第11話


(あんまりその名前は好きじゃないんだよねぇ。それにほら、姦の字が入っていると、このご時世色々とうるさそうだしさ)


 そんな些末事さまつごと、誰も気にしないだろうが。

 というか、お前と対話するの俺くらいだし、全く問題ないと思うぞ。


(だから、私のことは愛をこめて、ヴェノラクル=スパイラルって呼んでほしいんだけど)


 人の話を聞け。そして長いし絶妙に呼びづらい。なんで西洋かぶれっぽくなっているんだ。少なくとも、略してヴェノで十分だろ。と、毎度言い続けているんだが。

 まったく、自己主張の激しい怪異である。


(それもそうさ。私達怪異は人間の思念より生まれ出でる虚構の存在。我ここにありと主張し続けないと、自然に廃れて希薄になっちゃうからね)


 できれば出がらし並みに薄まって、虚空の彼方へ消滅してもらいたい。

 などと願ったところで叶うはずもなく。

 俺はこのやかましい怪異と一生付き合わなくてはいけないのだ。

 それが〈怪異持ち〉の日常、そして宿命なのだ――と断言すると語弊があるだろう。

 どうやら俺と他の〈怪異持ち〉では、大きな相違点があるらしい。


(一体化した怪異と語り合えるなんて、魅命くらいじゃないかな?)


 本来であれば、怪異がコミュニケーションを取ることはない。長きに渡る封印で弱体化したせいか、それとも人間風情とは対話するつもりがないからか。基本は国交断絶状態だ。人の魂に居候しているくせに塩対応である。

 これまでの研究や論文を紐解ひもとくに、〈怪異持ち〉が融合相手と対話した、という事例は確認されていない。おかげで〈百物語事件〉の主犯や真の目的なども聞き出せずにいる。恐らく俺が唯一の例外だ。だが、それを知る者は他にいない。

 意志疎通が可能というのは大きなアドバンテージであり諸刃もろはつるぎでもある。ヴェノが語るおかげで怪異に詳しくなれたのだが、稀有けうな例と知られれば好奇の目に晒される。それどころか、貴重な〈怪異持ち〉サンプルとして、非人道的な実験に強制参加される場合もあり得る。〈鉄檻〉の劣悪さからして杞憂きゆうと言い切れないのも恐ろしい。


(ところで、今日の夕飯は何にするんだい?)


 何の変哲もないカレーライスだよ。

 かばんからレトルトカレーのパックを取り出す。間宮に教えてもらったスーパーマーケットで購入した物だ。これが本日の夕飯。自炊はできるが料理をする気がさっぱり起きないのだ。温めるだけで済むのがありがたい。


(私を外に出してくれるんなら、真心込めて手料理作ってあげてもいいんだけどねぇ。ほら、エプロンだってあるんだし)


 いそいそと巫女服を脱ぐと、ヴェノはどこからともなく引っ張り出したエプロンに着替えだした。三対の腕で器用に紐を結んでいる。裸エプロンのつもりだろうか。身じろぎする度に、鈴のイヤリングがちりんと鳴る。寒気が這い上ってくる。青白い肌とファンシーなエプロンの対比が不気味極まりない。

 と、文句しか出てこない光景だが、ヴェノの姿はあくまでもイメージ。心象風景に過ぎない。他者には認識不可能であり、この地獄を味わうのは俺だけなのだ。誰か引き取ってほしい。

 愛妻気取りの怪異を前に、頭を抱えながらの夕食だ。電子レンジで温めたカレーをもそもそ食べる。


(ちょっと言い方が酷いんじゃないかい? 私はこんなにも魅命を愛しているというのに)


 しゅるり、と。大蛇の下半身がとぐろを巻くと、俺の体をでまわすように滑っていく。ザラザラとしたうろこの感触が悪寒を誘う。無論、こちらも端から見れば一人芝居。だが、俺にとっては紛れもない現実だ。

 毎度のように「愛してる」だなんだと、よくもまぁ飽きずに言い続けるものだ。冗談も大概にしろ。

 煮崩れしたジャガイモを咀嚼そしゃくしながら悪態をつく。

 物心ついた頃からずっとこの調子だ。


 以前聞いた話では、〈百物語事件〉で封印を解かれた後、俺に一目惚れして即決で憑依したとのこと。まったくもっていい迷惑だ。しかも、肝心の〈百物語事件〉の情報については知らぬ存ぜぬで暖簾のれんに腕押し。対話ができるという唯一無二性は良いのだが、語る気がなければ無用の長物になる。

 とにかく、彼女の愛には問題しかない。

 興味のない、あるいは嫌悪する相手から向けられる好意ほど、始末に負えないものはないだろう。そこに常人とは一線を画す、怪異らしい狂気が混じれば尚更だ。

 ヴェノ曰く、愛するが故に食べてしまいたい。それは単なる比喩ひゆ表現ではなく、文字通り捕食したいという意味だ。


(愛する人と身も心も一つになりたい。それのどこが悪いんだい?)


 全部だよ。

 というか、現状既に魂レベルで混ざり合っているんだよ。それで満足してほしい。

 こいつは誕生してからずっとこの調子なのだろうか。愛故に殺してきた人数はいかほどになるのか。無残に食い散らかされた先人達に涙を禁じ得ない。


(心外だねぇ。私がこれまで呪殺じゅさつしてきたのは、誰も彼も取るに足らない者ばかり。愛なんてこれっぽっちもないし、有象無象うぞうむぞうを食べるはずないじゃないか)


 はいはい、そうですか。

 どっちにしろ、結果的に命を奪っているのに変わりはないからな。


(魅命は食べられるの、嫌なのかい?)


 逆に聞きたい。了承する奴がいると思うのか?


(うーん。魅命が私を食べたいって言ったらオッケーだよ? 髪の先から尻尾の先までぜぇんぶ捧げちゃう。さぁレッツ踊り食い!)


 この始末である。

 感性があまりにも人間とかけ離れている。人間と怪異では種族が違う、というより現実と虚構で次元が違うので、当たり前と言えばその通りなのだが。こんな危険思考の奴と四六時中同居状態なのが大変息苦しい。

 もし仮に、何かの間違いでヴェノが外に出たらどうなるのか。

 完全復活した怪異は宿主を食い破り、己の伝承に従い災厄をもたらすとされている。恐らく彼女も同様だろう。ただ、他の怪異以上に、いやらしくねぶり尽くしにくる予感がする。ああ、想像もしたくない。

 この世の〈怪異持ち〉は〈怪異能力〉を得た代わりに、大なり小なり食われるリスクを負っている。だが、俺の場合その危険性は段違い。自身を毒牙にかけようとする存在をわざわざ召喚する。冷静に考えなくても正気の沙汰じゃないだろう。針山地獄でタップダンス、血の池地獄でバタフライ。無間地獄で千日手をしている方がまだマシだ。


(そんなこと言わずに、いつでも私を頼ってほしいんだけどなぁ)


 ふざけるな。金輪際出てきてほしくない。

 完食して空になったカレー皿をテーブルに置く。怒りのせいか、ガンッと大きな音を立ててしまう。それなのに、ヴェノは口をとがらせているばかり。意にも介さぬ態度に苛立いらだちが募る。

 何度決意を新たにしているが、いずれまた召喚する羽目になるだろう。ただでさえ今日だけで二度も呼び出してしまった。〈怪異持ち〉ひしめくこの土地で、何事もなく済むとは到底思えない。楽観視できる者の方が少ないだろう。


(ふふふ、大変そうだねぇ。不安で心がし潰されそうな時は、純度高めの癒しに囲まれるのが一番さ。例えばほら、私の膝枕ひざまくらがおすすめだよ?)


 吐息がかかるほどの耳元で反響するささやき声。ヴェノが淫靡いんびに身をくねらせて誘ってくる。

 誰のせいでこうなったのか。分かってやっているから性質たちが悪い。下半身が蛇のくせに何が膝枕だ。ボケなのか大真面目なのか。突っ込むのすら億劫おっくうになってくる。

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