【第十七】※筆者註

※関心のない方は読み飛ばして【第十八】へ——


空巣からす勘左衛門かんざえもん

 『広辞苑』に「烏勘左衛門」の項があり、「(幼児語。烏と同じ頭韻の語の勘左衛門を重ねて、人名に擬したもの)烏のこと。」とある。どこかでこの名は使わねばと思い、底本に真玄の「後見の烏」とあるカラスに、この名を当てた。


ただすの森

 賀茂川(鴨河)と高野川の合流点近くに現在も残る原生林。かつては両河川の河岸まで広がっていたが、現在は下鴨神社(※正式には「賀茂かも御祖みおや神社」)の鎮守の杜として残るばかりである。本作の舞台となる「中鴨の森」は、この森の北側につづく森として想定している。

ただす」とは「只洲ただす」のことだとされる。または、下鴨神社の祭神二柱の一、多々洲たたす玉依姫たまよりひめの名から取られたともいわれている。『新古今和歌集』で平貞文たいらのさだふみに「いつはりを糺の杜のゆふだすき…」と歌われるように、「偽りを糺す神域の森としてとらえられていた」(槇野修『京都の寺社505を歩く(上)』より)という。


賀茂かも建角身命たけつぬみのみこと

 神武東征の際、熊野から吉野へ向かう道案内として八咫烏に化身して現れたという神。ただ、ヒトが「ヒトこそ神の似姿をしている」と考えるのが自然なように、トリが「トリこそ神の似姿」と考えるのも自然な話——つまり、「八咫烏こそが建角身命の真の姿」とトリどもは考えているのである。これは、おそらくどちらも間違いではないが、ヒト型の神がヒトを道案内するのに、わざわざカラスに変身した理由とはなんであろう——?

 ところで、この賀茂建角身命は、娘の玉依姫とともに下鴨神社に祀られている。伝承によれば、この地の支配者であった鴨(賀茂)県主あがたぬしは、この建角身命の子孫だとされている。ただ、歴史学者の上田正昭氏によれば、これは鴨氏以前の支配者であった葛野かどの主殿とのもり県主が、八咫烏の子孫という伝承をそもそも持っており、葛野県主になり代わってこの地を治めた鴨氏が、その祖神観を受け継いだ結果だろう、とのことである。

 ちなみに『方丈記』の鴨長明は、下鴨神社の禰宜ねぎの家の生まれである。



◆参考文献

 槇野修 著/山折哲雄 監修『京都の寺社505を歩く(上)——洛東・洛北(東域)・洛中編』PHP新書 2010年

 脇田修/脇田晴子『物語 京都の歴史——花の都の二千年』中公新書 2010年

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