11.告白

 振り返ると――紗菜さながいた。浩之の浮気相手の。忘れられない、顔。


「浮気していたのは、あんたじゃない!」

「……何を言っているの?」

「その人、弁護士でしょう! 何よ、つきあっていたのね! ずるいずるいずるい! あんたばっかり!」

「つきあっていないわよ、何を言っているの?」

「あたし、浩之に別れようって言われたの! 離婚したから、あたしと結婚してくれるって思ってたのに! あの家も、あたしと一緒に住んでくれると思ってたのに売るって言っているの。あんたのせいよ! ひどいひどいひどい‼」

 紗菜は泣きながら、わたしに向かって来た。

「危ない!」


 斗真とうまが、わたしと紗菜の間に入った。

 紗菜が斗真にぶつかったように見えた。

 カシャンと音がして、カッターナイフがアスファルトの上に落ちた。からからからと転がっていく。

「と、とうま……だいじょうぶ?」

「ああ、服がちょっと切れただけだ。こんなもんじゃ、人を殺せないよ?」

「……うううう」

 紗菜は泣き崩れた。

「……浩之さんと、別れたの?」

「お前みたいな感情的な女は要らないって言われた。もう若くもないし、とも言われた」

「くそだな」と斗真がぼそっと言った。

「ねえ、あなた、でもまだ二十代でしょう? 若いわよ?」

「でも、もう駄目よ! 浩之と結婚するつもりだったのに! 好きだったの。本気だったのよ!」



 紗菜はさんざん泣き喚いたあと、立ち去った。

 ここへはわたしたちを見つけて偶然来たらしい。――もっとも、カッターナイフを持ち歩いていた、という点は怖すぎるけれど。

「……別れちゃったんだね」

「まあよくある話だよ」

「そう。――あの子、なんで浩之さんとつきあったのかしら?」

「……そういうしのぶも、なんで結婚したの? ――あいつと」

「……なんでかなあ。つきあってすぐにプロポーズされて、まあいいかなって思って結婚しちゃったんだよね。友だちも結婚が続いていたし。……わたし、あの子みたいに浩之さんのこと、好きだったのかどうか、自信ないや」

「――なくていいよ」

「え?」

 斗真はにっこり笑うと、「じゃ、部屋、探しに行こう?」と言った。



 次の週末も斗真といっしょだった。悠もいっしょだった。

 三人で、住む場所を探して回っていると、なんか変な錯覚に囚われた。何度か夫婦に間違われ、そのたびに否定した。


「……変だよね? こんなに年離れているのに。斗真は若いけど、わたしは、もうおばさんだから。いろんな意味で」

「……なんで、そんなふうに言うの?」

「だって、そうだから……」

「しのぶは紗菜さんを若いって言ったけど、しのぶだって充分若くてきれいだよ。――な、悠! まま、きれいだよな?」

「うん! まま、きれい! かわいい! さいきんのまま、とくにかわいい!」

「だよなー」

「子どもの言うことだから」

「そうやって自分を否定するのやめなよ。しのぶはきれいだよ。僕の目には、紗菜さんよりずっと若くてきれいに見えるよ」


 斗真の言葉にどう答えていいか分からずにいたとき、後部座席のチャイルドシートから悠が言った。

「ねえねえ、さんにんですむおうち、さがしているの?」

「悠! 違うわよ。ままと悠と二人で住むおうちだよ」

「ふーん、そっかあ。ぼく、とうまくんがいっしょだと、たのしいなっておもったんだ」

「ゆ、悠!」

「そうだね、きっと楽しいね」

「でしょう?」

 悠は斗真といっしょにふふふと笑う。……なんか、焦っている自分がばかみたいだと思った。


「それで、部屋、どうするの?」

「ぼくね、さいごにみたところがいいな!」

「あ、わたしもいいなと思ったの。職場にも近いし、保育園にも近いし」

「僕んちにも近いよ」

「やったあ!」

 わたしが何か言う前に悠が、言う。

「……そうなんだ」

「そうだよ。――ごはん、食べて帰る?」

「あ、うん」

「そこのファミレスでいいかな?」

「ぼく、はんばーぐ、たべる!」

「よし!」



「それで、結局部屋はどうするの?」

「うん、やっぱり、さっき言っていた部屋かな?」

「とうまくんちにちかいしね!」

 悠はにこにこしながら、言う。――この子はこんなに明るい子だっただろうか。……これが本来の姿だったのかもしれない。とすると、斗真には本当に感謝しなくては、と思った。


 それぞれ注文したものを食べ、最後飲み物を飲んでいるとき、悠が言った。

「ぼく、がちゃがちゃしてきたい」

「お子さまハンバーグを頼んだら、ついていたやつ?」

「そう!」

「じゃあ、行こっか」

「ぼく、ひとりでいくの。だって、ねんちゅうさんだよ?」

 悠はそう言うと、ぱっとコインをつかんで行ってしまった。

 心配げに見ていると「だいじょうぶだよ」と斗真が言う。「悠はすごくしっかりしているよ」

「うん」


「……ねえ、しのぶ」

 真剣な声に、視線を悠から斗真に移した。

「――好きだよ」

 その瞬間、周りから音が消え失せ周りの情景も消え失せ、そして斗真のことしか見えなくなった。


 好きだよ。


 斗真の言葉をきっかけに、突然過去の情景が蘇った。

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