6.一番大切なこと

「では、まず慰謝料について」

「はい」

「慰謝料は夫と不倫相手に対して請求する、ということでよろしいですね?」

「はい。……それぞれに請求出来ないんですね」

「そうです。たとえ、それぞれに請求しても、合計金額は越えられません」

「そうなんだ」

「婚姻期間が六年で、不倫の結果離婚するのでお二人に三百万円請求しましょう。……不倫期間が長いですから、もっと上げてみますか?」

「……ネットを見ると、相場は二百万から三百万って書いてあったわ。……もめないかしら。もめると長引くわよね。わたし、出来るだけ早く離婚したいの」

「では、養育費を多くもらう方向にしますか? 財産分与に上乗せをするとか」

「うまくいくかしら?」

「そのための弁護士ですよ」

 斗真とうまがにこりとする。


 その笑顔を見ていると、小さい頃の斗真が思い起こされ、思わずくすっと笑ってしまった。

「どうかしましたか?」

「ううん。斗真くん――菅原さん、すっかり大人だなあ、と思って。わたしの後をついてきていた、あの小さな斗真くん、じゃなくて菅原さんしか覚えていないから」

「斗真でいいよ。……あのとき、僕は小学校一年生だったよ。何年経ったと思ってるの?」

「――二十年くらい? もしかして」

「そうだよ。最も僕は、母親同士の交流から、しのぶちゃんの写真、見ていたけどね」

「えっ⁉ わたしは知らないけど」

「僕は写真、撮らせなかったからね。しのぶちゃんはたくさん写真撮ってもらっていたでしょう?」

「あー、うん」

 思い返せば、母に何かにつけ、写真を撮られていた、気がする。

「まあだから、僕の方はしのぶちゃんの近況を知っていたわけだよ」

「……お母さん……!」


 わたしは母のにやにや笑いを思い浮かべて、溜め息をついた。でも次の瞬間、笑いが込み上げてきて、くすくす笑ってしまった。

美咲みさきさん、いいお母さんだよね」

「うん。――すごく、たすけられてる」

「よかった。……しのぶちゃんが幸せになることが一番だよ」

「え?」

「美咲さんも言っていたけど、相手を憎んだり相手の不幸を願ったりするより、しのぶちゃんが毎日笑っていられるのが一番いいよ。――でも、もらえるものはもらいましょう」

「はい!」


「……今日、ゆうくんは美咲さんのところ?」

「うん、そう」

「……よかった」

 斗真は目を細めた。あ、その顔、杏子きょうこさんに似ている、と思った。いろいろ終わったら、杏子さんにも挨拶に行かなきゃな、と思った。



「では、次に悠くんのことについて決めていきましょう」

 仕事モードになり話す斗真の顔を、じっと見つめた。斗真は、わたしの年収と浩之の年収と悠の年齢から、養育費の相場について話した。それから、親権や戸籍のこと、面会について話が進んでいく。


「悠くんの単独親権は認められると思います。面会については、話し合いのとき決める形でよろしいのですね?」

「はい。夫がどう思っているのかわからないし、でも悠の父親であることは変わりがないので」

「戸籍は、旧姓にしたしのぶさんの籍に入れる、と。手続きを忘れないようにしましょう」

「はい」


「養育費は月十二万円要求しましょう。しのぶさんの場合、相場は八万円から十万円ですが、その一つ上を。それから、実際にかかる養育費が多くなることにも備えましょう。将来、例えば悠くんが公立学校ではなく私立学校進学をする可能性もあります」

「いいわよ、公立で」

「いいえ。何らかの事情で私立進学を望むかもしれません。また、塾などの習い事にお金がかかるかもしれません。ですから、取り決めた内容を『強制執行認諾文言付公正証書』に残しつつ、『都度協議する』という文言も入れましょう。――ところで、離婚を前提とした別居を視野に入れていますよね?」

「はい。出来るだけ早く家を出たいです」


「離婚を前提とした別居中であっても、収入の多い方に『婚姻費用』を請求することが出来ます」

「そうなんですか?」

「そうです。……そうですね。しのぶさんの場合ですと、十六万円から十八万円ですね」

「そんなに?」

「はい。婚姻関係にある限り、婚姻費用の分担は夫婦の義務となるのです」

「そうなんだ……」



「財産分与についても決めておきましょう。まず、共有財産となるのが、自宅にある現金、共有名義の不動産、結婚後に購入した家財道具、美術品などです」

「美術品はないし、家財道具は――新しいのを買いたいわ」

「では、現金の取り分を多くしましょう。ご自宅の名義は夫だ、ということでしたが、これは実質的共有財産となります。自家用車や婚姻期間中の預貯金や有価証券、生命保険や個人年金、退職金、それから子どもの学資保険も対象になります」

「……全然分からないです……」


「そこをきちんと調べてください。ご自宅の不動産価値と住宅ローンの残高も」

「……わかりました……わたし、駄目だなあ。そういうの、全部夫に任せきりだったわ」

「通帳の場所も分かりませんか?」

「分かると思う。――きちんと調べてみます」

「……美咲さんに手伝ってもらったらいかがですか?」

「確かに! 母はそういうの、得意だったわ!」

「では、調べておくことのリストを作成してお渡ししますね」

「よろしくお願いします!」



「まだまだやることも決めることもたくさんありますよ」

 斗真はにっこりと笑った。

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