屋上
屋上に着くなり、女子生徒の手が離れた。
俺は雨上がりの濡れた地べたに倒れ込み、荒くなった息を整える。四階建て校舎の一階から屋上まで一気に駆け上がるのは流石にきつかった。
それなりに運動はしているつもりだったが、息一つ乱していない女子生徒を見て自信を失くす。身体能力は確実に俺より上。多分、運動部なのだろう。
それはそうとして──。
不用意に倒れ込んだ所為で女子生徒のスカートの中が丸見えな状況が続いている。非常に気まずくて視線を外すが、困ったことに何故かまた見てしまう。
そうか。これが噂に聞く男の性というやつか。なんて厄介な。
俺は半身を起こし、目を覆ってかぶりを振る。この位置ならばもう下着が見えることはない。人事は尽くした。あとは天命を待つばかりだ。
「知ってる? 思春期の歪んだ性癖は引きずるらしいわよ」
目を細めて言う女子生徒から俺は慌てて視線を逸らす。しっかりとバレていた。どうやら、しらを切るのは無理そうだ。認めねばならない。見えた物は白でも見た者は黒なのだと。素直になった方が身の為なので、とりあえず土下座する。
「すみません。故意ではなかったので許してください」
「大袈裟ね。別に気にしてないわ。欲しいなら脱ぐけど?」
「ぬっ」脱ぐだと!
「女子の下着は脱ぎたてを手にした方が健全な性癖が育まれるらしいわよ」
「嘘つけ! そんなわけあるか! 手渡されたら嗅ぐしかないだろ! それのどこが健全だ! あと健全な性癖ってなんだ! そんなもんがあってたまるか!」
「ええ、もちろん嘘よ。でも嘘をつかれたからって、その腹いせにうら若い乙女の下着を奪って嗅ごうとするのはおかしいと思うのだけれど?」
「おかしいのはお前の頭だよ! 別の世界線にトリップしてんじゃねぇか!」
女子生徒が髪を耳にかけながらふっと息をこぼす。
「酷いことを言うのね。脱ぎたての下着を『手渡されたら嗅ぐしかない』と言ったことについて小一時間ばかり問い詰める世界線にすることもできたのよ?」
「そ、それは」
「控え目に言ってドン引きよ。覚えておきなさい変態。脱いだ下着は洗濯するものよ。脱ぎたてを手渡されたからといって嗅ぐものではないわ」
「ぐっ!」正論だ。何も言い返せねぇ。
「乙女の下着はハンカチと同じ。紳士なら洗って返すわよ」
「それ嗅ぐ以上のことしてるぞ絶対! 証拠隠滅してんじゃねぇか!」
「そういう想像ができてしまうところが既に変態なのよ。自覚なさい」
女子生徒が薄く笑って虚空に手を伸ばす。すると空間がひび割れ、ガラスが割れるような高い音を立てて砕けた。あとには真っ白な長方形の板が残る。
理解が及ばず言葉を失う俺に、女子生徒が手を差し出す。
「さ、いくわよ変態」
変態と呼ばれたことに屈辱を感じながらも否定できない自分に震える。
どうしてあのとき俺は下着の間違った用途を声高らかに叫んでしまったのか。後悔の念が荒波のように押し寄せてくるが、なんというか、これはこれで悪くはないと思っている自分がいる。息子が変態まっしぐらだよ、母さん。
俺は涙をこらえ、少し考えてから女子生徒の手を取り立ち上がった。どうせ断っても力ずくで引きずられる未来が待っているに違いない。それなら自分の足で歩いた方がまだマシだ。少なくとも肩を痛めることはないだろう。
目の前で起きたことについては深く考えないことにした。非現実的だが、現実に起こり得た以上、受け入れるしかない。状況から推測するに、女子生徒が向かうのはあの白い板だ。あれはおそらく、どこかに繋がる門のような気がする。
それについてあれこれ訊く間は与えて貰えそうもない。なにせ数歩で届く距離にある。訊いても百聞は一見に如かずとか言われて終わるのが目に見えている。
そういうわけで、別に訊く必要もないだろうと判断したのだが、何も訊かないというのも何だか不自然な気がしたので一応訊いてみることにした。
「なぁ、あれはなんだ?」
「百聞は一見に如かずよ」
ほらやっぱりな。思わず目を覆う。このエキセントリックな女子生徒の思考を読めてしまった自分が憎い。気持ちが通じ合ったみたいで辟易する。
「あら、また耳鳴り?」
「気にすんな」
「してないわ」
そうですか。
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