう外との関わりを絶ち、細々と自給自足の生活を送ってきた。かまどの明かりが洩れて他へ知られてはならぬため、日没後は火を焚く事を禁じていたほどだ。

 そんな彼らの生活は徹底を極め、何と江戸の半ばまでその存在が知られていなかったというから驚きである。

 江戸中期以降は近くの沼田藩に編入され、彼らにも年貢が課される事となった。しかし、自給自足を行ってきた貧しい寒村である。年貢として差し出す米を作る耕作地もない。

 そこで彼らは、かいこを飼う事にした。

 上州は元々養蚕の盛んな地域で、藩からその手解きを得ると、勤勉な村人たちは見る間に製糸産業を発展させていった。それを年貢とし江戸に送られると、十三塚の生糸は評判となった。

 とはいえ、源平合戦の頃から村に根付いた伝統がある。

 徳川幕府を開いた神君しんくん家康公は、源氏の流れを汲むとされている。鎌倉幕府以降、征夷大将軍は源氏が任じられるものとされているからである。

 つまり、平家の末裔である十三塚の人々にとって、幕府は敵なのだ。

 そのため、いくら評判になろうとも、村に外部の者を入れる事はなく、名を売る事もなく、ただひっそりと、年貢用の生糸を紡いできたのである。

 ――そんな十三塚村に変化が訪れたのは、明治はじめになか清輔きよすけという人物が、西洋の製糸技術を取り入れた事からだ。

 それは大きな評判を呼び、たちまち前橋に大きな工場を持つまでになった。

 この清輔氏こそ、日本の近代養蚕業の父と呼ばれる、『半製糸工業』の創設者なのだ。

 彼は閉鎖的な村の人々に配慮し、前橋に本社を置いた。そしてどういう訳か、十三塚村の出身である事を公言しなかった。そのため、歴史に名を刻む偉人を生んでおきながら、十三塚村は、一向に名を知られないままなのだ。


 一通り話を聞いた土御門保憲は、淹れ直した紅茶を口にしながら蘆屋いすゞを見た。

「で、気味が悪いというのは?」

「私、前橋からハイヤーを雇って十三塚村に行こうとしたんですけど……あ、もちろん電車もバスもない山奥なので。そしたら……」


 ――ハイヤーの運転手は、青ざめた顔で振り向いた。

「お嬢さん、悪い事は言いません。あの村へ行かれるのはおしなさい」

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