第10話


 だが、それがどうした。

 彼女はただのクラスメイト。しかも今日出会ったばかりだ。多少のシンパシーこそ感じたものの、危険を冒してまで助ける義理はない。いじめの現場に介入したのだって単なる自己満足。それ以上でも以下でもないのだ。

 今一度、心を殺して見て見ぬ振りをしよう。それが俺にとって最善の選択のはずだ。そうに決まっている。

 と、奥歯を噛みしめ立ち去ろうとしたところで、


「ふぅん、やっぱり逃げるんだね。いいよいいよ。ちょうど性奴隷が欲しかったところなんだ。今日からこの子は僕達の玩具になるだけだから」


 篠原の腕が間宮の乳房を鷲掴みにする。


「お、いいじゃん。うわぁ、マジでいい体してるなぁ。落ちこぼれクラスに置いておくにはもったいないって」

「ひひっ、僕の“洗脳せんのう錯乱さくらんくろまき”があれば、こんなの朝飯前さ。あ、今は昼飯後だけどね。梅組相手だから糞雑魚くそざこだし、あっという間に従順なペットの出来上がりだよ」


 吉川と篠原の指先が、間宮の体を百足むかでのように這いまわる。ふんわりとした髪の毛から豊満な胸へ、さらには閉ざされたわきへと指先がき分けていく。好き勝手にもてあそばれているというのに、間宮は微動だにせず文句の一つも漏らさない。完全に彼らのコントロール下にあるのだ。抵抗する余地すら残っていない。


「オイオイ、ホントにいいのかよ。このままじゃオレらの性奴隷コース確定ってかんじじゃん?」

「転入生がビビりの根性なしだからしょうがないね。むしろキッチリ堪能たんのうしないと失礼なんじゃないかな……ふひっ」


 横やりが入らないのをいいことに、吉川と篠原の魔の手は一層悪辣あくらつさを増していく。紺青の制服を乱雑に脱がし、ガシガシと下着越しに胸を揉みしだく。それでも間宮の瞳は虚ろなままだ。嫌がるそぶりどころかうめき声すら上げない。

 当初の目的だった、箔をつけるための勝負はどこへやら。両者共に間宮をはずかしめるのにご執心だ。都合の良い人形が手に入って狂喜乱舞、本能と煩悩を全開に醜悪な遊びは留まることを知らない。

 やがて、その手はスカートの中へと伸びる。指先をショーツに引っかけて、おもむろに下げ始めていく。禁断の領域へ土足で踏み入れようとする――そこで、我慢の限界だった。


「……その汚い手を放せ」


 空間がぐにゃりと捻じ曲がり、俺の背後よりどす黒い瘴気が漏れ出る。

 刹那せつな。瘴気の先にたたえる漆黒の闇より、なまめかしい大蛇だいじゃの尾が顕現けんげんする。

 疾風怒濤しっぷうどとう。コンマ数秒の僅かな時の狭間で、しなる尾は小賢こざかしき粒二人を打ちえる。

 目にも止まらぬ神速の一閃。

 両者共に攻撃されたという認識すらできなかっただろう。大蛇に殴り飛ばされた体は、哀れにも体育館の壁に突き刺さる。頭部がめり込み、首から下を力なく垂れ下げるしかない。

 闇へとす大蛇の尾。溢れ出した瘴気は霧散、引き裂かれた空間は縫い合わされて、元の姿を取り戻した。

 吉川と篠原は完全に沈黙。同時に間宮が膝から崩れ落ちる。〈怪異能力〉の主が意識を喪失し、洗脳が解けて自由の身になったからだろう。顔面から盛大に倒れていた。


「……またやってしまった」


 まさか、一日に二度もやらかすとは。

 やはり〈鉄檻〉は別格なのだろう。治安が悪いほどに、召喚という失態の機会は増加する。今後の学校生活が心配になってくる。

 倒れた間宮へ駆け寄ると、鼻血で顔を朱に染めながら眠っている。血反吐と合わせて悲惨な有様。しかし、それ以外の外傷は、生首ボールを食らった腹部くらいだ。髪の毛虫はとうに消滅しており、這い回った傷跡と文様は残っていない。

 連中のせいで乱れた着衣は元に戻しておこう。肌をなるべく見ないよう、そして直接触れないように慎重を喫して整えていく。

 諦観ばかりの厭世家えんせいかとはいえ、一応健全な男子高校生だ。興味がないと言えば嘘になる。だが、ここで不埒ふらちな行為に及べば、そこでめり込んでいる竹組二人と同類だ。絶対にするまい。


(もしそんなことしたら、絶対に許さないからね)


 とはいえ、このまま間宮を放置してはいけない。不届き者は成敗したが、第二第三の悪意が現れるかもしれない。それに二種類の〈怪異能力〉に晒されたのだ。怪我も加味して治療は必須だ。

 俺はいわゆるお姫様抱っこの要領で間宮を抱え上げる。


「さて、保健室はどこだ?」


 学校案内が途中だったせいで、校舎のどこに位置しているのか分からない。命に関わる場所なのだから、真っ先に聞いておくべきだった。と、悔やんだところで後の祭りだ。

 仕方ない。このまま自力で探すか。





 放課後。

 敷地内南方の端に位置する学生寮。あてがわれた個室に足を踏み入れる。見事に殺風景な部屋だ。強制的な引っ越し直後なので当然なのだが、持ち込んだ私物も少ないので、今後賑やかになる予定はさっぱりない。無趣味も相まってミニマリスト然とした部屋になりそうだ。

 溜息を一つ、力なくベッドに腰を下ろす。

 初日から酷い目に遭った。これが〈鉄檻〉の洗礼なのだろうか。これまで送ってきた生活とは大違い。月とスッポン、雲泥の差だ。秘密を隠し通し生きていた頃の方が、よほど楽だった気もしてくる。

 ちりん、鈴が鳴る。


(何を言っているんだい? 今だって私という秘密を抱えたままじゃあないか)


 うるさい。

 四六時中話しかけられているこっちの身にもなってくれ。


(そんなこと言われても困っちゃうなぁ。私は魅命の魂と一つになっているんだ。まさに一心同体で一蓮托生。離れ離れになることは永遠にないんだから。それなのに、今日は話しかけても全然反応してくれなかったじゃないか。私はとっても寂しかったんだよ?)


 お前の都合なんて知るか。

 それに俺だって、転校初日で緊張していたんだ。無理矢理連れてこられて治安最悪な環境に投入。おっかなびっくりで余裕がなくなるのも当然の流れ。むしろ察して黙るくらいの心遣いをしてほしかったよ。


(それはできない相談だねぇ。私の愛に満ちたアプローチは、未来永劫えいごう最期を添い遂げるその瞬間まで続くんだからさ)


 俺が宿す怪異、姦姦蛇螺かんかんだら

 上半身は三対の腕を持つ巫女、下半身は大蛇という異形の怪異だ。とある山奥にて封印されており、その姿を見た者を襲うとされていた。かつては霊能力を有する巫女――つまりは古の〈浄霊師〉――と荒ぶる大蛇の怪異で、別々の存在だったらしい。が、両者は死闘の末に紆余曲折うよきょくせつあって融合、新たなる怪異として誕生した。ある意味では〈怪異持ち〉のご先祖様と言えなくもない。紆余曲折の詳細については伏せる。人間の業をこれでもかと詰め込み、じっくり煮詰めたようなエグみがある、とだけは明言しておこう。

 ともかく、彼女こそが俺をむしばむ憎き怪異、姦姦蛇螺なのだ。

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