恋愛の経験値 2


「燈さぁ、ゴムいるなら、俺が買ってやるから言えよ」

 確かに、兄はそう言った。

 今更、忘れたなんて言わせないからな。









 推薦も決まり、受験勉強の必要がなくなった俺は、最後のデートになるかもしれないと寂しそうに言う彼女に、今度、俺の家に遊びに来てほしいと誘ったのだ。

 2か月前に春が来た俺は、受験生のくせにと周りから随分と言われたものだった。

 けど、3年生になって、隣の席女子が、実は一年生の時に燈くんに一目ぼれやったんよ、などと言われたら、じゃあ付き合おうか、と言っちゃうじゃないか。

 そんなこんなで、受験生でもあるし、デートと言っても登下校ぐらいで、ちゅ……チュウもこの間したばかりだったし、でも、俺は受験勉強はしなくてもよくなったけど、彼女はこれからが本番だからって寂しそうにするから。

 だから、思い出を作ろうよ、ってなったわけで。

 それで、だから、お、俺の家に……となったんだ。

 母さんもじいちゃんも帰ってくるのは遅いし、兄ちゃんにも事情を話して、遅く帰ってきてもらおう。

 協力を仰ぐのと、もう一つ。

 以前、兄が言っていた約束を果たしてもらうべく、俺は兄が高校から帰って来るのを待っていた。

 現在、俺は定期テスト中なのでクラブを休んでいる。

 兄は、先月の部活で頸椎を痛めて、2ヶ月はクラブを休むように、ドクターストップがかかっていた。

 俺は兄が帰る時間を見計らい、兄の好物であるカップスープの素をマグカップに入れて、帰宅を待っていた。


「ただいま」


 程なくして、兄が帰宅する。

 俺は「おかえり!」と大声で返事をした。「兄ちゃん、ちょっとこっち来てよ」

「なんだよ」

 自室に行く前に、俺は声をかけて台所へ来るように呼びかける。

 手袋を外しながら入ってきた兄に、俺は淹れたてのカップスープを差し出した。

「サンキュ」

 兄は少し驚いたような顔をしたけど、すぐに笑ってマグカップを受け取ってくれた。

 それから、ふうふうと息を吹きかけると、マグカップに口をつけ、ごくりとそれを飲む。

「あったけぇ」兄は言った。「で、何かやばいお願いでもあるのか」

「やばくないけど、それなりに」

 俺は少し冷めた自分用のカップスープを啜りながら「実は」と話し始めた。

 大まかな内容を話せば「別に高校行ってからでも付き合えばいーじゃん」と返される。

「いや、でも、俺…自信ないよ、学校が変わっても付き合うのって」

「まあ続くかどうかはともかくとして、一先ず、思い出にエッチしておきたいんだろ」

「ッ!!もっと、言い方!」

「悪い、悪い」

 兄の口から出た単語に顔から火が出そうになるが、兄ちゃんは涼しい顔で笑っていた。

 笑う兄を見ながら、俺はスープを啜る。

 小学生の時も思ったのだけど、兄はやはり兄で年上なのだ。

 小さい時は、それこそ距離感もなく兄ちゃんは自分の分身のような存在で、兄ちゃんのすることは、俺も出来る事だし、俺の事を全部知っているのも兄ちゃんだった。

 誰よりも俺の事を知っている兄ちゃんは、親友のようなもう一人の俺のような、いつまでも一緒にいて、境界線も曖昧にともすれば溶け敢えてしまえるとも思っていた。

 勿論、それは間違いで、兄が俺ではなく分身でもなかったと思い知らされたのは、兄が中学生になった時だ。

 学生服を着る兄は俺の知らない兄で、俺の知らない中学に行く兄は、とても遠くに行ってしまったように思えた。

 幼馴染に兄離れしなよ、と言われたのもこの頃だったと思い出す。

 結果として、俺は兄離れをし損ねたわけだけど、別段困っていないので、今では放置状態だ。

 高校生になった兄はすっかり大人で、俺の保護者のような存在になっていた。

「でさ」

 俺はマグカップをシンクに置きながら「兄ちゃん、前にゴムがいるなら買ってくれるっていったじゃん」

「そうだっけ?」

「言ったよ」

 兄もシンクにマグカップを置きにくる。俺の背後に気配を感じる。「だから、買ってよ」

「いいよ」

 マグカップを置きながら、兄は俺の隣であっさりと言った。「あと、その日、帰りに母さんたちと合流してアルプラにでも行ってくるわ。七時ぐらいにもどるとして、帰る前にお前の携帯鳴らすから」

「え、助かる」

「カップスープ代な」

 兄は笑って「そういえば」と思い出したように空を仰ぐ。「お前、ひと箱分練習したいって言ってた?」

「それぐらいした方がいいって、真斗が」

「なんじゃそりゃ」

「兄ちゃんは練習した?」

 俺の素朴な疑問に「まあ、一枚ぐらいは」と言う。俯きながら、少し頬が赤い。

 兄の珍しい表情に、俺は少し楽しくなった。

 さっき恥ずかしい思いをさせたフクシュウを、俺は思いつく。

「今、何枚かある?練習させてよ」

「本番用はどうするんだよ」

「それは、兄ちゃんが買ってきてくれるんだろ?」

「まあ、そう、言ったけどさあ……」

 兄ちゃんは、うーんと少しだけ唸ると「まあ、いいか」と言った。

 やったね。

「サンキュー兄ちゃん」

「…嬉しそうだな、お前」

 人の気も知らないで。

 そう兄ちゃんが呟くのを俺は聞いたが、真意を深く考えず、兄の腕を引いて自室へと向かった。





 机の引き出しから、兄は小さな無地の白い正方形の薄い箱を取り出し、蓋を開けた。

 中には、前も見たゴムが数枚入っている。

「全部でいくつあるの」

「…、6枚だな」

「じゃあ、練習で。兄ちゃん付き合ってよ」

「はあ!?」

 俺の冗談で言った言葉に、兄は呆れたような大声をあげた。

 その表情があまりに面白くて、思わず吹き出していた。

「ぶは!うそうそ、冗談だって!」

 涙を拭きながら笑う俺の肩を、兄ちゃんはがしりと掴む。

 あれ、やばい。

「いや、ちゃんと付き合うよ、練習」

 怒らせちゃったのだろうか。兄ちゃんはちょっと怖い表情でそんなことを言った。

 いや、ごめんて、と言いつくろうとした時。

「ほら、脱げよ」

「ええ!?」

 兄が俺のズボンを下ろしにかかる。

 ずるりと膝までおろされ、今度は俺が真っ赤になって慌てる番だ。

「え、ちょ」

「一回だけだからな」

 そう言うと、兄は真顔で自分のズボンを寛げる。

「え、ちょ、ま」

 淡々とする兄に自分の方が焦ってしまう。

 言い作ろうとしていると、兄が手早くゴムの封を切り、パパパッと自分の性器にゴムを装着していた。

「できあがり」

「はやッ!」

 あまりの手際の良さに、俺はマジマジと兄のそれを見る。

 薄いゴムに収まるそれは、俺のよりも大きい……いやいや、自主規制。

「見てないで、自分でもしてみろよ」

「えっと」

 こんな状況であるのに、兄は平素となんら変わらない。

 幼馴染も、こんな風に練習したのかなーと俺は暢気に考えていた。男兄弟のなせる業か、と。

 なんだか羞恥心もどっかへ行き、俺も兄の真似をしてゴムのパッケージを切った。

 そして、兄の言われるままに、たるんでいる処を摘まんで先端に宛がうと、兄は静止をかけてくる。

「ちゃんと勃ってないと、意味ないぞ」

「ええ」

 さすがに、半分皮かぶりのそれに装着するのは、意味がない。とはいえ、兄が凝視している今、そうそう勃起できるわけがない。むしろ、恥ずかしいから、そんなに見ないでほしいのだけど。

 ああ、でも、兄ちゃんの、大きいなあ…とつい目線を落としたら目につくそれに、俺は生唾を飲み込む。

 恥ずかしくないのだろうか?

「仕方ねぇな」

半ば現実逃避をしていたため、兄の言葉を、その意味を聞き逃しまった。 

つまり、いきなり兄ちゃんは俺のモノにぱくついたのだ。

 ぱくついた?

「ちょちょ、ちょっとぉお!」

 感じたことのない感触に、腰が砕ける。

 生温かい粘膜に包まれて強く吸われるなんて、それこそ人生初めての快感だった。

「あ、ちょ、いい……」

 抗議するよりも快感の方が勝り、熱いため息が口から勝手に漏れる。

 これ、すごくいい…最高じゃん。

「”いい”じゃねぇだろ、おい」

 軽く小突かれて、現実に戻る。兄ちゃんが俺の目の前にゴムを突き付けてきた。

「ほら、やってみろって」

「う、うん」

 慌ててそれを受け取り、俺は少し濡れているそれを先端に充てがった。

 摘まめだの、空気入れるだのと兄がアドバイスをくれるが、俺はちらりと兄の口元をみてしまう。

 あの口で、咥えられたのか、と。

「フェラって気持ちいいんだねぇ」

「…いきなり、やってくれって言うなよ。女の子はあまりやりたくないらしいから」

「ふーん」

 そうこう言っているうちに、完成。なんだ、思っていたより簡単じゃん。

 1箱も練習いるか?

「予行練習と本番は違うってことなのか、な?」

「これ、つけやすいやつだからな」

「そうなの?」

「ま、明日買ってきてやるから」

 そういえば、と俺は思い至る。




 兄ちゃんはなんで、すぐにゴムをつけることができたんだ?





「ただいま~」


 階下から母さんの声がして。俺と兄ちゃんは同時に「「あ」」と声をあげた。

 これじゃあ、トイレに籠れない。

 我が家にはトイレは一か所しかないのだ。

「……仕方ねぇから、ここでやるか」

「ギャグだね」

 考えてみれば、アホな光景だった。兄弟でモノを曝け出して何やっているんだか。

「こうなったら、競争だな」

「早く出たほうが勝ちね」

 二人で顔を見合わせて笑うと、掛け声と同時にモノを擦りだす。

 いつもひっそりする行為なのに、こんな風に兄ちゃんと競争する日が来るとは思わなかった。

 あまりのバカバカしさに笑いがこみ上げてくる。

 やべ、もっと集中しなくては。

 ちらりと兄ちゃんを見る。

 あ、と思った。

 兄ちゃんが俺を見ていたのだ。すごく優しい目つきだけど、すごくエロい顔で。

 ごくりと俺は生唾を飲み込んだ。

 エロい顔だけど、すごく、カッコいい。雄の顔という奴だろうか。

 いつも優しい兄ちゃんがそんな表情をするのを見るのは、初めてだった。

 いや、違う。

 あれは、そうだ。試合前の。部活での大会前、集中を終えて、相手を見据える時。

 捕らえて、喰らいついて、離さない、猛禽類のような。


…燈…


 兄ちゃんの口が俺を呼んだような気がする。

「よっしゃー俺の勝ち」

「え?えええ!?」

 急に、兄ちゃんがガッツポーズを決めた。

 またも、手早く兄はゴムを外してさっさと身支度を整える。

 そして中身の入ったゴムを見せつけてきた。

「お前、遅すぎじゃね?」

「ちちちち、違うわあ!」

 とにかく焦って俺はモノを擦る。

 先ほどの兄の表情や眼、口の中を思い出し、頭の中がグチャグチャだ。

「貸せ」

「え」

 兄の手が俺のモノを擦る手をどかし、代わりに俺のモノを握った。

「かか、貸せません!」

「持っていかねぇよ」

「じゃ、じゃあさぁ、もっかい、口がいい!」

 混乱した頭で思わず本音を口走ってしまった。

 だって、ぶっちゃけ、あれはメチャくちゃ気持ちよかったから。

「げ、マジで」

 かなり渋い顔を兄ちゃんはしたけど、時計を見て「時短だからな」と言う。

 ゴムごと兄ちゃんは俺のモノを咥えた。

「あ、それ、やっぱ、イイ…!」 

 兄ちゃんの体温、兄ちゃんの匂いと、やっぱりさっきからグチャグチャしていた頭の中が、ますます混乱して、眩暈がしてくる。

 彼女とのエッチもこんだけ気持ちよく出来るのか、にわかに不安になったぐらいに、それはきた。

「あ、もう……出るッ!」

 兄に高められて、見事にゴムは役割を果たしたのだった。


   


 

「保育園の時さ、お前に立ちション教えたことがあったよな」

 晩御飯の声掛けに返事を返し、階段を下りている時に、そんなの事を兄は言う。

 そういえば、そんなことあったな、と幼い記憶をなぞっていると、兄が俺の頭をポンと撫でてきた。

「お前、ちっともかわらねぇな」

 兄は笑って、俺の頭をくしゃりと撫でた。



2021.2.12

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