教室(2)

 

 ん? あれ? 初対面だよな?


 急に不安になる。顔見知りであった場合、初対面のように扱うのは失礼だ。それで傷つけてしまえば一大事。外聞も悪くなるだろう。

 最悪なのはこの女子生徒を慕う者が多かったときだ。これだけの美少女なのだからアイドルとして信奉する者たちがいても決して不思議ではない。下手なことを言って窮地に追い込まれるのは避けたいので注意深く観察する。


 やや色素の薄い長い髪、目鼻立ちのはっきりとした小さな顔、すらりとした長身。こんな目立つ美少女と知り合いなら記憶にあってもおかしくない。

 なのにまったく記憶にない。いや、あるようなないような。強いて言えばあの夢で見るおっさんの娘に似ているような気がしないでもない。


 でも娘は夢でしっかり見れてないんだよな。階段から降りたらすぐ洗面所に行っちゃうし、食卓だと嫁さんばっかり見てるし。ん、嫁さんにも若干似てるか。


 いやいやいや、何を馬鹿な。ぼんやりした夢の記憶を持ち出してどうする。ここは素直に訊くのが一番だ。初対面じゃなかったら適当に言い訳して謝ろう。


「えぇっと、すみません。どっかで会ったことありましたっけ?」


 俺がそう言い終えた途端、女子生徒の口元にモザイクが掛かり見えなくなった。同時に歪んだ酷い耳鳴りがして、俺は思わず「うっ」と呻いてしまう。


「何? どうかした? すごい顔してるけど」


 女子生徒に首を傾げられる。口にモザイクはない。


 なんだったんだ今のは?


 謎の現象に気を取られ呆然としていると、女子生徒から冷ややか且つ高圧的に「無視?」と返答を催促された。


「あ、いやその、なんか、急にすごい耳鳴りがして」

「耳鳴り? もしかして、私の話が聞こえてなかったってこと?」

「いや、聞こえてはいましたけど、意味はちょっと。なんというか、ピッチが変更された機械音声が耳鳴りに混ざった感じになって……あ、あと、口にモザイクがかかってましたけど、なんなんですかこれ? 新手の悪戯ですか?」


 思い当たる節があるのか、女子生徒は舌打ちして親指の爪を噛む。


「なるほど、そうなるわけね。まぁ、いいわ。とにかく付き合って」

「は? いや、ちょ、ちょっとお!」


 女子生徒に腕を引っ張られ、無理やり席から離される。華奢な見た目に反してかなり力が強い。抵抗できず、俺は女子生徒に引きずられる形で教室を出る。


「痛てててて! ちょ、待った、抜ける抜ける、肩が抜ける!」

「安心して。抜けたら戻すから」

「そういうことじゃなくて! せめて立たせてくれ!」

「貴方、正気? 公衆の面前で『抜ける』とか『立たせてくれ』だなんて、女子相手によく言えるわね。どうかしてるとしか思えないわ」

「は、はぁ? 何言ってんだお前?」


 女子生徒は歩き続ける。どうやらこちらの要求を聞き入れる気はないようだ。俺はどうにか自力で立ち上がり、制服についた埃を払いながら女子生徒の隣に並ぶ。


「ああくそ、制服が。なんなんだよもう、説明しろよ」

「無理ね。阻まれてしまうから」

「はぁ?」何を言ってるんだこいつは? こじらせてんのか?

「耳鳴り、したんでしょう? 流石に何もないとは思っていなかったけれど、そういう措置が取られたみたい。ところで、今は聞こえてるのよね?」

「え? あ、ああ、ちゃんと聞こえてるけど?」

「なら、これはどう? 少しペースを上げるわ」


 意味がわからず「は?」と短く訊き返す俺に、女子生徒は「良かった。聞こえたみたいね」と満面の笑みを向ける。その可憐な笑顔にときめいたのも束の間、理解が追いつき急激に嫌な予感が膨れ上がる。


「走るわよ」

「うわあ、やっぱりい!」


 嫌な予感は的中。女子生徒が俺の手首を掴んだまま猛然と駆け出した。ぐんっと力強く腕を引っ張られ、俺も否応なしに走らされる。

 廊下には結構な数の生徒がいたが、さっと逃げるように道を譲るだけで、誰一人として女子生徒の暴走をとめてくれる者はいなかった。


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