【第二十一】鵄鴨叡山密談の事

 比叡山に一羽のトビありケリ。名を出羽でわ法橋定覚ほっきょうじょうがくと申シ、比叡山法師やまほうしの頭領にして、三論さんろん法相ほっそう華厳けごんりつ成実じょうじつ倶舎くしゃの南都六宗、天台、真言の平安二宗の計八宗をすべて兼学… 日吉ひえ神道、両部りょうぶ神道などにも詳しく、耶蘇やそ教についての研究も「インドの使徒」の渡来のまえにトライ… 『ミヤコ教団』なる新興宗教には多額の献金をおこない、比叡山ばかりか愛宕あたご山伏やまぶし鳥支丹トリシタンやネオ東京にまで影響力を持つ、畿内有数の実力者にございまス。

 もとより比叡山は、祇園林やしもの森をはじめ多くの山林を末地まつじに置く、野禽山禽の大本山——云わば、政界におけるところの永田町、官界における霞が関、カトリックにおいてのヴァチカン、チベット仏教におけるポタラ宮、オニにとっての鬼ヶ島、カメにとっての竜宮城、全共闘にとっての東大安田講堂、公立小学校においての校長室といっても過言ではございません。ゆえにこのトビには、かの東市佐とてモ、おいそれと礼を欠くような真似はできぬのでございまス。


   *******


 そんなトビの上人の下へ、トレイシー・ローズの裏ビデオに『きょうの料理』を重ね撮りされた父親のような剣幕で、糺の森の鴨大夫が乗り込んで参ったのは、洛中に『難波津鳥歌合』の「番付表」がバラ撒かれた直後のことでございまシタ。

「上人殿! この番付はどういうことじゃ!?」

「はて、どういうこととは——?」

 鴨大夫が「番付表」を突きつけながらまくし立てるのに、鳶色の顔色を変えもせず、定覚上人は問いを返しまス。

「とぼけなさるな! 『鳥歌合』のトリ組のことじゃ!」カワセミやヤマセミの雛僧すうそうに押し止められながら鴨大夫…「なぜ、わしの相手がワシなのじゃ? わしがワシに鷲掴みにされて喰われても、わしャ構わぬ、と申すかッ——?」とまくし立てる——

「おお、そのことでございますか…」と定覚上人、困り顔を拵えて、「拙僧も、そこはなんとかならぬか、と難波津殿らと相談いたしたのでございまスが、そもそも大夫殿を『鳥歌合』の歌席にねじ込めたのも、イヌワシとのトリ組を怖れたマヒワの蔵人頭殿の辞退があったればこそでございましてナ——」


 ウラ事情を明かしますと、はじめイヌワシの丹後守と対することになっていたのは、定覚上人だったのでございまス。

 そもそも丹後守を『鳥歌合』に推挙したのが、おなじ猛禽である定覚上人でございまして、イヌワシとのトリ組に皆が怖れをなすところ、推薦禽(推薦人)であった上人本禽(本人)がトリ組相手を買って出ることで責を負ったのでございまス。然れどモ、上人とてもイヌワシとのトリ組は己が餌食にされぬか不安なところ——できれば勘弁願いたい… そこへ難波津殿から、山城守と東市佐の推挙の申し出があったのでございまス。


 ところで、『鳥歌合』をトリ仕切っているトリどもは、判者の梅原好声をはじめとした有力歌禽のほか、定覚上人や弧雲禅師のような高僧、愛宕山のキジのような武家、造酒司のチドリのような豪商などから選ばれた、総勢十羽ほどの「実行委禽会(委員会)」でございまシタ。なかでも難波津殿は『鳥歌合』の冠スポンサーでございまスから、この古サギがなにか申せば、たいがいの要求は通りそうなもの… 然れどモ、此度は定覚上人が苦言を呈しまス。

「カラスに二席などと、さような無理を通そうとするなら、大納言殿も同族のサギに席を譲るのではなく、もっと有力な歌禽に譲られるのがスジでございましょう。ウグイスを御覧なされ——鴬宿梅御主人殿が判者になられてからは、鶯家の席は設けられぬままにございます。近頃、吾ら同人誌『ほとゝぎ’S』に歌を上げるウグイスには、かの菅原黄鶯殿のひ孫、菅原緑鶯りょくおう殿が如き、将来の見込める若鳥もおりますと云うのに——」

 さようなことを云われれば、ウグイスの判者が情を寄せるのも無理なきこと… さにあらば、この判者がトビの意見に同調すれば、さすがの難波津殿も無理押しするわけにはいきませぬ。と云うて、山城守から請け負った限りは、中鴨のサギと祇園林のカラスの参席だけは叶えねばならぬ——


 結局ナンキョク、実行委禽それぞれの思惑がとおり、難波津殿は山城守と東市佐の参席を実現させ、それを取引材料にして定覚上人もまたイヌワシとのトリ組を免れたのでございまス。ただ、ウグイスのみが此度もまた歌席に名を連ねること叶わズ、また定覚上人が手放した貧乏クジは、「鶸」の字ヅラからわかるとおり、禽界で最も立場の弱いヒワへと押しつけられたのでございまシタ。

 ところがここでまた、貧乏クジを押しつけられたマヒワの蔵人頭が難色を示します。なにしろ、その字ヅラからも察せられるとおり、禽界最のヒワでございますから、心もそれに輪を掛けて貧弱なのでございまシタ。イヌワシの爪とくちばしに掛かるやも知れぬプレッシャーに堪え切れず、ストレス性の胃炎に罹患——嗉嚢そのう前胃ぜんい(※【第十三】※筆者註●「臭いぞクソ漏らし…」の項、参照)に穴が開き、すでに周知のごとく、参席辞退に追い込まれたのでございまス。


 これらの事情もございまして、『鳥歌合』の開催発表が遅れたのでございまスが、最後の最後で決まったのが、マヒワに代わるこの鴨大夫の参席でございまシタ。

「わしはさようなこととは聞いておらんかったゾ!」と鴨大夫は状態でトビの上人に向って喚き立てました。「そもそも彼奴はただのワシではない。かの赤児さらいの謂れある一族ゾッ!」


 たしかに、丹後守古塚見こづかみ飛去たかなるの祖先と申せば、皇極二年(634年)に但馬国たじまのくにでヒトの赤児をさらい、丹後国まで連れ去って名を馳せた、加佐かさの郡司ぐんじ古塚見運去やすなるでございまス。然れバこの家系は、まさしくオオワシに化身し美少年ガニュメデスをさらったゼウスを地でいく剛の家柄——

 かれらがふだんから小動物や小禽のみならず、キジやサギ、猛禽のトビまでも喰らうことを考えれば、丹後守の時どきの気まぐれで、難波津に集うトリどもはことごとくエジキとされかねませン。しかも相対しますのが、老いたりとは云え、世のジビエ愛好家でなくとも垂涎の鴨肉のカタマリ——

 マガモの肉は身のしまった野性的な味わいが魅力にて、猛禽はおろかヒトの舌にまで知られるところ… カモ鍋、カモ飯、カモ南蛮、カモのローストにカモのコンフィ、カモの赤ワインソース煮やカモとフォアグラのテリーヌ等々、食し方も様ざまで、トビの定覚上人でも一度は食してみたいところでございまス。


 然れば鴨大夫、雛僧どもに半ば抑え込まれるように腰を下ろしながらも、いまだ昂奮冷めやらぬ調子で申しまス。

「わしは御主の云うたとおりしたではないか! なれば、こんどは御主がわしの望みに応える番じゃろう」

 すると定覚上人、眼に猛禽ならではの殺気を含ませ、マガモをすくめて曰く——

「なんであれ歌席を望まれたのは大夫殿でございましょう! 大夫殿が東市佐へ忍ばせた企みは、それとはまたべつの話にございます。それを交換条件に席を与えたわけでもござらん。それは大夫殿も御承知のはずでは…? そもそもこれは、大夫殿にこそ益となることではございませぬか?」

「さ、されど… これではわしだけが泥を被るばかりではないか——」

「さようなことにはなりませぬ。企みがうまくいかねば、大夫殿の小さな恥にはなりましょうが、もはやさような細かいことに気を病む御歳でもございますまい。思いどおりに事が運べば、東市佐より怨みは買えども、山城守には恩となります。彼奴もまさか本気で己の娘をカラスに嫁がせようなどとバカげたことを考えるはずもない… もとより大夫殿は、祇園のカラスどもを疎んじておったはず——なれば、東市佐から怨みを買うなど、なにほどのものでございましょう」

 上人のコトバに鴨大夫、もはや返すコトバもなくなり、わずかに恨みがましい嗤いを漏らすのみ——

「吾らとしては、増長する祇園のカラスどもの意気を挫ければそれでヨシ…」と上人、あらぬほうを睨みつけ、くちばしをきしらせて独り言つ…「吾ら叡山の翼下から遁れようなどと小賢しい——」


 そののち、鴨大夫が糺の森に飛び去るまぎわ、定覚上人はその背に向けてコトバを掛けまシタ。

「なに、いくらイヌワシとは申せ、大夫殿がネギでも背負って行かぬ限り、難波津の舞台で襲い掛かったりはいたしますまい。どうぞご安心めされ——」

 それでも鴨大夫はどこか諦観に囚われたごとく頸だけ傾げ、片眼の端で上人に応えるのみ… さすがの上人もいくらか気の毒に思い、「難波津の舞台に、決して血の流れることなきよう身命を賭す」ことを約定し、このマガモを糺の森へと還したのでございまス。


 然らば、まもなく近畿禽界より、あまたのトリどもが難波津へと羽ばたきはじめました。


【第二十二】につづく——

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