【第十一】荒神橋騒動の事

 野良イヌどもとの決着がついたのちも荒神橋の不穏な空気は晴れず、シラサギの若殿は、争いの燃えサシに新たな薪をくべようとしておりまシタ。


「もしや、この争いに敗けた者を喰らうつもりで、黒山の群れとなって見張っておったのではあるまいナ?」シラサギの若殿は荒神橋から高みの見物を決め込むカラスどもに、剣の切っ先を向けながら申しました。

 カラスどもは返事もせずニタリニタリとわらうのみ——

 若殿の弟君は兄のただならぬ様子にうろたえ、アマサギやコチドリは緊迫した気配に身じろぎもできぬ有り様——


 雪透姫すずかしひめもまた立ちこめる殺気に怯えておりましたが、ただ祇園林の子ガラスだけが、姫の羽衣ういに護られながらも、ふしぎな安堵に身を浸しておりまシタ。外の様子が気に掛かり、「なにが起きておるんじゃ?」と羽衣の隙間から顔を覗かせようとすると、「いま顔を見られては、カラスどもにどんな嫌がらせを受けるかわからぬ」と姫に羽衣を被され諭されまス。

 子ガラスはくちばしを尖らせて「さようなことがあるか、わたしを誰だと思うとるンじゃ」と云いながらも素直に従ってしまう育ちの良サ——

 すると姫、子ガラスを覆うじぶんの羽衣のなかに顔を突っ込み、「チョコザイな小僧め、名を名乗れ」と小声ながらも囃すように問う——

 子ガラス答えて「祇園林の冬若丸じゃ」と名を告げる——

 すると姫も「わらわは雪にございまス」と名を名乗り、ふたり密かに名を交わしあう——


 さて、シラサギの若殿はと云うと、嘲るばかりのカラスどもに腹を立て、「浅ましい奴ら…!」とかおをうつぶけて吐き捨てる… すると「いま浅ましいと云うたか?」と何者かの問う声… 若殿、欄干のカラスどもにふたたび眼を戻し、「誰じゃ?」と問い返す…「誰かなにか申したか? なにか文句でもあるか、云え!」

「云われなくとも云うてやるわ!」——

 まかでたるは一羽のミヤマガラス、かの悲運の精兵・兼門かねもん勘三郎かんざぶろうが遺児・勘太郎にございました。欄干に大柄なハシブトガラスの居並ぶなか、見劣りしない威風を吹かせ、爛々としたまなざしを若殿に指し向けております。


 勘太郎の腰の一本差を見て、若殿は「浪人風情が…」とくちばしを歪める——

「いま御主はわしらを浅ましいと云うたな?」と勘太郎、「わしらのどこが浅ましい?」と憤懣やるかたなき様子——

「浅ましかろう、吾らか野良イヌどもか、どちらか死ぬのを待ってそれにあやかろうと群がる姿、浅ましくなくてなんと申すか?」

「死にさとき吾らが不穏な気配に引かれて集まるは当然のことじゃ。そもそも命のやり取りをはじめたのは御主らの勝手じゃろう!」

「それでは、この黒イヌをどうする?」サギの若殿はもはや動かなくなった黒イヌに剣先を向けて問う…「この黒イヌを、そなたたちは喰わずにおれるのか?」

 それを聞いて「どうしてそうなる?」と別のカラス…「喰うにきまっておろうが!」「腹が減って死にそうじゃ」とまた別のカラスどもがわめきはじめる…「早よ喰わせェ!」「邪魔するな!」——

「正体を現したな…」と若殿はわらいで返す…「申しておることはまさに餓鬼道の亡者の戯言ざれごと——」

「なにを申すか? この末世で、都の辻々に打ち棄てられた憐れなむくろを、ウジにたかられるまま棄ておけと云うのか? 誰かが喰らわねば、都は三昼夜のうちにウジとシデムシの黒海に沈み、空は銀バエの黒雲に染まるわい!」と勘太郎——

「そうなれば一番煙たがるのは御主らじゃろう!」とほかのカラスどももつづく…「ちんたら魚を突つくばかりのドジョウすくいが云うな!」「そうじゃ!そうじゃ!」「ハエも捕まえられんくせに!」「ウスノロは引っ込んどれ!」——

 ここでシラサギの弟もいたたまれず、「吾ら鷺鶿ろじを愚弄するか!」と火に油を注ぐ、カラスどもは「先にグロウしたのは貴様らじゃろう」と燃え盛る——!

「なにを申すか!」

「ドジョウすくいはザザムシでも喰ッ「腹減ったゾ!」たれ!」

「恥知らず「黙れ!」Son of「ひっこめ!」しろッ!」

「腹減っ「なにを云「早よ喰「そこ「黙らんか!」に直れ!」」わせェ!」

「あ「骸喰ら「まだ?」い「喰い殺「喰わせろ!」だよ!」てろ!」

総排出腔そうはいしゅつこうから手羽先突っ込んで奥歯「がんばれ!」cker!」たろかい!」」かよ!」された「てやん「うるせ「シデムシが「っちまえ!」しめえよ」か?」がれ!」」んのんじゃい!」んねん!」!」ck you!」!」」」」」」と渦巻く怒号——


 その最中、勘太郎は左の手羽で一本差の鯉口を切り、右の手羽を刀のつかに添えて身がまえまシタ。それヲ見て、若殿もまた剣を立て右寄せに脚を引き、ミヤマガラスの剣撃を受けるかまえ——!

 ここで地の利は欄干に立つ勘太郎にアリ… さらに申せバ、いちど生き身を斬ったことが、いまやサギの若殿の枷となってございまシタ。命を奪ったことへの本能的嫌悪が、八双はっそうにかまえた若殿の両翼を強張らせるのでございまス。


 然れバ、期は満ちたり、と誰しも思ったその刹那——突然、突如として、まさに青天ノ霹靂のごとく、山城やましろ盆地を揺るがス、突発的な、突拍子もナイ、空前絶後にしてインド人もびっくりの、白昼の大鶏鳴が洛中一帯に轟き渡りまシタ。


「コぉケコッコオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」


 その大轟声は鴨河ヲ波立たせ、ただすの森の木々を揺さぶり、花の御所の桜を吹き散らシ、荒神橋をタコマ橋並みに波打たせました。

 サれば欄干に止まっていたカラスどものうち、或ル者は白眼をき、或ル者はおしっこを漏らし、或ル者は白眼を剥きながらおしっこを漏らシ、ことごとく気を失ってバタバタと鴨河に墜ち、立田川に流るる紅葉もみぢのごとく流れ流れて、桂川、木津川、宇治川、淀川と下りに下って大阪湾、紀淡海峡を抜け、紀伊水道をとおり、太平洋に出たのち東に舵を取って海を渡り、ニライカナイに流れ着いて幸せに暮らしたとサ、メデタシメデタシ——


 一方で気絶を免れたカラスやそのほかのトリどもはと申シますと、鶏鳴の大音圧に弾き飛ばされ、蜘蛛の子を散らすがごとく一羽残らズ飛び去ってしまいまシタ。ただ、橋の下にいたサギの一群だけは鶏鳴の直撃を免れたおかげで、なんとか腰を抜かスくらいで済んだのでス。


「無事でおいでか?」と荒神橋のうえから一羽のニワトリがあか鶏冠とさかを覗かせまシタ。

 すると、シラサギの姫の羽衣の陰から、子ガラスがひょっこりと顔を出シ、声の主を目の当たりにして、「お師匠!」と呼び掛けて参りました。ニワトリもまた「おお、冬若殿!」と親しげに応じます。

 そう——憶えておいでと思われますが、このニワトリこそ、子ガラスの和歌の師匠にして、この日の朝、逢坂山より上洛した、かの隠禽・漏刻博士関知時にございまス。

 次いで「知時殿…」と声を掛けたのは、意外にもアマサギの御前でございまシタ。ニワトリも「おお…」と息を漏らして鶏冠を下げる… あとは眼を見交わすのみでしたが、その一瞥もなにやらイワクありげな由——


 ほかのサギどもが眼を白黒させるなか、和歌の弟子は嬉々として「いまの長鳴きはお師匠でスか?」「なんの御用で都に?」と師匠に矢継ぎ早に訊ねまス。ニワトリは「まあまあ…」と答えを濁しながらも、「じつは此奴にも用があっての」と眼を回したミヤマガラスの首根ッコを引っつかんで摘まみ上げてみせまシタ。ミヤマガラスはおしっこを漏らしておりました。


 尚、御承知のことと思いまスが、トリの用便はひとつしかない排出腔から糞尿取り混ぜて為されまスので、「おしっこを漏らしたイコールうんちも漏らした」と云うことになりまス。


 和歌の師匠はミヤマガラスをぶん回しながら河原へ下りルと、「カラスどもが戻らぬうちに、ササッ」とサギの一群に促しまス。

 見上げると、先刻飛び立ったカラスどもが次第に戻りツツあり、上空で渦を巻きはじめておりまシタ。

 若殿はじぶんの斬り殺した黒イヌに気を取られて脚を止めましたが、ニワトリはその背を前に押しやり、「弔ってやる暇などございませんゾ。なに、気の済むだけ啄ませておやりなされ」と若殿の耳もとに囁き掛けまシタ。「それがあの者どもの神より担わされた宿業でございまス」——


【第十二】につづく——

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