2.母のアドバイス

 実家に行くと、いつも歓待される。

 わたしは一人っ子だったので、両親にとってゆうはただ一人の孫だ。だから、いつ行っても、とにかく喜んでくれる。それが今は本当に救いだった。



「それでどうしたの?」

 悠と父がお風呂に入っているときに、母がお茶を差し出しつつ、言う。

「あー、うん」

「浩之さんと何かあったの?」

「……旅行がなくなってね、家に帰ったのよ」

「うん」

「浩之さん、浮気してた――若い女と」

「……見ちゃったの?」

「見ちゃった」

「写真、撮った?」

「撮ってない」

「駄目よ、ちゃんと証拠を押さえておかないと!」

「……出来なかった。それどころじゃなくて」


 わたしは母が入れてくれた緑茶を飲んだ。

 懐かしい味がした。

 ぽろっと涙がこぼれた。

 すると、後から後から、涙が出てきた。

 夫が浮気をしているなんて、思いもしなかった。全く気づいていなかった。


「……全然、気づかなかった」

「うん」

「……いつから浮気していたんだろう? 家にまで呼ぶなんて――ずっと前から?」

「……どうだろうねえ。でも一回や二回じゃなさそうだねえ」

「仕事だって言ってたのに。忙しいんだなあって、ずっと思っていたのに。だから、育児もワンオペだって思っていたけど、それでも頑張っていたのに。これまでの休日出勤も、もしかして浮気していたの?」

「……それは調べてみないと分からないねえ。――しのぶは、どうしたいの?」

「……分からない。でも、今日は帰りたくなかった。――いや、帰れないよね。女がいるところに、悠を連れて」


 ふいに、怒りが込み上げてきた。

 浮気も許せないけれど、わたしたちの家に浮気女を連れ込んだことが許せなかった。

 あのソファで、わたしも悠もくつろぐのに。ソファって、家の中でだいじな場所だと思っていた。その家を象徴するような、家族が笑い合う場所。そこで、夫は見知らぬ女と抱き合っていたのだ。――いつから? もしかして、こういうことは何度もあったのかもしれない。そう思うと、身体が震えるような怒りが込み上げてきた。


「……許せない」

「え?」

「なんか、ものすごく、許せなくなってきた。――離婚する!」

「まあまあ」

「……何よ、悠のために離婚するなって言うの?」

「そうじゃないよ。離婚するにしても、ちゃんと準備してからの方がいいよ」

「準備?」

「そう。今離婚しようと思っても、浮気の証拠もないよね? 見ただけじゃ、弱いと思うよ。一回だけだって言われたらそれまでだし。いろいろ調べてからでも遅くはないよ」

「うん」

「……とりあえずさ。弁護士に相談してみたら?」

「弁護士?」

「そう。わたしの友だちのね、息子さんが弁護士をしているんだよ」

「へえ」

「しのぶも知っているはずだよ。小さい頃、いっしょに遊んだから」

「え? 誰?」

斗真とうまくん。菅原すがわら、斗真くん。わたしの友だちの、杏子きょうこの息子の」



 ふいに幼い頃の記憶が思い起こされた。

 母と杏子さんは仲良しで「親友なの!」って言い合う仲で、わたしが中学生になるまでは、母とわたしと杏子さんと、それから杏子さんの息子の斗真とよくいっしょに遊んだものだった。わたしが中学生になって、なんとなく母親に連れられて行くより友だちと遊ぶ方が楽しくなって、部活も忙しくなって、一緒に行かなくなってしまったけれど。斗真はかわいい子だった。わたしのあとをちょこちょことついてきて。



「斗真くんって、わたしが六年生のときに一年生くらいじゃなかった?」

「うん、そう。しのぶの五つ下かな?」

「ということは、二十七で弁護士?」

「優秀なのよ」



 母は「じゃあ、杏子に連絡しておくね! 明日は日曜日で、明後日も有休取って休みって言っていたよね?」と言い、スマホを操作した。

 そのとき、「おふろ、おじいちゃんとはいったよー!」って、かわいい足音が聞こえてきた。

 悠。

 悠のためにも、わたし、しっかりしなくちゃ、と思う。

 わたしは悠をぎゅっと抱き締めた。



 目の奥に、夫と女の姿が焼き付いて離れない。うちのリビングの、ソファで、だなんてやっぱり許せない。

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