4.ぱぱはいつも――

「はあ? 何それ! ありえない!」

 公園で子どもたちを遊ばせながら、マナと話す。

 保育園の帰り、ちょっとだけ話せない? とマナに言うと、「今日はダンナ、遅いからいいよ」と言ってくれたので、公園に立ち寄った。夏で、まだ日が高いのでたすかった。子どもには聞かせられないから、公園で遊ばせている間に話すのがちょうどよかった。

 マナに、旅行後の顛末を話すと、マナは自分のことのように怒ってくれた。


「しのぶさ、完全にワンオペだったでしょう」

「うん」

「うちはさ、ダンナが休みのときは、ダンナがいろいろやるのよ」

「保育園の送り迎えもしているよね。すごいなあって思っていたの」

「いや、当たり前だから、それ! ……変だと思っていたのよねえ。だって、しのぶの旦那さん、休日も何もしないんでしょう?」

「うん、疲れているからって。それか休日出勤だった。……まあ、それもどうも女と出かけていたみたいなんだけど」

「ありえないから、それ!」

「わたしが旦那さんを放っておいたから、浮気したのかなあ」

「ちょっと! 何言ってんの! ワンオペの上、旦那さんの面倒みるとか、意味わかんないから! しっかりしなさい、しのぶ」

「……うん。育児休業、長く取り過ぎたのかなあ。公務員だと、三歳までとれるから、つい最大限とってしまって」

「いいじゃない。悠くんといっしょにいたかったんでしょ?」

「うん」


 だけど、だから、浩之は何もしなくなってしまったように感じた。育児休業を取った方が、家事も育児もやるんだと、そう無言のうちに言っていた。

「ねえ、育児休業とった方が、家事も育児もするって、思ってない?」

「……違うの?」

「違うよ。それでも協力してやっていくんだよ! しかも、しのぶの旦那さん、悠くんが生まれたくらいから、その女とつきあっていたんでしょう?」

「うん、そうみたい」

「あああああ! だから、それ、ありえないから! 一番かわいくて、でも一番大変な時期に! ――復讐よ!」


「え?」

「復讐するのよ、しのぶ!」

「どうやって?」

「同じ思いをさせてやるの! しのぶも浮気したら?」

「えー、何言ってんの。悠もいるし、無理だよ」

「……まあ、それは冗談だけど。――離婚するの?」

「なんかね。忘れられることと、忘れられないことがあるんだなって思ったよ」

 調査してもらったのは、はっきりしたという面ではよかったけれど、でもわたしの中にどうにも修復し難いものを残した。



 わたしが、悠の夜泣きで寝不足になっていたとき、夫は女といたのだ。

 悠が風邪をひいたときも、怪我をしてしまったときも。

 初めて寝返りをうった日も初めてはいはいをした日も初めて歩いた日も。

 わたしが嬉しくて話す悠のことを、そういえば、ほとんど興味なさそうに聞いていた。

 浮気も許せないけれど、自分たちの子どものことよりも優先することがあったことが、一番許せなかった。

 保育園を探す手伝いもしてくれなかったし、保育園の送り迎えも全てわたしだった。わたしも、なんだかうっかりそれが当たり前に思ってしまっていた。育児休業をとったし、時短勤務だから、と。



「家族って、なんだろうなあ」

 わたしが言うと、マナは「いっしょにいて、楽しいって感じ?」と笑った。

 そうか。

 わたし、浩之といても、少しも楽しいと思えなかった。


 悠がわたしに手を振って、走ってきた。悟も走ってきた。

 そろそろ帰る時間かな、と思う。

「マナ、ありがとう、聞いてくれて。――ないしょにしておいてね」

「うん、わかってるよ! いつでも話、聞くよ」

 マナと悟に手を振って別れる。



「ねえ、悠」

「なあに、まま」

「ぱぱがいなくなったら、どうする?」

「ぱぱはいつもいないじゃん!」

 悠は無邪気に笑って言った。

 衝撃が胸を貫いた。

 そう言えば、保育園の参観日も、浩之は行ったことがなかった。保育園の場所を知っているのかもあやしかった。朝、三十分だけ会うだけの父親。

「ゆうはね、ままがいればいいんだよ」

 悠はつないだ手にぎゅっと力を込めて、笑う。

 


 そうか。

 わたしがいればいいんだ。

 わたしも悠の手をぎゅっと握る。

「ゆうね、まま、だいすき!」

「ママも、悠が大好き!」

 涙が出そうだった。



 小さな手。

 かわいい声。

 まま、だいすき、だって。

 わたしも悠が大好き。


 赤ちゃんの悠。夜泣きで大変だった。でも愛おしくて。

 一歳の悠。散歩に行くのが大好きだった。どこまでも歩いて行こうとした。

 二歳の悠。活発になって、毎日公園に行った。

 三歳の悠。友だちが大好きで。保育園に行き始めて、友だちが増えて楽しそうにしていた。

 四歳の悠。どんどんやんちゃになっていく。男の子だなあと思う。

 そして、五歳の悠。元気で活発だけど、とても優しい子。どんどん大きくなっていく。少しずつ。


 ――ぱぱはいつもいないじゃん!


 そうか。

 そうだね。

 どの大切な瞬間にも夫はいなかった。


 ――ゆうはね、ままがいればいいんだよ。


 うん。

 分かったよ、悠。

 ママ、頑張るよ!

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