【第三】※筆者註

※「アンチ男根信仰」に批判的な方と、女性の「オーガズム」に関心のない方は読み飛ばして【第四】へ——


●アマサギの乳母

 「月清尼」「月御前」の呼び名は筆者がつけた。底本には「才学さいかく第一の乳母めのとあま鷺」としかない。

 ところで本段では、花見のシーンにおいて、雪透姫が川水に戯れるのをアマサギが河の外から見守るさまを描いたが、それはなにも微笑ましい風情を伝えようとしたわけではない。そもそもアマサギは、サギ類には珍しく水辺にあまり近づかない習性がある。この種は田園地帯で行動することが多く、ウシやウマなどの周りを歩き、その動物の体についたハエや、それらが歩くのに驚いて草むらから飛び出してくるバッタなどの虫を捕まえて食べる。

 彼女が水に浸からなかったのも、住まう場所を田園地帯の大原としたのも、以上の習性から着想した。


●七羽のコチドリ

 七羽が被る烏帽子、赤・橙・黄・緑・藍・青・紫は虹の七色に対応させている。蛇足だが、この色の並び順を崩せば崩すほど、ふしぎと虹には見えてこなくなる。

 ちなみにコチドリの名は、本段で紹介した「毒太どくた」「憤吉ぷんすけ」「上々丸じょうじょうまる」のほかは、「照助てるすけ」「寝太郎ねたろう」「草女くさめ」「木瓜之介ぼけのすけ」である。


●「ボクの44マグナムで天国に逝かせて上げるよ~」

 筆者の悪ノリである。反省している。

 そもそも「.44マグナム」は回転式拳銃リボルバー向けののことであって、男性器の比喩としては正確ではない。しかもその全長は4㎝ほど、直径は1㎝余りなので、ゴリラの男根とすれば立派だが、ヒトの基準からすればとても巨根の比喩にはなり得ない。これはクリント・イーストウッド主演の映画『ダーティーハリー』シリーズで主人公が使用していたピストル「S&W M29」と結びついて、その使用弾薬が代名詞化された結果であろう。

 でなくとも、こんな男根主義的傲慢を「知るらめや…」の歌に込める意図は、在原業平にはなかったに違いない。

 膣オーガズムを経験した女性が一割に満たない事実(※デイヴィッド・フレデリックらによる2018年発表の研究データ)からしても、業平が己の男根のみで、性行為を交わした相手を満足させていた可能性は低かったものと思われる。なにしろ女性が男性との性交でオーガズムを感じる割合は65%——前出の研究データによれば、これはレズビアンやバイセクシャル女性との性交でオーガズムを得られる割合より低い(前者86%、後者66%)。つまり男根を持たない同性との性交のほうが、女性はオーガズムを得られる確率が高いのだ(『動物のペニスから学ぶ人生の教訓』より引用)。

 業平においては、3,733人の女性と関係し、そのすべてを満足させたとされ、みずから「知るらめや…」のような歌を詠むような人物でもあった。であれば、かれには女性をオーガズムに導くことで、自らも満足を得たいという想いがあったはずである。

 ところで、未だその全容は未解明ながら、女性器周辺の性感帯の大部分はクリトリス由来とされる。外性器としての「陰核」はクリトリスの先端部分(頂部)に過ぎず、それにつづく本体(体部)は内部上方の骨盤内に伸びて尿道と密接に結びついている。さらに二股に分かれた脚部は次第に先細りながら5~9㎝ほど伸び、膣の筒部分を挟み込んでいる。そしてこの「驚くほど敏感な器官」にはマイスナー=パチーニ小体と呼ばれる特殊な感覚細胞が密集しており、女性のオーガズムに強い影響を与えている。

 女性のオーガズムが、男根のサイズと縦方向の単純運動だけでは達成できないことは明らかである。男根そのものにそこまでの力はない。3,733人もの女性を昇天させた業平が、そんな「男根信仰」の虚妄に気づいていないはずはないだろう。

 以上のことから、かれがねやを共にした女性のため、腰を振る以上の精魂を傾けたことは想像に難くない。筆者がノリで綴った筆禍のごとき戯言を、かの在五中将が口走ることはあり得ない——と断言し、その御霊に陳謝する。



◆参考文献

 叶内拓哉・安部直哉・上田秀雄『山渓ハンディ図鑑7 新版 日本の野鳥』山と渓谷社 2016年

 エミリー・ウィリンガム『動物のペニスから学ぶ人生の教訓』(的場知之 訳)作品社 2022年

 キャサリン・ブラックリッジ『ヴァギナ 女性器の文化史』(藤田真利子 訳)河出文庫 2011年

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る