第2話


「いい子ちゃん気取って何の得があるってンのよ」

「で、でも。あたしは……その」

「だぁかぁらぁ、言いたいことがあるならはっきり言えっつってンだよ、この隙間女!」


 ギャルのかかとが机を蹴り飛ばす。「ひっ」という少女のか細い悲鳴は、けたたましい金属音にかき消されてしまう。

 他のクラスメイトは無反応だ。暴力の嵐が吹き荒れる前兆を前に、ある者は遠巻きに傍観し、またある者は無関心を決め込んでいる。

 いじめを苦々しく思うも動かない、動けない。あるいは動く気すらない。それがこのクラスの日常茶飯事。あるいはこの学園全体が、だろうか。

 あの時と同じだ。

 ここに来る羽目になった、あの時と何も変わらない。


「いつも思うんだけどさぁ。隙間女のくせに、この乳は何ってかんじなんだけど?」


 遠慮も躊躇ちゅうちょも一切なく、ギャルは少女の乳房を鷲掴わしづかみにする。胸元のリボンが激しく揺れて、紺青こんじょうの制服が歪むほど握りしめられる。


「い、痛っ」

「無駄におっきいモンぶら下げちゃって。隙間に入ったら押し潰されちゃうでしょ」

「えっと、それは……その。あはは」


 苦悶くもんで涙目になりながらも、少女は困り眉毛まゆげで愛想笑いばかり浮かべている。


「だったらさぁ。あーしが潰しちゃってもいいんじゃね?」


 嗜虐しぎゃく的に口元を釣り上げると、ギャルは彼女固有の呪文を呟き、その手にマンホールのふたを構築する。直径は約六十センチメートルほど、重さは四十キログラム以上の代物だ。ギャルはそれを細腕で軽々と持ち上げている。


「ほら、これでもまだ笑っていられンの?」


 振り上げられるマンホールの蓋。一般人であれば、その重量で殴られれば致命傷になる。たとえここの生徒でも重傷は避けられないだろう。悪ふざけの脅し程度のつもりかもしれないが、一歩間違えれば大惨事。それでも少女は愛想笑いを絶やさずにいる。否、よく見れば顔が引きっている。

 何故なぜ逃げない。

 何故抵抗しない。

 理不尽を前に全てを諦めてしまったのか。


(なんだ、つまるところ同類じゃないか)


 俺だって同じだ。

 諦観して流れに身を任せて、挙句の果てがこの現状だ。人のことをとやかく言える立場じゃない。

 これからもずっと、そうやって惰性だせいで生きていくつもりなのか。

 体の奥底、魂の内側よりどす黒い瘴気しょうきが湧き上がる。

 張り裂けんばかりの自己嫌悪。

 次の瞬間、弾かれたように動いていた。無意識だった。

 これ以上我慢できない。

 眼前で展開する非道行為にも、自分の意志を抑え込み続けることにも。


「いい加減にしろ」


 マンホールの蓋と少女の間に割って入る。

 予想外の横やりに、いじめっ子ギャルは目を白黒させている。被害者側の少女も突然の救いの手に困惑気味だ。あわあわと両手を胸元で震わせている。


「な、何だよ転校生。文句でもある訳?」

「そーだそーだ」


 狼狽うろたえながらもギャルに退く様子はない。腰巾着も強気で賛同の意を示している。

 どうやら、一度痛い目に遭わないと分からないらしい。


「やめろと言っているんだ」


 黒光りする蓋に向けて真っ直ぐ右手をかざす。

 一触即発。火薬庫は引火の瞬間を、今か今かと待ち望んでいる。

 それでもギャルはほこを収めない。むしろ渡りに船とばかりに、


「あーしに指図すんじゃねーよッ!」


 俺の脳天へとマンホールの蓋を振り下ろした。

 刹那せつな、弾ける。

 かねをつくような重厚な音が鳴り響く。ほとばしる衝撃波。天井から木屑きくずがはらはら舞い落ちる。

 ギャルの体が回転し、教室の引き戸を突き破る。飛び散るガラス片。廊下の壁に叩きつけられ、うめく間もなく昏倒する。

 不可視の連撃。

 マンホールの蓋をぎ払い、いきり立つギャルを無力化した。


「え、え?」


 腰巾着は何が起きたか理解できずにいるらしい。主人が吹き飛んだというのに茫然ぼうぜんとしている。

 一秒にも満たぬ間に状況が逆転したのだ。呆気あっけにとられるのも無理はない。


「て、てめぇ。よくも俺の女に手を出しやがったな!」


 椅子が床を転がり、怒り心頭を絵に描いたような男が躍り出てくる。これまた柄の悪そうな見た目だ。マンホール女の彼氏というのも納得できる。

 ギャル男が呪文を唱えると、その頭部はみるみるうちに膨れ上がる。繰り出されるのは勢い任せの頭突き攻撃だ。

 恋人の敵討ちのつもりらしい。逆恨みもはなはだしい。先に仕掛けたのはその恋人の方だ。身内の非を認められないのか。

 頭の大きさの割に器が小さいこと。辟易へきえきする。

 半眼で見据え、迫る男へと右手を向ける。


(敵の力量を推し量れないとは。単細胞の行動は度し難いね)


 弾ける衝撃。

 目にも止まらぬ一撃がひらめく。

 男の体が回転し、もう一つの扉を突き破る。飛び散るガラス片。廊下の壁に叩きつけられ、カップルは二人仲良く沈黙した。

 残響の中、クラスメイト達は誰もが微動だにしない。拍手喝采はくしゅかっさい罵詈雑言ばりぞうごんも起きず、ただただ静謐せいひつへと移り変わっていく。

 あり大抵に言えば、ドン引きしているのだろう。

 ああ、またやってしまった。

 事が終わってから、どっと後悔が押し寄せてくる。

 これで二度目だ、感情に任せて力を行使してしまうのは。

 同じてつを踏むなんて。己の学習能力のなさに頭痛を覚える。

 この力は使いたくない。使ってはならないのに。

 まったく、どうしてこうなってしまったのだろうか。

 

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