第18話


「こないだはどうも」

「お礼はたっぷり返させてもらうじゃん?」


 痩せぎすの男子とツーブロック頭の男子。どちらも包帯まみれの絆創膏ばんそうこうまみれ。首にはコルセットも巻いている。ちょうど一週間前に叩きのめしたばかりの竹組、篠原歳都と吉川勢一の登場だ。


「ふーん。こいつが最近イキってるらしい、梅組の転校生なんだね」


 否、もう一人いる。

 渡り廊下の曲がり角より少女が現れる。うねる髪の毛を棚引たなびかせ、釣り目がギラギラ獰猛どうもうな光をたたえている。背丈と程よい肉付きから推測するに高須賀と同年代だろうか。


「私は増入ますいり久美奈くみな。うちの手下が世話になったみたいだからね。このままじゃあ竹組の沽券こけんに関わるし、ちょいと顔を貸してもらえるかな?」


 要するに不良の逆恨みである。

 調子に乗って痛い目に遭い、汚名返上にと身内に助けを求める。テンプレート通りの展開に失笑を禁じ得ない。


(へぇ。あの女、いいかんじの瘴気を醸し出しているねぇ)


 怪異を見抜くヴェノの洞察に間違いはない。

 両脇でぺこぺこしている男子二人をはべらせる、数段上の実力者というのは明白。彼女を撃退するにはヴェノの力が必須だろう。

 しかし、これ以上の依存は身を滅ぼす。いかにしておのが力のみで切り抜けるかが肝要だ。天地がひっくり返ろうとも怪異の召喚などするまい。


(いけずだねぇ。意地なんて張らず、気軽に私を呼んでくれないかい?)


 誰がするか。

 暴走のリスク云々うんぬんどころではない。俺を食いたがる変態を野放しにできるかって話だ。悪魔のささやきのつもりかもしれないが、冗談も大概にしろ。たまには天使の囁きもほしいところだ。

 ああ、面倒なことになった。

 ちら、と後ろを見遣みやると、藤村が仁王立ちで震えている。いくら格好つけていても体は正直らしい。怯えているのが一目瞭然だ。安易に竹組の生徒とほこを交えるのは得策ではない。梅組の誰もがそう判断するに決まっている。


「そんな暇はない。もうすぐ授業が始まる。そっちも同じはずだろう。だからどいてくれないか?」

「悪いけど、その願いは聞き入れられないね。皆勤賞なんかより私らのプライドの方が百倍重要だよ」


 交渉決裂、取り付く島もなし。話し合いで解決は無理らしい。

 かといって力尽くの突破は論外だ。戦闘は避けたいのに選択肢がほとんどない。八方塞がりである。


(なんだい、面白そうだってのに。私は準備万端、いつでも行けるよ?)


 だから、嫌だと言っている。

 きつけようとしても無駄だ。梃子てこでも動かないぞ。


(意気込みはいいんだけどね。あっちがその気な以上、どうしようもないんじゃないかな?)


 ヴェノに賛同するのはしゃくだが正論である。

 いくら俺が非暴力を貫こうと、相手が対話拒否で攻めてくるのだから戦闘不可避。抵抗しなければ好き放題に蹂躙じゅうりんされるだけ。それでも丸腰での話し合いを望むほど、お花畑な頭をしていない。

 激突はもうすぐそこまで迫っている。

 増入の全身より〈怪異持ち〉特有の瘴気が、間欠泉かんけつせんの如く勢いよく噴き上がる。能力発動のきざしだ。仕掛けてくる。


“陸・空・海・制覇”パーフェクト・パズル――ベアー!」


 増入は瞬く間に黒色の獣へと変貌へんぼうする。屈強な四肢ししには鋭利な爪、口元に覗かせるのは頑強な骨をも噛み砕く牙。その姿は獣被害として悪名高いくま――しかも在来種では最大サイズのひぐまだ。その肉体がもたらすパワーは、腕力走力防御力どれをとってもけた違い。人間とは比べ物にならないスペックだ。心得のない者が生身で立ち向かえば、数秒とも持たず死亡確定。翌日の新聞を賑わせる結果になるだろう。


(あの女の中にいるのはリンフォンみたいだね)


 リンフォンとは、とある正二十面体の立体パズルと、それに付随する怪奇現象の名称である。熊、たか、魚の順で変形するとされており、最後まで解き終わると……というのが、伝承の概要だ。

 増入の〈怪異能力〉はその変形機構が元となり、熊に変身する能力として発現したのだ。恐らくこの他にも、鷹や魚への変身も控えているだろう。


「藤村、逃げろ」


 仁王立ちマナーモード状態の彼女に、さっさと立ち去るよう促す。


「えっ、でも」

「鏡の中でもどこでもいい。早くここから離れるんだ」


 とてもじゃないが、召喚なしで彼女を守り切れない。自分の身すら危ういのだから当然である。


(だからぁ、私を頼ればいいんじゃないかなぁ。それで万事解決だよ?)


 しつこい、うるさい、黙っていろ。

 お前との漫才に割けるほどの余裕はない。売り切れ御免だ。また明日にしてくれ。

 と、内なる怪異をたしなめている間に、藤村は鏡の世界に隠れてくれた。ガラス窓からだ。反射する平面ならどこからでも入れるらしい。ひとまずは安心、これで彼女の安全は保障された。もっとも、俺は以前デンジャーゾーンの只中ただなかだ。熊の鋭い爪が鈍く閃き迫っていた。


 斜め右後方へと跳躍、紙一重で斬撃を回避する。攻撃対象を失った刃は空振り、木製の床に引っ掻き傷を残す。

 本気で殺すつもりの一撃だった。

 殺意を募らせてまで俺を打ち負かしたいのか。逆恨みもはなはだしい。こんな輩がわんさかいるから〈鉄檻〉の治安は最悪なのだ。藤村のような生徒が出てくるのも頷ける。


「この私の攻撃をかわすとはね!」


 剛腕を振り上げて第二波、更なる爪撃そうげきが飛び出した。ぶぅん、と鈍い風切り音。俺の目と鼻の先で爪が通り過ぎる。これまた紙一重の回避だ。〈怪異持ち〉の身体能力を駆使しても、彼女の攻めをいつまでいなし続けられるか。じりじりと不安がこみあげてくる。

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