【第十八】七夕の因位の事

 ——むかァしむかし、中国ちゅうごくの「けい」というところにさまとさまの夫婦めおとがおったげな。さまはなまえを遊子ゆうしといい、さまは伯陽はくようというた。

 ふたりが夫婦めおとになったのは、さまがゆめゆめみる16さい、さまがこいこいする12さいの乙女おとめのころのことじゃった。夫婦めおとになってからというもの、ふたりはどんなときでもなかむつまじく、遊子ゆうしやまへしばかりにいくときは、いってらっしゃいのチュウちゅうをして、伯陽はくよう海外かいがいしゅっちょうからかえったよるは、もえがるようにあいうたんじゃと。


 ほじゃけど、しあわせなじかんというのは、とくしゅそうたいせいりろんにも作用さようしてとっととすぎるもの、とアインシュタインあいんしゅたいんはかせもいうておったげな。

 づけば、紙婚式かみこんしき藁婚式わらこんしきはとおいむかし… 革婚式かわこんしき花婚式はなこんしき婚式こんしきはゆめのよう… 鉄婚式てつこんしき銅婚式どうこんしき青銅婚式せいどうこんしき陶器とうき婚式こんしき錫婚式すずこんしきはゆめまたゆめ… 鋼鉄婚式こうてつこんしき絹婚式きぬこんしきレースれえす婚式こんしき象牙ぞうげ婚式こんしき水晶すいしょう婚式こんしき磁器じき婚式こんしき銀婚式ぎんこんしきはいっしゅんのひかりの… かがやきをうしなうことがイヤいやながら、真珠しんじゅ婚式こんしき珊瑚さんご婚式こんしきルビーるびい婚式こんしきサファイアさふぁいあ婚式こんしき金婚式きんこんしきほしのとぶようにすぎ、まん60ねんのダイヤモンドだいやもんど婚式こんしきからかぞえて27ねん、2しゅう銀婚式ぎんこんしきからも2ねんがたってしもうた。


 ところでこのふたり、たいそうつきがすきでの、つきがとってもあおいよるはとおまわりしてかえるだけでなく、ゆうぐれにつきがのぼれば、たがいにさそいあってお月見つきみデートでえとにでかけ、あけがたにつきがしずみかければ、それをおしんでやまのうえまでお月見つきみハイキングはいきんぐするほどじゃった。

 好物こうぶつ月見つきみだんごに月見つきみそば、月見つきみうどんに月見つきみバーガーばあがあ月見つきみすきやき牛丼ぎゅうどん月見つきみぎゅうとじ御膳ごぜん月見つきみとろろカルビかるびどん月見つきみ濃厚のうこうデミソースでみそおすかつどんなどつきにまつわるものばかり… ふだんのむおちゃ月見つきみそうをせんじておったそうじゃが、そんときだけは、「おらぁ、あんころもちいてえ」というておちゃうけにしたげな。


 それでも、ときのながれはむじょうなもの——さまの伯陽はくよう白寿はくじゅのころに天寿てんじゅをまっとうしてしもうた。ひとりのこされたさまの遊子ゆうしのかなしみはマリアナまりあなかいこうよりもふかく、そのこころは108.6MPaめがぱすかるのくるしみにおしつぶされそうじゃった。

 さまとでたつきてはかたみとおもい、月夜つきよになればそらあげて、んださまをおもってむせびくまいにちじゃった。


 そんなあるばんのこと、ふしぎなことがおこったげな。

 さまがいつものようにつきをながめておると、なんとんださまが一羽いちわカラスからすにのせて、そらのかなたへびさってゆくのがえたんじゃと… それでさまはなおのことなげきかなしみ、「わしもはよなせてくだされ、さまのもとへつれていってくだされ」とお釈迦しゃかさまにねがった。その様子ようすがあまりにあわれで、お釈迦しゃかさまもねがいをおきいれなされ、よわい103さいにしてさまもだいおうじょうをとげたげな。

 さまのたましいはてんにめされてほしとなり、カラスからすにのってあまのがわびこえ、さまのまつかわらのむこうぎしにいおりたんじゃと。


 ところがこまったことに、あまのがわはべんてんさまがまいにちみずあびなさるせいじょうのかわ——みずむしのわいたさまのあしはもちろん、ブーツぶうつでむれて悪臭あくしゅうふんぷんとしたGALぎゃるあしイヌいぬのうんこをふんじゃったわらしどものあしなど、川辺かわべにつければみずがけがれると、かわをわたることがゆるされなんだ。


 おもうあいてをむこうぎしにながら、かわはわたれぬ、あうにもあわれぬ、そのかなしみに、さまもさまもすっかりショゲしょげかえってしもうた。ところが、七月しちがつ七日なのかのほしあいのだけは、べんてんさまがきみじょうのぜんぽうどうへまいられる——ねんに一度いちど、このだけはみずあびをしないのであまのがわをわたることがゆるされておった。

 ほんで、このになると、カラスからすアオサギあおさぎはねをならべてあまのがわはしをかけ、ひこぼし・たなばたをかよわせる… ひとはこのはしを『烏鵲うじゃくはし』とよんだげな。


 ほじゃから、さまとさまは、ねんに一度いちど烏鵲うじゃくはしがかかるこのだけ、あまのがわをわたってあうことができるんじゃと。ほんで、きておったころのように、ふたりなかむつまじく、ながくあまい接吻せっぷんをして、なんだかいろのないゆめをるとか、ないとか——


 どっぺんぱらり——


   *******


 ——と、以上が鴨大夫が真玄に語った「カラスとサギの由緒話」にございます。


 鴨大夫曰く——

「漢王が伝えてござる、「烏鵲、橋のほとりに紅羽こうようを敷き、二つの星の屋形の前、風冷々たり」と… ここで申す『紅羽』とは、文字通りくれないの羽のことで、モミジの葉っぱのことではござらぬ。されど、『葉』に『羽』を重ねて譬えておるのじゃ。ゆえに、ここでは『紅羽』も「こうう」ではなく、「こうよう」と読ませる。さては、七夕の飽くなき別れの涙が、烏鵲の羽を染めて紅になったのじゃろう」

 されど真玄、頸を傾げて申しまス。

「遊子伯陽の物語はそれがしも知るところでござった。されど、大夫殿のされた物語とはいささか話が違い申す。それがしが知っておる物語では、橋を架けるはカササギばかりで、カラスもアオサギも出番がござらん」

 鴨大夫、真玄の疑問を払うがごとく手羽を振り——

「古い物語には異聞が付きものじゃ。『日本紀』にも「一書に曰く」と其処かしこに異聞が付されてござろう。それが海の遥か彼方の物語なれば猶のこと… いまちまたで知られておる、カササギが橋を架けると云う物語も、あまたある異聞のひとつじゃテ。されど、あれは誤伝… そもそも『烏鵲の橋』でござれば、当然それは『』と『じゃく』が架ける橋でござろう? 申すまでもなく、『烏』とはカラス、『鵲』とはカササギのこと… このうち『烏』の一字が海を越えて伝わる際、うっかりトリ落され、『鵲の橋』——『カササギの橋』となって広まってしもうたのじゃ」

「されど、それではの橋でござろう。アオサギはどこに出てくる?」

 鴨大夫、真玄が自問するのに答えて曰く——

「うん… 近頃のお若い方は御存じないか知らぬが、ここで申す『かささぎ』とは、唐土もろこしに棲まうカササギのことではござらぬ。アオサギの古名こみょうにござる。遊子伯陽の物語がいにしえの物語なれば、ここでの『鵲』はむろん古いほうの「カササギ」——「アオサギ」を指す。すなわち『烏鵲の橋』とは、カラスとアオサギの架けたる橋のこと——これは鴉鷺が互いに手羽(手)を取りあい、分かたれた憐れな夫婦の架け橋となる、めでたき由緒にごじゃル」


 「ホッホオ!」とキジバトのごとき声を上げ、真玄は手羽をたたいて悦んだ…「カササギがアオサギとは、わしの不勉強じゃった。や、サギがないのはじつに惜しいが、たしかにこれは鴉鷺の「奇縁」… さっそく山城守にもこの由緒話を知らせ、冬若とシラサギの姫との縁談を進め申そう!」

 せっかちな真玄のこと、さっそく中間の鵜吉に墨と紙とを持って来させます。あまりの性急に、鴨大夫はカモが豆鉄砲を喰らったような貌になり、「待たれい、待たれい」とあわてて真玄の筆を止めさせる——

「世間から見れば、鴉鷺の縁談など世の倣いに外れたことじゃ。何事も因襲を破ろうとする者には世の風当たりは冷とうなるもの… 真玄殿が大原のアマサギを避けるのもそのためじゃろう?」

「おお… たしかにそうじゃが、ではどうせよと仰せか——?」

 鴨大夫、答えて曰く——

「さればこその『鳥歌合』じゃて… 世間の耳目の集まるなか、鴉鷺の由緒話を歌に詠みこんでみせ、『烏鵲の橋』の誤伝を糺すのじゃ。ひいては東市佐殿の見識の広さを知らしめ、お高くとまった渉禽どものカラスを見る目を変えさせるのじゃ。わしが知る山城守も、かような博識には眼がないでの。兄君を見る目が変われば、冬若殿と姫との縁談も考え直しもしようというものじゃ」

「なるほど…」と真玄は感心し、「ではまず『鳥歌合』についてのみ、書状を返し申そう」と云ってふたたび筆をトリましてございます。


 *******


 さて、鴨大夫が糺の森に帰る段となり、真玄の中間、口太はしぶとの鵜吉が祇園の林口まで鴨大夫を見送るよう仰せつかりまシタ。されば林口に到ると、鴨大夫は振り返り、そのハシブトガラスに訊ねまス。

「ハタで聞いておってどうじゃった? ことなどなかったかノ?」

 ハシブトガラス答えて曰く——

「はあ… 天の川で水浴びするのも、七夕に善法堂へお参りするのも、弁天様ではのうて帝釈天たいしゃくてんですのう。ほかもチョコチョコ怪しいところはござったが… まあ、『橋の話』さえ間違えなけりゃ比叡山は満足じゃ」

「ぐゎぐゎぐゎ…」

 中間のシャクに障る云い回しに鴨大夫、貌をしかめて喉を鳴らしますが、とうのハシブトガラスは気にする様子もなく失言をつづけまス。

「案ずることはござらン。うちの殿様も勘佐殿も大してモノを知らぬゆえ、バカ正直に信じるじゃろうテ。冬若様に知れたら怪しむか知れんが、逢坂山のニワトリにでも相談せぬ限り心配ござらん」

「般若林は御存じというわけじゃナ…」鴨大夫は据えかねる腹の中味を抑え込んで申します。「されば、上人殿に伝えよ、鴨大夫は使命を果たしたと… ゆめゆめ、わしとの約定をお忘れなきように、と——」


【第十九】につづく——

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