幸せはコーヒーの香りとともに ――サレ妻が、愛されて幸せになるまで

西しまこ

1.浮気発覚!

「ごめんね、せっかくの旅行だったのに」

「ううん、いいの。そもそもマナがチケット持っていたんだし。ここまで送って来てくれて、ありがとう、マナ。悠、自分の荷物、持てる?」

「うん!」

 ゆうは自分のリュックを背負うと、開けたスライドドアから、ぽんっと下りた。わたしも、荷物を持って下りて、車のドアを閉めた。

 助手席にはマナの息子のさとるがぐったりと横たわっていた。

「お大事にね」

「うん、家でゆっくり寝かせておけば大丈夫だと思う。ただの風邪だって、お医者さまも言っていたし」

「さとるくん、げんきになったら、あそぼうね!」

 悠は助手席の悟に手を振った。

「うん、またね! 悟に伝えておくね! じゃあまたね」

 マナは開けていた窓を閉めると、手を振って車を発進させた。


 今日は、保育園のママ友であるマナと、その息子の悟と、わたしとわたしの息子の悠と、四人で一泊旅行に出かける予定だった。マナとわたしは仲の良い友だち同士だったし、悠と悟も同い年でとても仲良しだったのだ。マナが「宿泊チケットもらったんだけど、旦那と休み合わなくて行けないの。一緒に行かない?」と言うので出かけたけれど、途中悟が、急に調子が悪くなり発熱し、病院に行ったりして結局「帰ろうか」ということになったのだ。


「さとるくん、だいじょうぶかなあ」

「病院でお薬もらったし、インフルエンザでもないから大丈夫だよ」

「うん! また保育園で会えるといいな」

「そうだね」

 悠は優しい子だ、と思う。

 旅行をすごく楽しみにしていたのだけど、結局旅行に行けなくても、友だちの心配をまずしている。わたしは荷物を持っていない方の手で、悠の手をぎゅっと握った。

「じゃあ、おうち帰ろうか」

「うん!」

 家の近くのスーパーの駐車場で下ろしてもらったので、そこから歩く。朝早く出かけたけれど、もう夕暮れになっていた。

「今日は外で何か食べようか?」

「ハンバーグがいいな」

「そうしよう! とりあえず、荷物、重いから置いてこようね」


「あのね、まま。ぼく、おにわであそんでいてもいい?」

「いいよ」

 家に着くと、悠はそう言って、リュックを背負ったまま、庭で遊び始めた。

 ずっと車の中で座っていて疲れたのだろうな、と思う。

 わたしは愛しさでいっぱいになりながら、玄関を開けた。


 荷物を玄関に置いて行こう――と思ったら、見知らぬ靴があった。きれいな色のハイヒール。仕事だと言っていた、夫の靴もある。

 急に心臓がばくばくした。


 わたしはそっと家に入った。音を立てないように。

 胸が押しつぶされるように、痛い。

 リビングをそっと見る。

 リビングのドアはガラスが入っているので、扉を開けなくても、中が見えるのだ。



 若い女がいた。

 そして、浩之ひろゆきは――わたしの夫は、女に濃厚なキスをして、それから女の服を脱がせ、リビングのソファに女を押し倒し女の胸に顔をうずめ――見たくない。

 わたしは女の甘い声と夫の甘い囁きが聞こえないように耳を塞ぎ、そっと家を出た。


「まま?」

 玄関を出ると、悠が駆け寄ってきた。

「にもつ、おいてこなかったの?」

「あ、うん――ねえ、悠、おばあちゃんち、行こうか?」

「え! いいの?」

 悠は目を輝かせた。

「その代わり、今からまた電車に乗ってお出かけだよ。ちゃんと静かに乗ってられる?」

「だいじょうぶだよ! ぼく、もうねんちゅうさんなんだよ!」

「えらい!」

 わたしは家からとにかく離れたくて、駅へと向かった。

 駅で母に電話すればいい。

 実家が近いことを今日ほど有り難いと思ったことはなかった。



 浩之さんが、浮気していた――

 しかも、自宅に女を連れ込んでいた。随分若い子だった。

 ……いつから?



 わたしは動揺を悠に悟られないよう、無駄に明るく楽しい話をしながら、実家へと向かった。電車はわたしと悠を乗せ、橙色の光で車内を満たしながら、がたごとと進んで行った。


 からすが、よぎった気がした。

 黒い翼が、風景を切り裂いたように見えた。

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