小話:夢見娘


 漆黒のとばりが降りた夜の〈怪異能力特別育成学園〉。施された結界はドーム状に広がっている。外界から隔絶された施設には、星々のきらめきさえ届かない。

 どこまでも深く冷たい闇が支配する〈鉄檻〉。その体育館に一人の少女がいた。

 何を隠そう、梅組最底辺の生徒――間宮留見である。

 紺青の制服に赤いリボン。背丈は女子の平均程度だが、豊満なバストに肥沃ひよくな尻と、健康的な肉体美が目を引く。思春期男子の大半が、心拍数アップテンポになるだろうプロポーション。こと恋愛となれば、引く手あまたで男をとっかえひっかえになること間違いなし。

 だが、現実は正反対。むしろ彼女は、自身の恵まれた肉体を嫌っていた。有効活用するどころか、それが好奇の眼差しを誘い、挙句ねたそねみの呼び水となってきたからだ。現状、百害あって一利なしである。


 留見は幼少期から絵に描いたような引っ込み思案だった。

 人の輪に入れず二の足を踏んで独りぼっち。おかげで小学校時代はからかわれる毎日。面白がる同級生達の玩具にされるばかりだった。

 全部、自分が悪いんだ。

 勇気が出ない自分が悪い。

 嫌だと言えない自分が悪い。

 そうやって、辛い日々を耐え忍んできた。


 中学生になると、いじめはより苛烈かれつになった。

 原因は前述の通りその肉体だった。周囲の誰よりも発育がよく、思春期男子の視線を一身に集める。おかげでイケメンからオタク男子まで、あらゆる方向性からアプローチを受けた。しかし、まともな交友関係を築けない陰の住人だ。コミュニケーション能力はへなちょこ。気の利いた返しができるはずもなく、いつも曖昧あいまいな返事でおどおどするばかり。押しに弱いのでは、と男子達に勘繰られ、下劣な下心に怯える羽目になった。

 無論、女子からの受けはすこぶる悪かった。何の取り柄もない陰キャのくせに、男子達にちやほやされて生意気だ。面白く思うはずもなく。いじめの内容は次第にエスカレートし、肉体的にも精神的にもいたぶるメニューに変化していった。


 契機になったのは中学二年生の時だ。

 いじめから逃げようとしたところ〈怪異能力〉が発現した。咄嗟とっさに扉の隙間へ潜り込んだ。いじめっ子達には見つからず事なきを得た。

 この力さえあれば、きっともう大丈夫だ。

 やっと手に入れた僅かな自己肯定感。

 勇気を振り絞って、両親に〈怪異能力〉の目覚めを告白した。

 本来であれば隔離確定、〈怪異持ち〉は危険生物扱いで〈鉄檻〉行きだ。それでも、両親ならきっと認めてくれるはず。いつだって自分の味方をしてくれるはずだ。

 しかし、それは幻想でしかなかった。

 

 両親は拒絶した。

 愛娘まなむすめが〈怪異持ち〉という異常な存在になったから。いやむしろ、世間体を重んじて身内の恥、けがれと断じたからだ。

 唯一信頼していた相手にすら裏切られた。

 自身の短慮さを呪うしかない。

 結局間宮は、その日の内に連行されて〈鉄檻〉に収監された。

 それからも何一つ変わることなく、梅組でもいじめられ続ける毎日。

 自分はずっとこのままなのだ。

 いつまでたっても成長しない、人間未満の〈怪異持ち〉。

 そう諦めていた。


「でも、このままじゃ駄目なんだ」


 そんな自分に今日でさよならだ。

 彼に出会って、留見の心は分水嶺ぶんすいれいに立っていた。


「巴坂君に……ううん、魅命君に相応ふさわしいあたしにならないと」


 転校初日早々から、いじめの魔の手から救い出してくれた。

 一生弱者と暗澹あんたんたる気持ちでいた自分なんかのために、全力で戦ってくれた。

 彼となら、やり直せるかもしれない。

 そんな希望がむくむくと膨らんでいた。

 だからこそ、身を挺して庇ったのだ。悪名高い竹組の二人から、魅命を守らなくては。考えるより先に体が動いていた。

 本当に役立ったかどうかは怪しいところだ。後で聞いた話によると、あの後自分は操られてしまい、魅命の手を煩わせてしまったらしい。

 このままではいけない。

 もっと彼のために尽くせる〈怪異持ち〉にならないと。

 気付けば留見は、魅命のことが気になって仕方なかった。


「だって、あたしを見つけてくれたんだもん」


 小さな頃から漠然とあった夢。

 王子様と幸せな結婚をして、誰もがうらやむ可愛いお嫁さんになる。

 そんな前時代的で非現実的な願望が、今になってくすぶり出してしまった。

 闇の呪縛より救い出してくれたのだ、魅命こそ王子様に適任だろう。

 ではひるがえって自分はどうなのか。


「まだまだ全然だよ。あたしの力じゃあ全然釣り合わない」


 魅命の隣に立つために、彼を支えられる〈怪異持ち〉になるために。

 至らぬ所ばかりである。

 留見は落ちこぼれの梅組でも更にどん底最底辺。このままでは姫ポジションはおろか、友人A役にもなれないだろう。モブ中のモブだ。

 少しでも強くならないと。


「“隙魔ジ・イントルージョン”!」


 呪文を唱えて〈怪異能力〉を発動。滑るように空中を移動すると、窓の隙間に入り込む。続けてもう一度発動。今度は用具入れの下へ。またも発動。次は扉のレールの溝へ。次々と生命力を瘴気に変換していく。

 隙間に入るだけしか能がなくても、きっといつか役に立つはずだ。

 そのためにも今は鍛錬あるのみ。スムーズな発動、連続使用。とにかく〈怪異能力〉の性能を上げるのだ。

 こめかみからほおへ、たらりと汗が流れ落ちる。

 肩で息をする。立っているのも辛い。それでも己を追い込んでいく。

 今、努力しないでどうする。

 幸せを手に入れるため、このチャンスを絶対モノにするのだ。





 そんな留見のトレーニングを見つめる者が一人。

 片思い相手の魅命本人だ。

 夜中でも明かりが点いたままの体育館を怪しく思い、なんとなしに覗きに来たのだが、まさか留見がいるとは思っていなかった。


「あいつも頑張っているんだな」


 自然と感心の呟きを漏らしてしまう。

 魅命にとって、彼女はクラスメイトの女子に過ぎず、内気な弱者程度の認識だった。しかし、向上心に見どころがある。評価を改めるべきだろう。

 だが、その本心、鍛錬するモチベーションの正体には気付いていない。

 留見が夢見がちな経験ゼロ女子であるように、魅命は夢のない経験ゼロ男子なのだ。

 進展する気配は毛ほどもなかった。

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