【第三】和歌及び在五中将の事

 都の北東、大原の里に一羽の尼のサギありけり。小ぶりで艶やかな立ち姿と、月白げっぱく羽衣ういに頭から飴を流したような、色の調子の美しいアマサギでございました。

 このアマサギ、かの雪透姫すずかしひめ乳母めのとでございまして、寂光院に下る建礼門院の故事になずらえ月清尼げっしょうにと称し、転じて下じもの者どもからは月御前つきのごぜんとも呼ばれておりました。

 しかれバ、このシスター・モーニングムーン、夜に隠れて素性はつまびらかではございませんが、朝焼けのベランダのごとく詩歌管弦に明るく、姫についてはベビーシッターとしてばかりか、伎芸についての教育係も中鴨の大殿から仰せつかっておりまシタ。姫の芸能の才能が花開いたのも、ひとえにこのアマサギの手解きがあったればこそにございまス。


   *******


 さて、都にも桜の花咲く頃のことでございまス。

 東山や大原野では花宴が催され、洛中でもなら『○○花まつり』やら『□□さくらフェス』やらにでかけ、浮世を忘れて「花よりペレット(鳥のエサ)」と乱チキン騒ぎをバーっド愉しんでおりマヒワ。


 その日、雪透姫も月清尼やとものコチドリどもと連れだって、中鴨の森の外れ、鴨河に面した河原まで花見に赴いてございまシタ。

 ちなみに伴のコチドリどもはぜんぶで七羽、姫の世話係兼ボディガードでございましテ、一羽ずつ、赤、橙、黄、緑、藍、青、紫の烏帽子えぼしを被っておりました。もちろんそれぞれに、毒太どくた噴吉ぷんきち上々丸じょうじょうまるなどと名がありますが、この者どもらはしょせんその他大勢モブキャラ——ここで一羽一羽紹介するのもいささか手間なので省略させていただき、今後もし個別で登場する際は、その烏帽子の色に合わせて赤コチドリや橙コチドリ、そして黄コチドリなどと呼ぶことといたしまス。

 然れバ、この日の花見の際には、宴席で摘まむための重箱弁当を橙コチドリと緑コチドリが、どこへ行くにも管絃に触れたがる姫のための琵琶を藍コチドリと紫コチドリが、河原に敷く緋毛氈を赤コチドリ青コチドリ黄コチコリ…が、ハイホーハイホーと声を合わせながら河原まで運んだのでございまス。


 うららかな春の日和でございました。

 空高くヒバリがさえずり、川向こうの土手の上では姥桜が盛りを迎えておりました。根方ではスズメやハトが花見を催し、梢ではメジロやヒヨドリが戯れに花をついばんでございまス。

 姫は、と申シますと、早熟とは云えいまだ若鳥の時分、花などかまわず、あしゆびを河水に浸して戯れるさまは如何にも幼げで、月御前はそんな弟子の姿を流れの外から眼を細めて眺めておりまシタ。

 さればとテ、やはりこのふたり、歌の師弟なれば、満開の桜を前に歌詠みがはじまるのは自然のなりゆき… それはまた当然のなりゆきとして、和歌についての問答へと転じていったのでございまス。


「月や… いまさらかようなことを訊ねるのも愚かしいのじゃが、和歌とはいったいいつにはじまったのかえ?」

「申し訳ございません、当たり前のことすぎて、肝腎なことを申しそびれておりました。姫様には歌の心をさんざん伝えたつもりでございましたのに……」


 御前は姫の問いへの答えを『古今和歌集・仮名序』に求めまして、それによれば和歌は天地のはじまりとともに生まれたのだと申しまス。はじめは文字の数にも決まりなく、三十一文字みそひともじと定められたのは、スサノオのみことが「出雲八重雲の歌」を詠んだ時からだそうにございまス。

 以来、虫の音から鳥の声、花の匂いから月の光、尿管結石からサザンオールスターズに到るまデ、有りと有らゆるものが歌に詠まれて参りました。

 もはやうたい残した風情などないかとも思われまスが、人の心は浜の真砂まさごのごとし… どんなに歌が詠まれても、決してこの世のすべてを詠み尽くすことなどできるものではございませン。

 迷える者は多く、悟れる者はごくわずか… 季節の移ろいに従い、虫や鳥の声、星の美しさにいくら心傾けてモ、恋や怨み、悦びや哀しみ、チラリやポロリの折りにつけ、心惑わされ、気を逸らされ、多くのことが学び残されるもの——


 御前は申しまス——

「眠れぬ夜がございましたら、静かにねやに身を横たえ、耳を清ましてごらんなさいまし。そうして窓打つ雨音、嵐の戸を叩く音、その時、聞こえる物音すべてに想いを巡らせなされませ。そのすべてが歌の糧となること、ゆめゆめお忘れなきよう——」


 『古今和歌集』に、「富士の山も煙たたず」とあれば、その煙は「立たず」か「絶たず」かと論じ、「長柄ながらの橋もつくるなり」とあれば、「作る」か「尽くる」かと考える… このコトバの戯れはニュー新橋ビルで酔っ払うオジサン連中のダジャレと比べてはなりませヌ。歌人うたひとの心を和らげ、想いの深みへ踏み入るための儀式なのでございまス。


 御前曰く——

「吉野の山の梢に咲く春の花を雲として眺め、立田川の秋の流れに浮く紅葉を錦として想う… すべては心の有りようが歌になるのでございます。心静かに花を眺むれば、心は花となりましょう。心安らかに月に向かえば、心は月となりましょう。ここになんの企みや思惑がございましょうか。歌を詠むとは即ち、邪念妄想を取り払い、衆生しゅじょうを彼岸へ導くための法術にございます」


 つづけて曰く——

「三十六歌仙の人麻呂、家持、僧正遍昭へんじょう素性そせい法師親子、在原業平や小野小町、凡河内躬恒おおしこうちのみつねや紀貫之など、皆お釈迦様の化現けげんにございます。中でも類なき権現ごんげんと云えば、在五中将業平と小野小町と申せましょう」


 ここで中鴨の姫がくちばしをはさみまス。

「月や… 業平も小町もともに、色好みとされた方がたではないかえ? もちろん歌のすばらしさは疑いませぬ。だからと云うて、色と肉に溺れるような、そのような者たちがどうして御仏の化身なのじゃ?」

「姫も隅に置けませぬな。いつの間に、さように下賤な物云いを憶えたのやら——」

 御前にからかわれ、姫は頬をあからめてくちばしを引っ込めました。


「かの中将は極楽世界の歌舞かぶの菩薩、馬頭観音の化現にございます。世間にはみだりに色を貪るさまを演じながら世の人びとを今生の苦しみから救う——人知れず業平は心の裡に誓っていたのだと申します」

 御前によれば、業平は生涯のうちに3,733人と××チョメチョメしながら、「唯のひとりも犯さず」と云わレ——


 知るらめや我にあふ身の世の人の

 闇きに行かぬたより有とは


 と歌に寄せて、「僕とパコパコ♡すれば無明むみょう世界に行かないで済むよ~」と——もっとはっきり申せバ、「ボクの44マグナムで天国に逝かせて上げるよ~」と加●鷹やし●けんも真っ青なことを詠って、彼とパコパコ♡××チョメチョメしたすべての女の子を悟りへと到らしめたそうにございまス。

 また、住吉大社への行幸の折り、じぶんが前世では住吉神すみのえのかみの化身だったことを思い出シ、「岸の姫松」の歌を詠んでその前世を懐かしんだとか… そののち五条のあばら屋では二条后にじょうのきさきに、「月やあらぬ——云々」と詠い、「チミは前世で住吉ナンバー3の神様で、住吉ナンバー1の神様だったボクといっしょに国を治めていたのに、それも忘れちゃったノ?」と歎いたそうにございまス。


 されバとて、この世では御仏といえども寿命には限りがアリ、元慶4年(880年)5月20日、北を枕に身罷みまかられたのでございます。


 続いて話は小野小町に及びます。


【第四】につづく——

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