第19話


 丸太のような足で踏み込み、熊の拳が連続パンチを叩き込む。俺はバックステップでひたすら退く。速さは並みだが一発一発が重い。一般人がまともに食らえば首が吹き飛ぶ。〈怪異持ち〉や〈浄霊師〉でも顔面が陥没しかねないだろう。さすがは熊だ、一級品のパワーである。


「逃げてばかりでつまらない。少しは反撃したらどうなのよ!」


 急停止したかと思うと増入は右足を持ち上げる。毛皮に覆われた回し蹴りが繰り出される。旋回せんかいする獣の大木を前に、咄嗟とっさにしゃがんで回避。寸前で事なきを得る。

 挑発して本気を出させたいらしい。自殺行為だというのに。仮の話だが、もし俺が後先考えずヴェノを召喚すれば、増入はおろか取り巻き二人も纏めてノックアウト。仲良く保健室送りである。未だ主導権を握っていられるのは、ひとえに俺が逃げの一手のみだからだ。

 絶対、挑発に乗ってはならない。

 どんなに罵詈雑言ばりぞうごんの嵐を浴びようとも、だ。

 とにかく、時間を稼ぐのが最優先事項だ。あと五分足らずで始業のチャイムが鳴る。担任教師がこのフロアを訪れる時間だ。さすがのミスターTでも、目の前で乱闘となれば止めるはず。彼が見て見ぬ振りをしたとしても寺骨が介入するだろう。望み薄かもしれないが、今はそれに全てを賭けよう。


(どうだかね。坊主も事務員の女も結局は同じ穴のむじな。〈鉄檻〉を組み上げて魅命達を管理している連中だ。本気で信用しているのかい?)


 そんなのは百も承知。だが、他に打開策が浮かばず、わらにもくそにもすがるしかないのが現状。たとえそれが、俺達に理不尽をいた者の同類だとしても、だ。


(ふぅん、そうかいそうかい。私はその連中よりも信用できないってことだね)


 いいや、語弊ごへいがあったな。

 正確に言えば「どっちも信じるに値しない糞」である。ただ、よりリスクの低い方を選んだまでだ。少しでも地位を向上させたければ、俺に対する恋愛感情を捨てて従順になれ。そうすれば考えてやらないこともない。


(それで取引のつもりかい? まだまだつたないねぇ)


 熊と化した増入が猛然と迫ってくる。両腕を振り上げて爪の同時攻撃だ。身をかがめて避けるも制服をかすめてしまう。皮膚に至らなかったのは幸運か。回避一択もそろそろ限界が近い。もはや無傷では済まなそうだ。


「どうしたんだよ。俺達にやった技を出してみろよ!」

「ひひっ。逃げてばかりとか、本当はただの腰抜けだったんじゃないかな?」


 吉川と篠原が野次やじを飛ばしてくる。手酷くやられたのになおも挑発に勤しむとは。もう一度壁にめり込ませるべきだろうか。


「ちまちまと小賢こざかしい。私は正面からてめぇの技を打ち破りたいんだ。男を見せてみなよ転校生ッ!」


 増入はしなやかに跳躍。ボディプレスの要領で押し潰しにかかる。巨体を前に後方へ飛び退くも間に合わない。直撃だけは避けられたが、衝撃の余波を食らってしまう。宙を舞う体は自由が効かず、骨がきしみ悲鳴を上げる。挙げ句、突風に流され廊下の端へ、どん詰まりへ追い込まれてしまう。


「“陸・空・海・制覇パーフェクト・パズル――ホーク”!」


 追撃とばかりに増入は更なる変身をする。彼女の姿は猛獣たる熊から猛禽類もうきんるいの鷹へ。大空を我が物とする烈風の覇者へと変貌する。

 最速の一撃で確実に仕留めるつもりなのだ。

 雄々しい翼をはためかせ、長く伸びる通路を滑るかの如く肉薄する。スピードは熊形態とは段違い。距離はあっという間に縮まり、狩猟者しゅりょうしゃの瞳に俺の姿が映る。


「この逃げ腰短小インポ野郎が。戦わないなら死になさい!」


 暴言と共に猛禽類の切っ先が肌を貫く――その直前、体の内側より膨大なる瘴気が噴き上がる。

 刹那、うなる大蛇の尾。

 次元を引き裂き、虚空より現れたる闇の権化。姦姦蛇螺の鉄槌てっついが瘴気を纏い振り抜かれる。

 音を置き去りに、鷹の肉体は廊下の遥か彼方へ飛んでいく。

 抜け落ちた羽毛が優雅に舞い踊る。

 手下の二人は呆然とするいとまさえない。親玉の両翼に巻き込まれ、哀れ三者同様突き当りの壁に激突。我が身を襲った悪意に気付く間もなく沈黙した。

 僅か一秒にも満たぬ早業とその顛末てんまつ

 まさに瞬殺だった。否、殺してはいないのだが。


「……マジか」


 ヴェノを召喚して、増入とゆかいな仲間達を鎮圧した。

 それは紛れもない事実だ。

 しかし、問題なのはその判断をした者が誰か、という点だ。無論、俺ではない。となると、残るは一人――否、一匹しかいない。

 ヴェノだ。

 俺の意志を飛び越えて、独断で現世に姿を現したのだ。


(そりゃあ当然さ。魅命を短小インポなんて事実無根の罵倒をしたんだからね。さすがに看過できなかったよ)


 怒りは御尤ごもっともなのだが、俺の指示なしに攻撃するとは。

 かなりまずい状況だ。

 俺さえ我慢すれば召喚する事態にならず、暴走も完全復活も可能な限り先延ばしできるはず。そうたかをくくっていたが、どうやらその認識は甘かったらしい。

 ヴェノの逆鱗げきりんに触れてしまえば、俺の意志に関わらず召喚――もとい、勝手に飛び出してくる。

 内なる怪異を律することさえできない。

 どうやら、残された時間はさほどないようだ。


「……あなた、本当に強いのね」


 ひょっこりと、ガラス窓より藤村が戻ってきた。


「だからこれは……いや、もうそういうことでいい」


 説明するのも面倒になってきた。正規の〈怪異能力〉じゃないとか、意思に反して出てきたとか。あれこれ解説したところで単なる言い訳。形はどうあれ、再び竹組を撃退した事実に変わりはない。


「あなたの力量は、まぁそれなりに認めてあげてもいいわ」

「……そうか」

「何よ、そのおざなりは返事は。我に対する不敬で処断してもよいのだぞ!?」


 キャラを作ってご立腹の様子だが、どうでもいいので放っておこう。

 それより問題なのはヴェノの方だ。

 いつまた誰が地雷を踏み抜くとも知れない。

 己が内に隠された火薬庫が現在進行形でくすぶっている。大輪の花を咲かせようと、暴発の時を今か今かと待ち望んでいる。

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