【前口上】※筆者註

※関心のない方は読み飛ばして【第一】へ——


●筆者註

 本作の場合、概して筆者の言い訳である。本文の到らなさを少しでも埋めようという悪あがきにほかならない。なので、どうぞお気軽に読み飛ばしていただきたい。

 ただ、読書家のなかには「註釈が愉しい」という向きが多い。筆者も岩波文庫版の『白鯨』など、「訳注」から愉しみ方を学んだ記憶がある。ただ一方で、註釈が読書の愉しみを阻害するケースもないではない。

 丸谷才一氏らが訳した集英社版『ユリシーズ』には、微に入り細を穿ち、膨大な註釈と解説が付されている(※集英社文庫版全四巻2,695頁のうち、註釈は875頁に及ぶ)。一見、には堪らないボリュームだが、あまりに量が膨大過ぎて、註と照らしながら読んでいると思考がノッキングして、物語への没入を妨げられる。ところが、柳瀬尚紀氏の訳した『ユリシーズ』には一切の註釈がなく、スイスイ読める。そして圧倒的におもしろい。氏は原書オリジナルを読んだ時の感覚まで訳そうとしたのだ(※原書には註釈がない)。ただ残念なことに、柳瀬氏は全18章中第12章までを訳されたあとで亡くなられてしまった。

 筆者のような並の読書力しかない方におすすめの邦訳版『ユリシーズ』の読み方は、第1章から第12章までを柳瀬訳で読み、残りを集英社版で、できるだけ註釈には頼らず読み進めるのが良いかと思う。柳瀬氏は集英社版『ユリシーズ』には批判的だったが、「第14挿話」だけは丸谷氏にしか訳せないと絶賛しておられる。

 さて、本作において「筆者註」におつきあいいただくかどうかは、もちろん読者諸氏の自由である。ただ、参考まで——新潮文庫版の『ロリータ』の巻末には若島正氏による「訳者あとがき」が付されており、そこには「注釈は初読ではなく必ず再読のときにお読みいただきたい」と注意書きがされている。『ロリータ』に限らず、註釈の扱い方にはそんな方法もある。ただ、そういうことは「あとがき」でなく「はじめに」書いておいて欲しかった… ついでに云えば、アーザル・ナフィーシーの『テヘランでロリータを読む』を読むと、『ロリータ』から見える光景はガラリと変わってしまう。そこでは「ニンフェット」というコトバも、もはや甘い悪意の薫りを放つことなく、他者の人格を奪う呪いの人称へと変わる。


●底本について

 本作『黒白戦記こくびゃくせんき』は、中世擬軍紀物の白眉、『鴉鷺あろ物語』(※一条兼良の作とされるが、たしかではない。『新日本古典文学大系54 室町物語集・上』所収。岩波書店、1989年)を底本として創作したフィクションである。作中のすべての事件は架空のもので、実在する個人・団体などとは一切関係しない。や、個人もヘッタクレも、ヒトがほぼほぼ登場しない。


●「前口上まえこうじょう

 本段は底本における「第一 和歌、管絃、郢曲(えいきょく)事」の冒頭部分のパロディーである——と云うて、元ネタがわからねばパロディーもヘッタクレもないので、長くなるが参考までに当該部の原文を以下に記す。


「それ、烏鳥(うてう)林にさはぐ声すなはち是広長舌(くわうちやうぜつ)鷺鶿(ろじ)汀につ色あに清浄身(しやうじやうしん)にあらずや。法に玄妙の相なし、世間常住の相なり。(ぶつ)奇特きどくの性なし、衆生(しゆじやう)本来の性也。眼に(その)色をけず、耳に(きき)て其声をわきまへず。ある時は憎愛の思ひを(きざ)して彼を抱かず、鏡裏(きやうり)の像のごとし。ある時は善悪の相をこしてこれに住せず、樹頭の風に似たり。(きたり)てとゞまらず(さり)かへらず。まことに(しん)ぬ、一切(いつさい有為うゐ)の法は夢幻泡影(むげんはうやう)のごとし。

 (そもそも)、天地開闢(かいひやく)して人民はじめて(しやうじ)てこのかた、三皇五帝の昔、一天其仁(そのじん)よくし、四海(その)義をのつとる。王臣(わうしん)度をまもらざるにたゞしく、孝行の(おもひ)自然にふかし。国家無為(ぶゐ)に属する事久し。こゝに周年に(および)て道やうやくおとろへ、礼すでにすたれたり。仲尼(ちゆうぢ)老聃(らうたん)、王道をおこし、黄石(くわうせき)子房(しばう)、武略をつたふ。四書五経は道をたゞす、六韜三略(りくとうさんりやく)は敵をほろぼすなかだち也。道たがふときんば文を(もつ)てこれをたゞし、敵こるときんば武を以て是をたゞしくす。故に治世利民、文武を以て経緯(けいゐ)とす。和漢の勇士、古今の武将、誰か文あつて武なからん。何ぞ武あつて文なからん。文を左にし武を右にす。鳥の二翼のごとくけてはかなふ事なし。(しかれ)ども澆季(げうき)にくだりて、文いたづらにすたれ武みだりに(ふ)。少人君子をあざけり、愚人智者をそねむ。無道(ぶたう)さきとして梟悪(けうあく)をむねとす。(しか)あひだ飛禽走獣(ひきんそうじう)(いたる)まで、合戦闘諍(かつせんとうじやう)もつぱらとする也。(よつて)(さん)ぬる烏鵲(うじやく)元年九月上旬、都に希代(きたい)の合戦侍り。その濫觴らんしやうをたづぬるに鴉鷺(あろ)確執くわくしうとぞうけ(たまは)る。」

(『鴉鷺物語』より抜粋)


 以上の文章に、♪「八木節」のを枕詞として被せ、王崑崙おうこんろんの「布袋和尚呵々かかれい」を小さじ一杯、埴谷雄高はにやゆたかの『死霊しれい』を一つまみ入れ、オモシロ語訳すると本段の「前口上」となる、ぷふい——!

 ちなみに、「布袋和尚呵々令」は岩波文庫の『全訳 笑府(上)』の「笑府序・注」に紹介されていた一文、『死霊』は埴谷雄高が50年かけてついに完結させられなかった「わが国初の形而上小説」(講談社文芸文庫『死霊Ⅲ』帯文より)である。前者は老聃ろうたん(老子)・仲尼(孔子)・釈迦を風刺し、後者は教典上の釈迦やイエスの欺瞞を糾弾している。



◆参考文献

 ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズⅠ/Ⅱ/Ⅲ』(丸谷才一・永川玲二・高松雄一 訳)集英社 1996/1997年

 ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ1-12』(柳瀬尚紀 訳)河出書房新社 2016年

 小林広直「『ユリシーズを燃やせ』のためのブックガイド」、ケヴィン・バーミンガム『ユリシーズを燃やせ』(小林玲子 訳)所収。柏書房 2016年

 柳瀬尚紀『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』岩波新書 1996年

 若島正「訳者あとがき」、ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(若島正 訳)所収。新潮文庫 2006年

 アーザル・ナフィーシー『テヘランでロリータを読む』(市川恵里 訳)河出文庫 2021年

 王崑崙「布袋和尚呵々かか令」、馮夢竜 撰『全訳 笑府(上)中国笑話集』(松枝茂夫 訳)所収。岩波文庫 1983年

 埴谷雄高『死霊Ⅲ』講談社文芸文庫 2003年

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