【第四】関寺小町の事

 月清尼げっしょうにによれば、小野小町は大日如来の変化へんげだそうにございまス。

 なにしろ楊貴妃やクレオパトラとならぶ世界三大美女でございまスから、世が世なら玄宗皇帝やユリウス・カエサルとケッコンしても差し支えなかったでしょう。然らバ、吾が国に生まれ落ちたのはこの御方の不幸であったかも知れません。まあ、マダムヤンもパトラッしゅも、最期はザンネンな死にざまと云う点では変わりありませンが——

 それでも浮き名を流した殿方は肥後守ひごのかみから讃岐守さぬきのかみ、六歌仙の遍照へんじょうなどセレブぞろい… 先に紹介した業平ともイワクがあったとかなかったとか——

 近衛府の少将が云い寄って来た時には「あたしと付き合いたいんなら百晩通って来なさいよォ♡」などと無理を申して館に通わせ、九十九日目の雪の晩に凍死させる業の深サ——

 自らもあまたの恋を想い、患い、その都度涙が激流と化したそうで、貞観じょうがん年間に都で起こった大洪水などはすべて小町の失恋が原因だと申せまス。


 しかれどモ、雨の降るごとに花は枯れ、柳の緑は風に吹かれて褪せるもの——

 年衰えたのちは誰からも顧みられズ、田舎ひな流離さすらい、都を彷徨さまよい、ついには江州ごうしゅう関寺せきでらのほとりに草庵を結び、スカンポやタンポポなど道端の雑草で命をつなぐようなわびしい暮らしを為されたそうにございまス。

 ただ、貧しさからの受動的ビーガン生活が健康に良かったのか、このおうな、100歳になってもまだご存命であった由… されド、往時の美しさは見る影もなく、朝一鉢いっぱつの食を求めても得られズ、衣は破れ、夕べの冷気にしなびた乳を晒す姿は誠に哀れでございまシタ。


 そんなある日のこと、小町のもとへ関寺の和尚が訪ねて参りました。

 和尚は目前のよぼよぼの老女が、かの小野小町だとは存じませン。それでもこの婆様のうたう和歌の評判を聞き及ビ、その極意について教えを乞いに参ったのでございまシタ。

 されば小町婆チャン、「わたしなど、もはや埋木うもれぎのように忘れ去られた身… いまさらなにを申し上げることがございましょう」といったんは断りまシたが、歌にその生涯を捧げた御身なれば、その歌について教えを乞われ、なにも語らず済ますことなゾ果たしてできましょうか?


浜の真砂まさごは尽くるとも、詠む言の葉はよも尽きじ。青柳あおやぎの糸絶えず、松の葉の散り失せぬ、種は心とおぼし召せ。たと(い)時移り、事去るとも、この歌の文字あらば鳥の跡も尽きせじや、鳥の跡も尽きせじ。

(謡曲『関寺小町せきでらごまち』より)


「歌の流儀は和歌三神が一神・衣織姫そとおりひめに倣っております」と老婆が明かスと、かの小野小町も衣織姫の流儀に倣っていたはず、と和尚は思い当たル… そこで「古今集にある『わびぬれば…』の歌は、たしか小町の歌でしたよねェ?」と訊ねると、「あれは文屋康秀もんやのやすひでから、単身赴任先について来てくれない?…と口説かれた時に、わたしが詠んだ歌でございまスじゃ」とついうっかり口を滑らせてしまう——

 すると和尚、思い到って——

「いま貴女は、『わびぬれば…』の歌を自分が詠んだとおっしゃった。そして衣織姫の流儀を継ぐ歌人と申せば、小野小町を於いてほかにございません。貴女がよわい100歳であると云う事実、小町が生き永らえていたらと云う可能性、この二つを考えあわせるに——もはや疑いようはありませぬ… 貴女こそが小野小町殿ではございませぬか?」と問い掛けル——

「ああ、小町などと恥ずかしや」と老婆は恥じ入りまス。「人の心は見えぬと詠いながら、和尚様に悟られてしまうとは…」


 ちょうどその日は、関寺で七夕の祭が行われておりまシタ。

 和尚は小町を祭に誘います。小町は遠慮しましたが、いざ祭に出向いてみると、かわいい稚児ちごたちが元気に舞い踊ってございまス。それを見た小町は己が若き姿を幻に見て、老いた吾が身を忘れて舞いはじめます。

 然れどモ、老いた身体が若返ったわけではございませン。腰は曲がり、脚はよろめき、その姿は見る者皆に哀れを思い起こさせるものでございました。小町は己の老いたるを改めて悟リ、木々のあいだを身を隠すようにいざり去って往ったそうにございまス。


 そののち日を置かずして、ついにススキの原に逝き倒れり——!

 されど魂は今生に執着し、眼玉の腐り落ちた、おの髑髏どくろのそのあなからススキがい出ると、「あな、目痛し!」と慟哭し、「秋風のふくにつけてもあなめなめ」と詠ったそうにございます。


 ——「これ即ち、盛者しょうじゃ必衰のことわりを、人々に示す権者ごんじゃの振舞いと申せましょう」と語り終え、月清尼は白翼打ちあわせて合掌し、こうべを垂れたのでございまス。


 それにつけても、男の中将が生涯を通じてパコリ♡まくった末に菩薩と称されたのと対照的に、束の間その美貌で男どもとの逢瀬を愉しんだとは云え、女の小町が老いの侘しさの無間むげん地獄を彷徨わなければならなかったという無情——如何にもオトコの好みそうな御仏の教えではございませンか。

 その背後には女性崇拝と裏返しのサディスティックな欲情の奔出が垣間見え、現代の美少女アニメやダークファンタジーなどの鬱展開に通じる湿スケベさが感ぜられるのでございまス。


 然れどモ、時代なりの道徳に生きる雪透姫すずかしひめは、素直に痛み入りまス。姫は、コチドリどもに運ばせた琵琶を、膝の上に抱えルと(サギに膝があるかどうかは別としましテ)、小町の御霊を慰めたい一心で、魂鎮たましずめの曲を鳴らしはじめたのでございまス。

 その演奏はふだんの流儀を外れておりました。竿握る左翼は自在に琵琶の柱と柱の合間を滑り、右翼の握るばちは知らず知らずに力を帯びます。旋律はないようであり、あるようでなく、どこか盲僧の奏でる琵琶の音に似ておりました。盲僧琵琶が経を乗せるためのものなれば、自然、小町への鎮魂の想いが姫の奏法をかくたるものにしたのでございましょう。

 ふだんですと、このような奏じ方、くちばしを挟まぬはずのない御前も、姫の迫力に押されてか、ただただ黙して聴くばかり——


 かくして、絃の旋律は川風に吹かれ、小町の朽ちたる三重の里だか、三重県だか、北海道南幌町の三重湖公園キャンプ場だかに向けてか、舞い上がっていったのでございます。


 九重ここのえの花の都に住みはせて

 はかなやわれは三重にかくるゝ


 その時でございます——何処いずこよりともなく、笛の音が聴こえて参りました。

 その音は一聴するだに平板ながら、次第々々にうねりを帯び、地神経じしんきょうのごとく琵琶の音と絡み合いはじめたのでございます。

 音と音とが重なれば、それは互いの奏者に作用しないわけにはいきませぬ。姫は知らず知らずのうち、これまで奏でたことのない音色を奏でておりました。笛の音もまた音調を鮮やかに染めはじめ、まるでそれは、老いたる小町が瑞々しさを取り戻して行くかのよう——

 琵琶を掻き鳴らしながら、姫は己がまなこより涙のあふれ出ていることに気づきます。

 顔を上げ、菜種色に潤んだ虹彩を鴨河の対岸に向けますと、一羽の笛吹くカラスの姿が歪んで見えました。涙を払ってよくよく見れば、カラスもまたくちばしをこちらに向けております。されバ、サギとカラスの視線は鴨の河瀬で弾け——


 キ●ィちゃんがごときつぶらなまなこに吸い込まれるように、琵琶の音は途絶えたのでございます。


【第五】につづく——



◆参考文献

 窪田空穂 編著『校註 小野小町集(補訂版)』やまとうたeブックス 2018年

 北村優季『平安京の災害史 都市の危機と再生』吉川弘文館 2012年

 世阿弥元清 作、野上豊一郎 編『解註謡曲全集77 関寺小町』やまとうたeブックス 2018年

 小泉文夫『日本の音 世界のなかの日本音楽』平凡社ライブラリー071 2017年

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