恋愛の経験値(終)兄と実況してみたら
兄が大学を辞めたと聞かされた時。
不謹慎にも、俺は、これで兄とまた暮らせると、喜んだんだ。
高校2年生の初夏、祖母よりも早く、父が死んだ。
もともと、父は難病という奴で、ずっと療養施設にいたから、この家で一緒に暮らした記憶はない。
俺にとっての家族は、兄ちゃんと、母さんと、ばあちゃんと、じいちゃん、そして遠くにいるお父さんだった。
そういうものだから、寂しくもなかったし、むしろそれが普通だった。
お父さんはこの家に住んでいなかったから、荷物もほとんどなかった。
だから、葬儀を終えて、仏壇に遺影が増えても、俺の生活は変わらなかった。
むしろ、今年の春、兄ちゃんが東京の大学へ進学するために家を出ていった時の方が、寂しかったんだ。
だから。
葬儀が終わって2か月後ぐらいだっただろうか。2学期がはじまってすぐぐらい。
夕飯の時に、なんでだったかは忘れたけど、高校卒業後の進路の話になった。
俺も兄ちゃんと一緒で、東京の大学に行きたい。そう口にしたと思う。
そしたら、母さんは深いため息を落としてから、口を開いたんだ
「実はねぇ、兄ちゃんは先月大学辞めたのよ」
「え」
全く予想していなかった言葉に、俺は驚いた。だってそんなの、真面目な兄ちゃんにはらしからぬことだった。
でも、でも。
兄が大学を辞めたと聞かされた時。
不謹慎にも、俺は、これで兄とまた暮らせると、喜んだんだ。
でも、兄は、帰って来なかった。
□
本日最後の授業は、俺の苦手な世界史だった。
何せ、覚えることが多すぎる。有史以来のこの地球の出来事を暗記するなんて、考えてみれば無謀じゃないか。
せめて日本史にしておけばよかった。そうすれば、覚えるのは日本の出来事だけだったのに。
そんな八つ当たりをぶつぶつと考えながら、俺は手早く帰り支度をする。
今日は部活の曜日だ。
大きめの黒いリュックの中に、筆記用具をでたらめに詰め込み、立ち上がってそれを背負う。
周りの同級生に軽く挨拶を交わすと、俺は廊下へ飛び出した。
「よ」
「悪ぃ」
廊下では、幼馴染が待っていてくれた。同じ部活なのだ。
俺は軽く待たせたことを詫びると、二人で廊下を歩きだす。
目指すは、部室として使用している、視聴覚室だった。
「なあ、見た?」幼馴染は、放課後になったのでスマホの電源を入れながら言った。「やっぱ、Vの方が視聴回数多め。ゲームって関係ないのかな」
「見たみた」
俺も昨日見た、部のチャンネルにアップロードした動画の視聴回数を思い出す。「でも、コメント欄は、実況の方が内容に触れてんの多いじゃん。Vは”かわいい!””衣装替えしないの”とか、そんなんばっかだし」
「どっちをとるか、って話になるかあ。内容をみてくれる視聴者か、単純に視聴回数をまわしてくれる人たちか」
「な」
離しているうちに、視聴覚室につく。
今日は活動日なので、A4の用紙に『映像研究部』と印刷しラミネートされたものが、看板代わりに教室の引き戸に貼られていた。
俺たちは「おはよーございまーす」と挨拶をしながら、引き戸をスライドさせる。
俺と幼馴染が所属する、居心地の良い『映像研究部』
昔は、短い映画なんかの撮影をしていたが、ここ数年は、動画をの撮影をして、学校のチャンネルにアップロードしている。
俺と幼馴染は、Vチューバーのゲーム実況と顔出し無しのゲーム実況は、どちらの方が人気出るのか、という実験の最中だった。
もともとゲームが大好きなので、このゲーム実況は本当に楽しい。けど、編集作業がちょっと苦手だ。面倒と思ってしまう。
「燈くんはライバー向けかもねー」
幼馴染の意見。編集は幼馴染がほとんどしてくれている。
「んー失言しないか、ふつーに緊張する」
「慣れじゃない?お前の声って、聴きやすいし」
「そっかなあ」
部内でも、声が良いとよく言われる。自分ではわからないけど。
「何喋ったらいいかわからんくなる」
「だったら、今度はノベルゲームとか、テキストが多いゲームやってみようぜ」
幼馴染に提案に頷いて、じゃあ何がいいか家で選んでくることとなったところで、今日の部活はお開きになった。
家に戻れば、玄関に兄のスニーカーがあった。それを見て、俺は一気に嬉しくなった。
「兄ちゃん、帰ってきたの!?」
「おーおかえり」
リビングのソファーに兄はいた。リクルートスーツを着た兄の姿に、驚いた。
「どしたの、その恰好」
「あー俺、就職したんだ」
「え。どこで?」
「東京」
「東京ッ!?」
兄の言葉に冷や水をぶっかけられたような気持になった。驚きと同時に体が凍えたように冷たく感じる。
「わざわざ、ねえ」
母が夕飯を並べながら遠くで言った。「兄ちゃんも、いつでも帰ってきていいんだからね」
「分かってるって」
笑って兄は立ち上がり、俺の頭をくしゃりと撫でた。「今のバイト先で社員募集があって、店長が推薦してくれたんだよ。ありがたい話」
「そりゃ……よかった…ね?」
なんとなく、実感がわかず、俺は疑問形で言ってしまった。
だって、兄ちゃんが東京で就職するってことは、東京から帰って来ないってことだろう?
「東京の方が職があるし、お前も遊びに来れるぞ」
兄は笑っていたけど、母の顔は渋かった。
随分後、俺が大人になってから母に聞かされたのだけど、兄は上京してから、決して欠かすことなく実家に仕送りをしていたのだ。
それは結構な金額で、俺の学費や母の車検代金等も兄の仕送りで賄っていたらしい。
兄は、俺よりもはやく大人にならざるを得なかった。
長男として。その言葉を親戚から聞かされていた兄は、父が亡くなった時、大人にならなければならなかった。
そんな事、高校生の俺は、知らなかったんだ。
ただ、兄と一緒に暮らすことは、やっぱり出来ないのだと、寂しく思っただけだったんだ。
夕飯を食べ終わった後、 俺は兄ちゃんとゲームしようと誘った。
人並みにゲームが好きで、小学生の頃はスマブラやスーマリを一緒にして遊んだっけ。
兄は「久しぶりだなー」と言いながら、俺の部屋に来て、俺の隣に並んで座る。
その近い距離が久しぶりで、すごく安心ですごく嬉しかった。小学生にもどったみたいだった。
「そういえば、みたぞ、部活のVチューバーの動画」
「え!?」
兄の口から部活の事がでてびっくりした。
あまり、兄は動画に興味はなかったからだ。
「おもしろいなーゼルダとか友達とワイワイやってる気分になる」
「そう、それがいいとこなんだよー」
「お前の声、あってるよなあ。癒される」
「え」
”癒される”の言葉に、俺の心臓が大袈裟なぐらいにドクリと跳ねた。
だって、その言い方が、すごく優しくて、綺麗で、ドキドキさせられる。
そうだ、だっておれは兄ちゃんの声、好きだった。昔から好きだった。兄ちゃんの声の方が、優しくて癒し系で、俺は兄ちゃんの声が、大好き、なんだ。
「兄ちゃんの方が向いてるでしょ、兄ちゃんの声って綺麗だもん」
「そんなこと言われたこと……まあ、音痴なのが惜しいとはよく言われたけど」
照れたように兄がぼそぼそとそんなことを言う。そう、兄ちゃんは声がいいのに、音痴なんだ。
「あ、ねえ、今度、真斗とノベルゲーム録るから、ゲーム選ぶんだけど、ちょっとつきあってよ」
「ああ、いいよ」
嬉しそうに兄が笑う。嬉しくて、俺は「ありがとう!」と返しながら、ノートパソコンを起動した。
いわゆるノベルゲームは色々ある。
膨大なゲームの中から見ながら選んでいる、と。
「お前、ユーチューバーになるの?」
兄が尋ねて来る。それは心配している声だった。俺には、わかる。
「ユーチューバーって言うか、ゲーム実況者になりたいかなあ」
顔出し無しで、好きなゲームを実況するスタイルがいいなーと思っている。あくまで趣味の範囲だけど。
「あんまり変な事はするなよ。身バレとかさ」
「変な事はしないよ」
幾つか選びながら、俺は「そうだ!」と良い事を思いついた。「兄ちゃん、一緒にやろーよ!兄弟実況者!」
「やだよ」
「早ッ!」
当然ながら、兄は即答で断ってくる。
「いいじゃん、じゃあ、今日だけちょっとだけ、一緒にやってみよーよ」
「えー録るのかよ」
「録るだけ、録るだけ」
「まあ、声だけなら別に身バレもないかあ」
「やったー!」
小学生のように万歳して見せると、兄はプッと嬉しそうに噴出して笑ってくれた。
この時は、なんとなくだった。
なんとなく、一緒に楽しくゲームを実況出来ればいいな、って思ったんだ。
選んだノベルゲームは、今評判の、泣けるゲームだった。
プレイ時間は30分程度だから、と俺は兄を説得する。
いや、説得をしなくたって、兄は俺のお願いを断ることはない。
それを知っていて、お願いをする、それが卑怯であると、その時は微塵も思ったことはなかった。
それは、兄がそうさせなかったのだと、後から、知った。
それは、妹が兄を好きになってしまい、彼女から奪おうと画策する話だった。
最初はギャグパートが多くて、笑いながら、進めていた。
大笑いしながら一通り終えて、そこでおしまいに、しておけばよかったんんだ。
なのに。
「これ、トゥルーエンドあるみたいだな」
兄がゲーム概要欄を見て、教えてくれた。「どうせなら、これもやろう」
「え、いいの?」
「エンド回収しときたいだろ」
兄の言葉に俺は嬉しくて、大きく頷いた。それは、兄ともう少しゲーム実況が出来るのだ、という楽しさからだ。
が。
トゥルーエンドは、ノーマルエンドと違って、シリアス展開でびっくりしてしまった。しまったなーと思ってやめようかと思ったのだけど、兄ちゃんが思いのほか真剣に読んでくれるので、終わらせるタイミングを失ってしまったんだ。
兄の声は、優しくて、穏やかで、そして綺麗だと、思った。
ノーマルエンドでは、兄と妹と彼女が一軒家を購入して、仲良くローン地獄に陥るというギャグテイストエンドだったのだが、トゥルーエンドは、妹が旅にでるという展開だった。
”妹が旅にでることは、反対だった。だって、俺の見えない場所で妹に何かあったらと思えば、怖くて仕方がない。破天荒でも、無茶苦茶でも、やっぱりお前に傍にいてほしかった”
”お兄ちゃん、それ、わがまま”
”わかってる。でも、俺はお前も彼女も大切だから。”
”私、お兄ちゃんが大好き。世界で一番大好き。だから、お兄ちゃんよりも好きになれる人を、探しに行くの”
BGMも相まって、感極まる内容だった。
妹が出ていく背中の一枚絵。それをバックに、兄の科白が一文入る。
”俺だって、お前を世界で一番愛してるのは、俺だよ”
兄の声で紡がれた言葉に、俺は切なくなった。確かに、これは泣けるゲームだ。
録音を停止して、俺は「いやーいいゲームだった……」と言いつつ言葉が途切れてしまった。
だって、兄が感動したのか、両目を片手で覆っていた。
「え、そんなに感動した?」
「…いや、朗読してたら。感情移入が……」
箱ティッシュを手渡すと、兄はティッシュで鼻をかんだ。
「兄ちゃんうまいじゃーん。俺と一緒に実況しよーよ」
「…絶対やらん」
兄ちゃんの約束通り、あの時の実況は公開していない。
でも、俺は時々聞いてしまう。
辛いときとか、嫌な事があったときと、そして、兄ちゃんの声が聞きたくなった時。
電話すればいいんだけど、電話じゃ絶対に言わない台詞だし。
いや、自己肯定感を高めるために聞いているだけで、他意はないんだ。
そう、自己肯定感を高めるため。
兄ちゃんの、言葉を、俺は今日も、聞いている。
「俺だって、お前を世界で一番愛してるのは、俺だよ」
2023.11.6
→「大好きな兄と配信者になる方法」へ続く
大好きな兄を「大好き」なままでいられるのは、一体、いつまでなんだろう 眼鏡のれんず @ren_cow77
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