5.決意
「それで、気持ちは決まったの?」
土曜日、また実家にいた。実家に行くと言うと、浩之は心なしか嬉しそうだった。
「うん。離婚しようと思う。……もうね、顔を見るのもつらいんだ」
「そりゃあ、そうでしょうとも」
「……布をかぶせても、ソファ座れないし。でも、
「うんうん」
「仕事辞めていなくて、よかった」
「そうだね」
「じゃ、市役所で離婚届もらってこよっと」
「違う!」
「え?」
「え、じゃなくて。何のために、
「えーと、証拠を掴むため?」
「そうじゃなくて」
「あ! 養育費! 養育費もらわないとね!」
「そうそう。それから、慰謝料も」
「そっか。そうだよね。――なんかね、それよりも早く家を出たいんだよね」
「でも、これからお金、要るわよ?」
「……うん。あ、お母さん、興信所のお金ありがとう。後で返すよ」
「それはいいのよ。返してくれるとしても、全て終わってからで。でね、子育てに必要なのは、頼りにならない夫より、お金よ!」
母がそう力強く言ったとき、隣の部屋で悠とパズルをしていた父が、飲んでいたコーヒーを噴き出していた。母はそんな父を見て、「まあ、お父さんは違うけどね!」と笑った。わたしも笑う。悠もよくわからないだろうけど、笑っていた。
「そうか、子育てに必要なのは、夫よりお金、か!」
「そうそう」
「浩之さん、いないのも同じだったもんなあ。悠、『ぱぱはいつもいないじゃん!』って言ったのよ」
「ふふ。……あのね、しのぶ。今だから言うけど、浩之さんと結婚するって言ったとき、しのぶが泣くようなことにならないといいなって思っていたのよ」
「え?」
わたしは飲みかけていたコーヒーカップを置いた。
「……なんか、気に入らなかったのよねえ。自分にしか興味なさそうで」
「言ってくれたら、よかったのに」
「子どもが出来たら変わるかと思ったのよ」
「全く変わらなかったよ」
母と目を合わせて、くすっと笑う。
「ともかく、斗真くんに相談しなさい」
「――分かった」
半休をとって、弁護士事務所へ向かう。
「こんにちは」
「よろしくお願いします」
「心は決まりましたか?」
「はい。離婚したいと思います」
「……そうですか。かしこまりました」
「はい」
「離婚には、まず、双方の話し合いで決まる協議離婚があります。話し合いで合意出来なかった場合、家庭裁判所に申し立てをして調停委員を介して協議し離婚する調停離婚となります。それでも合意出来なかった場合、裁判所の審判による審判離婚となります。しのぶさんの場合、法定離婚原因にあてはまりますので、審判離婚で離婚は確定し、裁判離婚まではもつれこまないでしょう」
「裁判所……審判離婚じゃなくて調停離婚でも、すごく時間がかかりそう……」
「そうですね。協議離婚で、決着がつくよう、準備をしましょう」
斗真はそう言うと、わたしの目をじっと見た。
「うん。……出来るだけ早く、離婚したいの。いっしょにいるのも、もうつらくて」
「……そうですね。協議離婚は早く離婚出来る、手続きが簡単であるなどのメリットがあります。話がこじれやすかったり、離婚条件についての取り決めが不十分で離婚後にトラブルになることが多かったりするなどのデメリットもありますが、これは私どもに依頼されておりますので、ご安心いただけます」
「はい、お願いします!」
「まず、離婚の意思を伝える前にご準備いただくことがございます」
「不倫の証拠はこの間の調査内容で充分でしょう?」
「ええ。民法第七七〇条第一項に法定離婚原因として、配偶者に不貞行為があったとき、配偶者から悪意で遺棄されたとき、配偶者の生死が三年以上明らかでないとき、配偶者が強度の精神病にかかり、回復の見込みがないとき、その他婚姻を継続しがたい重大な事由があるとき、という五つの原因が書かれています。しのぶさんの場合、この『配偶者に不貞行為があったとき』にあたります。興信所の調査報告書は決定的な証拠ですので、有利に進めることが出来ます」
「はい。あの、配偶者から悪意で遺棄されたときって何ですか?」
「生活費を渡さないとか、同居を拒むような場合ですね」
「なるほど! それはなかったわ。じゃあ、あと、その他婚姻を継続しがたい重大な事由とはどんなものがありますか?」
「暴力や、セックスレス、親族との不和や長期間の別居などですね」
「……わたし」
「何でしょう?」
「わたし、悠を産んでから、……あの、……セックスレスだったの。これ、不利になるかしら?」
「拒んだのはどちらですか?」
「拒んだっていうか……子育てに夢中で、全然覚えていないのよ。大変だったの」
「……お母さまから、一人で子育てをしていた、と聞いておりますが?」
「そうね。一人で何もかもしていたわ。育児休業を取得したから、なんとなく成り行きで」
「民法第七五二条に、夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない、と定められています。つまり、夫婦には協力義務があって、お互いに支え合って生活を営むことが義務づけられているんですよ。――ねえ、しのぶちゃん、なんでそんなやつと結婚したの?」
「え?」
急に斗真の態度が変わって、わたしは斗真の顔をまじまじと見た。
斗真はにこっと笑うと、咳払いを一つして「失礼いたしました」と言った。「では、次に有利に離婚するための準備をいたしましょう」
「は、はい!」
「離婚の話を切り出す前に、先に考えをまとめておくことがたくさんあります。お金に関しては、慰謝料は誰にどれだけ請求するか、養育費はいくら請求するか。それから、財産はどう分けるか、ですね。家は持ち家ですか?」
「はい」
「家をどうするか、ということも考えておいた方がいいです」
「わたしは住むつもりはないけれど。それに、夫の名義だし」
「実質的共有財産になるので、財産分与の対象になりますよ」
「そうなの⁉」
「そうです。ただ、ローンがどのくらい残っているか、売却した場合の評価格はいくらかによってまた扱いが異なってきます」
「はい。……あの、もしかしてたくさん考えなくちゃいけないこと、ある?」
「ありますよ」
斗真はにっこり笑って「頑張りましょう!」と言った。
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