【第五】鳥真似禅の事

 その日、キテ●ちゃんがごときまなこの若君は、兄の東市佐ひがしいちのすけに伴われ、午前ひるまえから花の御所の東隣にある赤松林に赴いておりまシタ。


 この林には一羽のホトトギスが僧堂をかまえておりましテ、巷には「般若林はんにゃばやし」の名で通ってございました。時に禽界きんかいの武家のあいだでは禅が武士のタシナミとなり、猫もシャクシギも坐禅を組む御時勢… カラスの兄弟もそのホトトギスの催す坐禅会に招かれていたのでございまス。

 さてこのホトトギス、俗名を平内へいうち五郎ごろう武春たけはると申シ、いまは出家して杜宇弧雲とうのこうんと称しておりまシタ。その出自は般若林の外れにございます銘木「鴬宿梅おうしゅくばい」にございまして、卵時代、その梅の枝に架けられたウグイスの巣に托卵されたのがはじまり… 孵化したのちはその巣のあるじたるウグイスに養われ、現在に至りまス。

 養父のウグイスは名を梅原好声うめはらのよしなと申し、かの「難波津なにわづ鳥歌合とりうたあわせ」を創始した名鶯めいおう菅原朝臣すがわらのあそん梅園黄鶯ばいえんこうおう直弟子じきでしにして、横笛の名手として知られ、カラスの若君にとっては歌の善き聴き手であり、笛の手解きもする仲… また、このウグイスが奏する横笛も、銘を「春鶯囀しゅんおうてん」と申しまして、「♪ヒャラ~リヒャラリコ」と一風変わった音色を奏でる、金銀蒔絵の装飾も美しい妙笛でございまス。ちなみにこの笛は、しばらくのち人界に伝わり、丹波国満月城城主・丹羽にわ修理亮しゅりのすけの息子・菊丸の持ち物となり後世に知られることとなるのでございまシタ。


 ところでカラスの若君が般若林に赴いたのはこの日がはじめてではございません。ですが、正直なところ何度参っても馴染めぬ場所でございました。それでも兄君は、これも武士のタシナミじゃ、と弟をなんとか禅に馴染ませようとなだめすかし、時には兄としての権威も振りかざして、弟を毎度この僧堂へ引っ張って来たのでございまス。

 ただこの日の若君は、兄君の企てた奸計に、いつも以上に激おこプンプン丸でございまシタ。

 と云うのも兄君は、本日の「座禅会」に若君を誘うため、あの雪舟の国宝『四季花鳥図』のモデルとなったタンチョウヅルの丹頂尼たんちょうにがゲストに来られるゾよ、と兄君はありもしない嘘を申し、弟君を騙したのでございまス。

 されバ若君が、丹頂尼サマに会えるゥ♡といつになく喜び勇んで赤松林に参ってみると、目当ての丹頂尼はおらず、代わりにいたのは「タンチョウヅル」ならぬ「サンショウクイ」の山椒尼さんしょうにで、その習性上、僧堂の梁から下には降りてこず… そこへ「おまえが勝手に聞き違ったのじゃろう、カ~カカカ…」とアシュ●マンがごとき兄のわらい方がまた腹立たしい——!


 だいたい「禅」と申しましても畜生のすることですから、人間サマのような上等なものにはなり得ませン。「坐禅」ひとつ取ってみても、トリの脚の構造上、結跏けっか趺坐ふざはもちろん、半跏はんか趺坐ふざはおろか、簡単なあぐらさえ組むことが叶いません。然れば、アヒルはアヒル座りができません。

 トリの脚骨格は爪先立ちでウンコ座りしているようなもの… ヒトの膝関節に当たる部位は胴体に折りたたまれて癒着しており、坐禅を組むなどドダイ無理な話なのでございまス。もしそれを承知で坐禅を組ませるなら、表に見えている脚——脛節けいせつ跗蹠ふせきなどと申シますが、それをポキポキ折って、無理クリ坐禅のカタチに組ませるか、肉を裂いてヒトの大腿骨や脛骨に当たる骨を引き伸ばしてから組ませルほかなく、鳥獣保護法違反で刑事告発されること間違いナシ——!


 そうは申シても人間サマは如何に?

 トリの脚の造作をからかって嗤えるほど上等ナリや!?


 かつて、臨済りんざい義玄ぎげんは師の黄檗おうばく三度みたび教えを乞うて三度打たれ、次いで大愚和尚のもとを訪ない、そこで大喝を喰らった末、ようやく大悟を得たと申します。しかも話はそれで終わらず、その悟りを示すため、こんどは臨済が大愚の脇腹にボディーブローを三発、とどめに黄檗のもとに戻ってビンタを一発喰らわせたとか——


 それほど気合の入った臨済禅の神髄が、都の禅僧にどこまで受け継がれておりましょう?

 もとより、明菴栄西みょうあんようさいが宋に渡った時代には、達磨大師の「一切無功徳」「五帝三皇是何物ぞ」の気概は廃れておりまシタ。新興ノ信仰を世に広めるためには結局ナンキョク、時の権力と結ばねばならぬのが世のならい、その時そこにウェット&メッシーなビタ銭が生じるのは世の常にございまス。

 吾が国の臨済禅は幕府の庇護の下、宋から五山制度を輸入して権威化を図り、全国に六十店舗余りのコンビニ禅寺をフランチャイズ展開——

 五山十刹の高僧らは御家人や豪商らとのサロン活動に励んで禅問答の謎解きをレクチャー、詩会を催し、茶会を開き、にわか居士マニアから寄進を得、祠堂銭などで私腹を肥やす… 明との貿易に「禅」がビジネスツールとして有効と知れば、貿易顧問として商船に乗り込んで巨利を貪る… 商僧や売僧まいすと成り果てれば、夜な夜な酒宴を上げて、化粧した小坊主どもにコスプレさせて弄ブ——


 そんな官寺五山の写し鏡が鳥マネ禅であってみれば、それは、より歪んだ禅にならざるを得ませン。

 ホトトギスが紫の法衣ほうえを身にまとい、大きな袈裟をひらひら振るさまは、まさしくその戯画カリカチュアに描かれた道化にございましょう。そんな弧雲禅師のいでたちを見るにつけ、カラスの若君は、フンプンと漂うウサン臭さを嗅ぎつけずにおれないのでございまス。

 カラスの嗅覚は一般に鈍いと思われがちですが、この手の嗅覚には長けている由… ただ、どんな生物にも個体差はございまして、家格や権威にこだわる兄君の嗅覚はアテになりそうにございません。純粋禅と鳥マネ禅の違いはおろか、鳥マネ禅と鶏メシ御膳の区別さえつくか心配でございます。


 とは云え、それがたとえ純粋禅あっても、若君ののんびりした性格ではその激しさについて行くのが難しい——

 そもそも禅と結ぼうとする「武士」や「サムライ」なるものがイケ好かぬ… 「武士道と云うは死ぬ事と見付けたり」などとのたまいながら、「散りざまが首を落とされたようで気味が悪い」と椿の花を忌んだり、関東ではウナギをさばくのに「」のは縁起が悪いからと「背開き」にさせ、関西では「」ではげんクソ悪いからと「お造り」と云わせる——

 詰まるところ、「死」に怯えるさまはお仕置きで押入れに押し込められたお子様とおなじにございまス。若君は、サムライどものそんな上ッ面の勇ましさを厭う… そこに無理やり引きずり込もうとしている兄ガラスの身勝手さも、やはり腹立たしい——!


 ついに若君は、兄君とホトトギスが「ソモサン!」「セッパ!」とやりあっている最中に僧堂を抜け出しまシタ。

 まず心当たりとして、先刻述べたウグイスの住まう梅の銘木を訪ねてみたものの、主人のウグイスは留守の由… このまま僧堂に戻るのはシャクながら、兄君にナイショで祇園林に舞い戻るほどの勇気はございません。

 それならバ、と思いついたのが、お隣の室町殿——花の御所でしばし桜を愛で、歌の二、三首詠んで僧堂に戻れば坐禅会もちょうどオヒラキの頃合じゃろう、とサッソク豚足、若君は梅の木を離れて揚げ雲雀のごとく舞い上がったのでございます。


 何処いずこよりともなく琵琶の音が響いて参ったのは、その時でございまシタ。

 穏やかな春の日に合わぬ、心絞めつけるもの悲しき調べ——


 空の上より琵琶の音の鳴るほうを見下ろせば、鴨河のほとりに白菊が一輪咲いているのが眺められました。

 菊の香りに誘われるアゲハのごとく、咲き誇る姥桜のたもとに舞い降りてみると、鴨河の流れをはさんで一羽のシラサギがございまシタ。


 ——白菊と見えたのはシラサギであったか…


 サギは思いつめた様子で琵琶を奏でておりました。

 周りではアマサギやコチドリが一心に耳を傾けてございまス。桜の枝に止まる小禽どもも琵琶の響きに聴き惚れている由… その音に惹き寄せられるトリどもの数はまだ増えていく模様… ここに人畜加わればまるで仏陀の涅槃図ナリ——


 されば、若君は知らず知らずのうちに懐の横笛に手羽を伸ばしていたのでございます。


【第六】につづく——



◆参考文献

 槇野修 著、山折哲雄 監修『京都の寺社505を歩く(上)——洛東・洛北(東域)・洛中編』PHP新書 2010年

 柳田聖山 訳『臨済録』中公文庫 2019年

 水上勉『一休』中公文庫 1978年

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る