9.食事会

 離婚をして数週間が経った。

 各種手続きも終わり、ほっと一息をつく。


「そろそろ、部屋を探そうかな」

「ずっとここにいたらいいのに」

 母はわたしにコーヒーの入ったカップを差し出しながら言った。

「ほらほら、こうやって甘やかされちゃうから」

「コーヒー淹れてもらったり?」

「そうそう。誰かに淹れてもらうコーヒーって、おいしいんだよね。誰かに作ってもらう、ごはんも」

「ふふふ。よかった。――あのね、しのぶ」

「うん」

「今日ね、杏子きょうこ呼んだの、夜ごはん、いっしょに食べようと思って」

「杏子さん、ものすごく久しぶり! お礼言わなきゃ。嬉しいな!」

「うんうん、それでね。斗真とうまくんも来るのよ」

「……え⁉」

「昔はよく、こうしていっしょにごはん食べたりしたのよお。懐かしいわ」

「う、うん」

 なんとなく、斗真に会うのは恥ずかしいような気がした。



 食事はみんなで楽しく食べられるように、と手巻き寿司にした。ゆうが食べられるようにとお刺身だけじゃなくて、ソーセージや卵巻きも用意する。

「ぼく、いくらすき!」と言うので、いくらを多めに買ったりもした。サラダ菜やきゅうりなどの野菜も用意する。テーブルいっぱいに具材が並んで、なんだかとても幸せな気持ちになった。


「ぼくもおてつだいする!」と悠が言い、母が「じゃあ、海苔切ってくれる?」と海苔とはさみを悠に渡す。最近はさみを上手に使えるようになった悠は、喜んで海苔を切る。一枚一枚、ゆっくり真剣な顔で切っていた。酢飯の甘い、いい匂いがリビングいっぱいに広がっていた。

「おいしそうだな!」と父が言い、「ほらほら、手伝って!」と母が言う。父が笑いながら、お皿を並べたりお箸を用意したりする。

 笑い声が家中に響き渡っているような、そんな気持ちになって涙が出そうになった。

 父と母の気持ちが、悠の気持ちが、とても優しくわたしの心に入り込んできた。


 そのとき、チャイムが鳴って、わたしはどきっとした。

 母がいそいそと玄関に迎えに出る。

 楽し気な話し声とともに、杏子さんとそして斗真が姿を現した。

 私服姿の斗真を見たら、なんだかまたどきっとしてしまった。スーツ姿しか見ていなかったので、なんだか新鮮な気持ちがした。


「あの、いろいろありがとうございました」と、わたしが言うと杏子さんが「いいのよお! だいじなしのぶちゃんのことだもの!」と言って、わたしの頭を撫で、「しのぶちゃんこそ、疲れたでしょう。よく頑張ったわね! もう頑張らなくていいのよ」と言った。

 じわっと涙が滲んだ。

 ……ありがとう。


「さあさ、食べましょう!」

 母が言って、みんな席についた。

「ぼくねえ、おにいちゃんのとなりにすわる!」

 悠はなぜか斗真の隣に座った。

「悠、おじいちゃんの隣に来ないかい?」と父が言っても

「ううん、ぼくおにいちゃんのとなりがいい!」とにこっとして、席に着いた。

 わたしは自然に悠の隣に座ったので、悠を挟んだ向こうに斗真がいた。……なんか、変な感じ。


「ぼくね、のり、きったんだよ!」

 悠はなぜか斗真にばかり話しかける。斗真は悠に優しく応える。悠はとても嬉しそうだ。……「ぱぱはいつもいないじゃん!」という悠の言葉が思い起こされる。父親はいたけれど、実質的にはいないも同然だった。悠はずっとさみしかったのかもしれない、と思ったら、また涙が出そうになった。

 そのとき、斗真と目が合う。斗真がにこっと笑ったので、わたしも笑顔で返す。

 うん、よかった。

 こんなふうに明るくごはんを食べることが出来て。


「ぼくね、いくらすきなんだ!」

 悠はいくらをたっぷり乗せ、そして案の定こぼす。

「こぼれちゃった!」

 こぼれたいくらを拾おうと思ったら、斗真が先にさっと拾ってお皿に乗せた。

「ありがとう」

「どういたしまして」

「おにいちゃん、ありがと!」

 悠もにこっとしてお礼を言う。

「うん、どういたしまして」

 斗真も笑う。

 悠は「じゃあ、おれいに、おにいちゃんにいくらの、つくってあげる!」と、斗真のお皿に海苔を乗せて酢飯を乗せて、いくらを乗せてあげた。

「お! ありがとう!」

「どう

 その様子に、みんなが笑った。悠はだいたいきちんと話すのだけど、「どういたしまして」だけは、まだ「どう」になるのだ。そこが本当にかわいかった。



「あのねえ、ぼくね、おにいちゃんにおねがいがあるの」

「何?」

「ぼく、おおきなこうえんにいきたい。うまもいるんだよ」

「大きな公園?」

「あ、たぶん、総合公園のことだと思う」と、わたしは斗真に言い、それから悠に「馬がいて、うさぎさんもいて、餌をあげられるところだよね? 前に遠足で行った」と話しかけた。悠は目をきらきらさせながら、「うん!」と言った。

「そこね、ずっと行きたいって言っていたんだけど、わたし、車運転出来なくて、ずっと連れて行ってあげられなかったの」

「そうか。……じゃ、来週、行く?」

「うん!」

 悠は行く気満々で、元気に頷いた。

「え? いいの?」

「いいよ」

「あ」

「何?」

「わたし、不動産屋さん行こうと思っていたの」

「部屋探すの?」

「うん、そう。……実家だと、甘えちゃうから」

「……いまは甘えてもいいと思うけど。……じゃあ、不動産屋は公園の帰り、いっしょに行こう」

「いいの?」

「うん、もちろん!」

「……ありがとう」

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