第14話Valentine's Day 小話

 Lifriend本編の根源を覆す世界線、パラレルワールドでのVD小話。






 ヴァレンタインデーって言うんですよ、青年は穏やかに目を眇めながらそう言った。復唱してみる。異国の横文字のような単語をさらに慣れない発音で青年は言ったが、初音には難しかった。小皿に入った茶色のカケラを横から手に取り口に入れる。これは美味しいやつだ、という経験から、口に入れることに躊躇いはなかった。青年は綺麗にラッピングされたカップケーキや小さな箱、クッキーの入った袋をテーブルに並べている。小さな糊の付いたメモや手紙だけを集めて手に収める。

「ふぅん。」

 縁の遠そうな話だ。僅かに、ほんの僅かに身に覚えのあるような光景が脳裏を過るがそれだけだった。

「知りませんでした?」

 これ美味い、と呟く初音に馬鹿にするでもなく青年は顔を覗き込むように首を傾げて訊ねる。

「知らな~い」

「初音さん、モテそうなのに…今までチョコ貰ったこととかありません?」

 世辞ではないようで、青年は少し驚いた表情を浮かべる。今まで、と言われても、青年が思うほどの年月を人間としては生きていない。

「ない、けど」

 青年が真顔になり、視線を泳がせる。

「え、でも」

「あ~アイツだろ?なんかカレシとよろしくやってる感じだから入る隙ねーもん俺」

 初音が困ったように言う、アイツ。契約相手の女だ。青年は彼女を好いているらしいが、カレシ持ちだと知るや否や言い寄るのをやめたらしい。

「なんかホッとしました」

「ンだよそれ」

 初音が青年の意中の相手から好意の証をもらっていないことに、青年は安堵を隠さない。初音は苦笑した。

「なんて冗談ですよ。半分は、ですけど。でも相変わらずなんですね」

「ホントだよ。毎日いちゃいちゃしやがって」

「でも初音さん、なんだかんだ楽しそうですよ」

 笑う青年に初音は、う、と唸ってまた茶色のカケラが入った小皿に手を伸ばす。表面に凹凸がいくつも浮かぶ茶色の薄い板状のものが乱雑に割られて小皿に入っている。

「それ、オレから初音さんへのヴァレンタインチョコです」

 初音が摘み食いしている小皿を差す。

「マジ?」

「結構マジのつもりですけどね」

 小皿に伸ばしかけた手を止め、初音は青年を見遣る。

「これめっさ美味いけどさ、」

「余り物ですけど喜んで頂けてよかった」

「でもさすがに-」

 初音は伸ばした手を引っ込める。。その時チャイムが鳴って、すぐに青年が立ち上がった。

「あれ、どうなさいました?」

 玄関へ向かった青年の声が上擦っている。アイツだ、初音は口内に広がる甘みを飲み込んで玄関の方へ意識を向ける。

『初音くん、多分片岡くんに何も渡してないでしょ?ごめんね!私と初音くんから、ってことで』

 初音は自身の名が出たことにぎょっとする。

「え、いいんですか?ありがとうございます、すごい、嬉しい…」

 青年の声が大きく上がる。

『ううん、初音くんがお世話になってるし、初音くんもチョコ溶かすの手伝ってくれたんだよ』

 昨夜、意味も分からず溶かした物と、この小皿の破片は同じ甘さ、同じ苦味。同じ味。色も形も似ていた気がする。

「ありがとうございます!」

 暫く何か世間話をして、そして青年が戻ってくる。契約相手は帰ったようだ。

「よく分からん行事だな」

「そうですか?明解だと思いますけど。どういう意味でも好きな人にお菓子渡せばいいんですから」

「どういう意味でも好きな人に?」

 青年がそうです、と返してから、また小皿に手が伸びた。

「…いや、待てよ。嫌われてるってコトか、それ」

 口の中に割れる音を響かせながら初音の頭の中である方程式が出来上がる。

「はい?誰にです?」

 脇に座る青年の疑問に気付くことなく、べたりと座っていた身体を起こす。立ち上がった初音を見上げて青年は首を傾げる。

「ちょっと、初音さん?」

 突然玄関へと歩き出す初音を青年は追う。どこ行くんです?と問いかけてからまた居間に戻り、軽く火の元を確認して照明を消す。雑に掛けてある上着を取って、づかづかと外へ出て行く初音の元へ急ぐ。

「俺素直じゃないし、やっぱこんなだから?それなりに気は遣ってるつもりだったし?でもあれか、やっぱあのカレシめがっさ甘いもんな?」

 初音の肩を掴んで呼び止める。言い訳を述べる子どものようにぶつぶつと捲し立てる。聞かせるつもりもないのだろう。青年が困って、けれど笑みは絶やさず初音の正面に回り込む。

「初音さんもそういうの気にするんですね」

 初音が無言のまま、背の低い分青年を目線だけで見下ろす。

「嫌われてるとかではないと思いますけど。逆に近すぎて渡さないってこともあると思うんです」

 言ってみてから青年は頬を引攣らせて目を逸らす。

「っていうのはあまりフォローにはなりませんね」

「いや、さんきゅ。分かんないけどそういうコトもあるかもな」

 初音が不器用に口角を上げた。青年は安堵の溜息を吐く。青年のボトムスの尻ポケットに入っているらしい端末が軽快な音を2、3度立てて点滅している。一言断って青年は端末を取り出す。初音は青年から離れ、大きな河川に架かる橋の上、欄干に手を掛け、少し暗くなり始めた空を見つめる。

「ちょっと、早まらないでくださいよ?」

 端末を弄りながら初音の腕を掴む青年。

「何が」

「たかがヴァレンタインですよ、メディアに踊らされているだけなんです!そんな落ち込まないでください」

 青年が端末をしまって、わたわたと取り繕う。初音は青年が何故慌てているのか分からなかった。

「そんなことより行きましょ」

「どこへ?」

 青年が初音の腕を掴んだまま歩き出す。青年が住んでいる、初音が出てきたアパートとは反対方向だ。

「もうこういう日は飲みましょ!オレ奢りますから、元気出してください」

 初音の腕を掴んだ青年の腕がもう一本増やされる。

「いや、別に俺は」

 青年に連れられやって来たところは青年の勤務先の近くの大きな駅に隣接した大型の商業施設付近だ。バスターミナルの上に設置された立体横断施設はよく見知っている場所の中でも特に立ち寄ったことが多い。

「休みにも勤務先来るの嫌じゃないの」

 青年の勤務先はここからすぐにでも行けてしまう距離にある。

「ワーカーホリックみたいですね」

 初音が青年の勤務先が入った建物を見つめながらそう零せば青年は全く別の方向をみて笑いながら答える。

「言ってみたらいいじゃないですか、さっき言ってたこと」

 青年が引き摺るようにしていた腕が放れる。大型の雑貨屋の前のベンチに座る男女。

「態々呼んだのか」

 初音が青年を振り返る。青年はただ笑うだけ。よく知る顔の女と一緒に能天気な顔をした男。

「遅くなっちゃったね」

 初音は、あーともうーともつかない声を漏らして、女の顔を直視出来なかった。女が赤紫の箱を初音に差し出す。

「初音くんにはバレてるから、買った物でごめんだけど」

いいのか?カレシの目の前で?という冷やかしの言葉も浮かぶには浮かぶが声が裏返りそうで、口も開かない。

「あ、り、…さんきゅ」

 差し出された箱を受け取って、初音は囁くように声に出す。女が笑って、それから男の隣にすぐ戻る。

「片岡くん、ありがとう」

 女が青年に言った。青年が会釈して、それからまた初音の腕を掴んでこの場から去らされる。そのまま引き摺られるように、地下1階に相当する堀込式の施設へ連れて行かれる。沢山並んだテーブルとイスの一角に座らされる。おそらく向かうはずだった居酒屋、という雰囲気はない。暗くなった空が天井になっている。

「嫌われてなかったでしょ」

 青年が呆れたように言った。複雑そうで、あまり明るい話題にはならないだろう、初音は返事をしなかった。

「メディアだの企業戦略に踊らされて、厄介ですよ、ほんと」

 青年がテーブルの上に置いた端末を、指の背でぴんぴんと突いたの初音は見つめていた。

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