白い世界
女子生徒に腕を引かれて白い板に歩み寄る。近づくと、白い板が流動する物質で出来ているのがわかった。表面が波立ちうねっていて気持ち悪い。
「こ、この中に入るのか?」
「この中に入るのどーん」
突然、女子生徒に背中を突き飛ばされた。「うわっ!」と前のめりによろめきながら白い板を通過した直後、真っ白な空間が目に飛び込んでくる。
一瞬呆気に取られたが、すぐ我に返り、慌てて体に異常がないか確認する。
良かった。特に問題はなさそうだ。いや、まだわからないか。
白い板を抜けるのは扉のない出入口を通った感覚に似ていた。見た目は液体なのに触感が気体。何も感じないとは思っていなかったので違和感がすごい。
この空間の大気組成、ウイルスや細菌が不明なことも加えて呼吸を続けて大丈夫なのか不安になる。念の為、病院で検査を受けておこうと心に決める。
「どう?」
「どうじゃねーよ!」
女子生徒の声が聞こえ、思わず振り返りながら叫ぶ。だがそこに女子生徒の姿はなく、黒い板があった。すうっと、その黒い板から女子生徒が現れる。
「へぇ、こんな感じなのね」
「なっ! お前、まさか!」
「ええ、私も入るのは初めてよ」
俺を使って安全を確認したってことか。こいつ、どうしてやろうか。
「冗談よ」
「冗談なのかよ! なんなんだよもう!」
どっちにしても腹が立つ。こいつはどこまで俺を振り回せば気が済むのか。
俺の苛立ちに構う様子も見せず、女子生徒が遠くを指差す。
「今度はなんだよ!」
「ほら、あそこに黒い点が見えるでしょう?」
示された方を見ると、地平線上にぽつりと何かが見えた。背景に溶け込んでいるので見づらいが、オープンテラスカフェで見るようなテーブルセットだ。
多分、一人だけ席に着いている。女子生徒の言う黒い点はそれだ。
「点というか、あれはテーブル席に着いている人じゃないか?」
「呆れた視力ね。マサイ族のお父さんに感謝なさい」
「誰の父親がマサイ族だ! そんな優秀な身体能力持ってないわ!」
「あら失礼、お母さんだったわね」
「残念ながら母親も日本人だよ!」
「お隣が
「
「失念していたわ。お母さんが
「しつこいし違うわ! 誰だよそれ! 俺の母親の名前をマサイに寄せて一体お前になんのメリットがあるのか知りたくなるわ!」
女子生徒が口元に手を遣ってクスクス笑う。
「そうね。少なくとも笑えるし、生きているのが楽しくなるかしら」
突然の真面目な返答に俺は何も言えなくなる。喉の奥で「え?」と呟きはしたが、それがやっとで、気の利いた返しが浮かばなかった。
女子生徒は諦めを感じさせる笑顔を浮かべていた。目が離せないでいる俺に気づいたのか、彼女は不意に失言だったと悔いるような顔をして背を向ける。
「さ、そろそろ行くわよ」
「あ、うん」
触れてはいけない部分を見た気がして、当たり前のように従ってしまった。ただ妙に気まずかったので、どこへ? と訊く必要がないのは有り難かった。向かう先は地平線上に見えるあのテーブル席だろう。
「でもかなり遠いな」
独り言のつもりだったが、ふっと笑われる。
「距離は関係ないわ」
女子生徒が指を鳴らすと、真っ白なテーブル席が目の前に現れた。そこでは十歳くらいの中世的な金髪の子供が一人、鼻歌まじりに茶を楽しんでいた。
黒い山高帽と蝶ネクタイ。格子縞の入ったグレーのスーツを着ている。着こなしがラフだからか、そこはかとなくやんちゃそうに見える。
その子供は洗練された動きでティーカップを口につけ、一口すすって目を開き、俺たちの存在に気づいた瞬間、茶を噴き出して椅子から転げ落ちた。
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