第27章 時縛の森

 未開大陸とも呼ばれる北大陸は平野に恵まれず、土地もせているため農地が少ない。

 が、勿論もちろん絶無ぜつむということはなく、細々と畑を耕す部族もおり、その主な作物は蕎麦そばたぐいであった。

 仲間の兵士から追われたブルシモンたちが逃げて行く方向にはそういう蕎麦畑が点在しており、ブルシモン本人は立ち入らないようけていたものの、シンディーソもカランもお構いなく蕎麦の花を踏み荒らして走った。

 と、いくらも行かないうちに、わらわらと周囲から村人たちが駆け寄って来た。

貴様きさまら、何しとんじゃ!」

「収穫前の蕎麦を踏むでねえ!」

「畑から出てけ!」

 農耕をする部族とはいえ、南大陸とは違い、全員が武装している。

 珍しく舌打ちしたブルシモンが立ち止まり、村人たちに謝罪した。

「すまぬ! が、おれたちを追って百名の兵士がこちらに向かって来ている! 迷惑がかからぬようここから方向を転ずるが、おぬしらも早く逃げてくれ!」

 が、百名の兵士と聞いても、村人たちは動揺しなかった。

「この先の草原に、南大陸の兵士が大勢おったのは知っとるわ!」

「だで、こっちも戦う準備は万端ばんたんなんじゃ!」

「おらたちの畑を奪われてたまるけえ!」

 それは誤解だとブルシモンが説明する間もなく、村人たちの後方から武器を持った仲間が駆け寄って来た。

 村人総出そうでらしく、およそ五十人はいそうだ。

 このままでは前後からはさちになってしまう。

 ブルシモンはギリッと奥歯をむと、並走している仲間二人に向かって叫んだ。

「ここから転進する! おれについて来てくれ!」

 返事を待たず、ブルシモンはほぼ直角に左へ曲がった。

「当てはあんのかよ!」

「ったく、あなたという人は……」

 シンディーソにしろカランにしろ、文句は言いつつも、切迫した状況はわかっており、広い背中を見せて激走するブルシモンを必死で追って行く。

 夢中で駆けている三人は気づかなかったが、殺気立っていた村人たちは何故か追って来ようとはせず、むしろおびえたような表情で三人を見送っていた。

 三人の前方には鬱蒼うっそうとした森が迫って来ており、日没が近いこともあって、まったく内部の様子がうかがえない。

「うむ。この中にまぎれ込めば、上手うま追手おってけるだろう」

 ホッとしたように足を止めたブルシモンが振り返ると、息もえなカランを抱きかかえるようにしてシンディーソが走り寄って来た。

「副隊長! ここらで少し休まねえと、ボサボサ頭の隊長がぶっ倒れるぜ!」

「それは見てわかったが、しかし……」

 ブルシモンは灰色の目を細め、二人の背後に広がる大地をさぐるように見渡した。

「妙だな。村の人間はどうせ遠くまで追って来ないだろうとんでいたが、百名の兵士たちの姿も一人も見えん」

 ようやく息をいたカランが「そ、そりゃそうでしょうとも」と一人で合点がってんした。

「あいつら、紅蜘蛛べにぐもあやつられてるから、早くは動けないんですよ」

 ブルシモンがまゆひそめた。

「紅蜘蛛? あのフェティヌール侯爵こうしゃくのか?」

 人心地ひとごこちついたのか、いつもの眠そうな目に戻ったカランが口をゆがめてわらった。

「ふん! あんな悪趣味な使い魔、他に使う術者はいないでしょうからね」

「ああ、そうか、それで……」

 ブルシモンが遠くを見るような目で思い出しているのは、ヤシュナギール族の一人が遺跡からユマの鏡を持ち出した件であろう。

 と、シンディーソがれたように支えていたカランの体から手をはなし、「おい!」と告げた。

「ちゃんと自分の足で立てよ! おれは軍曹ぐんそうであって、あんたの乳母うばじゃねえぞ!」

 ムッとするカランには構わず、シンディーソは畳みかけるようにブルシモンにいた。

「で、今夜はこの薄っ気味悪い森で野宿かい?」

 言われて初めて気づいたように、ブルシモンは「ふむ」と自分の下唇したくちびるまんだ。

「なるほど、薄気味悪いか。如何いかにもな。が、選択の余地はない。二人ともあまり離れぬようにして、おれについて来てくれ。では、行くぞ!」

 意を決したようにブルシモンが進むと、ブツブツと魔除まよけの言葉をとなえなからシンディーソが続き、足を引きずるようにしてカランが後を追った。

 黄昏時たそがれどき残照ざんしょうの中、森へ足を踏み入れたブルシモンは、「ん?」と思わず首をすくめた。

「……霧か?」

 森に入るまでははだにピリピリするような北大陸特有の乾燥した風を感じていただけに、体にまとわりつくような湿った空気に違和感を覚えたのだ。

 が、実際には霧ももやも見えず、ただ空気がよどんでいるだけのようで、心なしか黴臭かびくさい。

「あまり長居ながいはしたくない場所だな」

 そのひとごとが聞こえたらしく、「まったくだぜ」とシンディーソが同意した。

「追われてなきゃ、こんなとこで寝たくはねえ。が、まあ、今夜一晩は我慢するさ。どっか良さげな場所を見つけて、野宿の用意をしようぜ。まだ晩飯もってねえし。あれ?」

「どうした?」

 訊かれたシンディーソはしきりに首をひねっている。

「ああ、いや、自分でもよくわからねえんだが、さっきまで腹ペコだったはずなのに、今はあんまし腹が減ってねえんだよ」

 すると、後ろから「わたしもです」とカランが告げた。

し肉をしがんだところで逃げ出したので、満足な食事はしていないのですが、森に入った途端とたん、食欲がなくなりました。それどころか、先ほどまで筋肉痛であった脹脛ふくらはぎが、今はなんともありません」

 自分の腹に手を当てていたブルシモンも「確かにな」とうなずいた。

「空腹は感じぬ。しかし、体力を回復するためにも、早めに食事をして寝た方がいい。はぐれぬよう、固まって移動しよう」

 ねぐらにできそうな場所を探そうと、更に森の奥に足を踏み入れた三人は、想定外の状況を目にて立ち止まった。

「むう」

「あれ?」

「なんと、まあ……」

 先ほどまでそのような気配はなかったのに、森の中にはあふれるように人がおり、皆てんでにフラフラと歩きまわっているのだ。

 年齢も服装もバラバラで、唯一共通しているのは覇気はきのない目つきくらいである。

 明らかに闖入者ちんにゅうしゃである三人を無視して、いや、そのようなハッキリとした意思すらないようで、見慣みなれた風景の一部のような無関心さでかたわらを通り過ぎて行く。

 この森に入ることを決めたブルシモンが、三人を代表するように声を掛けた。

「いきなり入って来てすまぬ。人がおらぬ森だと勘違いして、野宿しようと思ったのだ。かといって、もう日も暮れるし、ほかに当てもない。申し訳ないが、森の片隅かたすみにでも一夜の宿を借りられぬだろうか?」

 返事はない。

 それどころか、何も聞こえなかったかのように、誰も振り向こうとすらしない。

 憮然ぶぜんとするブルシモンを押し退けるようにシンディーソが前に出て、強引に手近の若い男の腕をつかんだ。

「てめえ、聞こえてんだろ! ウンとかスンとか言いやがれ!」

 後ろからブルシモンが「乱暴はよせ」と止めたが、若い男は特に抵抗するでもなく、シンディーソに腕をすぶられても他人事ひとごとのように呆然ぼうぜんとしている。

 と、向こうの奥から「わしが説明いたしましょう」という声が聞こえた。

 騒ぎなどお構いなく右へ左へと彷徨さまよい続けている人々をけながら、白髪の老人が歩み寄って来た。

 髪だけでなく、長く伸ばしたひげも真っ白である。

 ブルシモンはさりなくふところに手を差し込み、いつでも短剣を抜けるようにして老人にたずねた。

「あんたが村長むらおさか?」

 老人はかすかに苦笑しつつ、ゆっくり首を振った。

「ここは村ではないし、わしもおさではない。比較的長く生きておるから、皆の相談役のような立場にあるだけだ。ところで、おぬしはわしらと同じ北大陸の者のようだが、後ろの二人は南大陸人じゃな?」

「ああ、そうだ。が、まあ、おれにしたところで、生まれはこちらだが、五歳の時に南へ渡ったから、中身はほとんど南大陸人さ。南の人間には話せないことか?」

 今度はハッキリ苦笑して老人は首を振った。

「そうではない。北の者が南の人間を従えているのが、珍しいと思っただけだ」

 ブルシモンは片手をまだ懐に入れたままだったが、笑顔でこたえた。

「いや、実はおれは副隊長で、後ろの眠そうな顔の男が隊長さ」

 黙って成り行きを見ていたカランは「建前たてまえはそうですが」と逃げ腰になったが、老人も誰に話すべきかに迷いはないようで、真っ直ぐブルシモンに向かってしゃべり始めた。


 ……後で自分たちで確かめてもらいたいのだが、一度この森へ入った者は二度と外へ出ることはできぬ。

 おお、そう騒がんでくれ、南の若いしゅう

 ふむ、さすがにおぬしは動揺せぬようだが、懐の武器に手を置かれたままでは話しづらい。

 わしにしろ仲間たちにしろ、決して危害を加えることはない。

 約束する。

 いや、そもそも他人ひとに危害を加えるような元気のある者は、一人もおらんよ。

 おお、ありがとうよ。

 ついでと言っては何だが、立ち話ではくつろげまい。

 そこらにある切り株に適当に腰かけてくれ。

 若い衆もボサボサ頭の隊長どのもな。

 わしもここへ座ろう。

 さてさて。

 見てのとおり、この森には大勢の人間がおる。

 が、皆やって来た時代がそれぞれ違う。

 ああ、ああ、わかっておる、追々おいおいに説明するから、少し静かにしてくれ、若い衆。

 おぬしらもこの森に入って気づいたかもしれぬが、ここでは腹が減らぬ。

 それどころか、眠くもならず、疲れもしない。

 尾籠びろうな話だが、小水しょうすいくそも出ぬ。

 いや、実をえば、年も取らぬし、自然に死ぬこともない。

 正確な年数はわからぬが、わしがこの森に入ってからすでに二百年以上は過ぎている。

 うそではないさ。

 後から来た者にわしの出身部族の者が何人かおり、こよみを照らし合わせたからな。

 そうでもしないと、この森の中では年月の経過を知るすべがないのだよ。

 そうだ。

 この時縛じばくの森では、時が流れぬ。

 今の黄昏時のままで、夜になることもなく、当然、夜が明けることもない。

 恐らく、永遠にこのままなのだ。

 ああ、勿論もちろん、何度も脱出はこころみたさ。

 何百回、何千回、何万回とな。

 だが、外へ向かっても、いつの間にか元の場所に戻ってくるのだ。

 わかっておる、わかっておる。

 外からは自由に入れるさ。

 しかし、一度入れば、二度と外へ出ることはかなわぬ。

 よって、どんどん人が増えるのだが、そうすると何人か自殺者が出て、この程度の人数でおさまるのだ。

 そうだよ。

 自然に死ぬことはないが、自殺はできる。

 ただし、首をくくったぐらいでは死ねぬから、剣でみずからの首をねるか、他人ひとに頼んでってもらうしかない。

 一応、それで死ねるのだが、放って置いても死体はくさらないから、誰か知り合いがめてやることになる。

 が、心配せずとも、皆が皆、一遍いっぺんに死ぬようなことはない。

 簡単に言えば、死ぬ気力もないのだよ。

 なかなかの難事業なんじぎょうだからな。

 よって、大部分の人間は脱出が無理なことを理解すると生きる気力を失い、かといって死ぬこともできず、徒只管ただひたすらに歩きまわることになる。

 おぬしらには気の毒だが、これも宿命さだめあきらめてくれ。

 まあ、ここの暮らしも、れれば然程さほど耐えがたいものではないぞ……。


「ざけんな!」

 声を荒らげて立ち上がったのは、無論シンディーソである。

「そんな戯言たわごと、誰が信じるかよ!」

 考え込んでいたブルシモンが、ごついてのひらでシンディーソの肩を押さえた。

「まあ、待て。おれとてにわかには信じられぬが、ともかく、この目で確かめねばな。ご老人、話を聞かせてくれたことには感謝する。が、おれは諦めるつもりはない。何としてもここを出る」

 老人は大きく頷いた。

「やってみられよ。あるいは、奇跡が起こるやもしれん。いや、わしもそう願う」

 決意がにぶらぬようにか、ブルシモンは即座そくざに立ち上がると「さらばだ、ご老人」と別れを告げ、「行くぞ!」と仲間二人に声を掛け、そのまま元来た方向へ駆け出した。

「ちょ、待てよ!」

「ったく、あなたという人は」

 あわてて二人も追いかけたが、ほどもなく立ち止まったブルシモンの背中にぶつかりそうになった。

「おいっ! 急に止まるんじゃねえよ! いったい、どうし……」

 不満の声を上げたシンディーソも、ブルシモンと同じ光景を目にして唖然あぜんとした。

 そこには、最前さいぜん別れたばかりの老人が切り株に腰かけたまま、さびしげに微笑ほほえんでいたのである。


 三人が森に入ってから数日後、ディリーヌの一行がようやくその近くに到達した。

 大勢おおぜい足跡あしあとがある草原には野営の準備がなされたまま放置されており、付近に兵士たちの姿はなかった。

 ブルシモンたちの手掛かりを求めるうち、近くで蕎麦を育てている村人から話を聞き出すことができた。

「なんと、時縛の森へ入ってしまったのか……」

 珍しく沈んだ声でうつむくディリーヌに、苛立いらだったビンチャオが「われにもわかるように説明しろ!」と怒鳴どなった。

 これにはディリーヌ本人よりエティックが激昂げっこうし、「少しはおいらたちの役に立ってみやがれ、この眉なし野郎!」と掴みかかろうとし、キゼアが後ろから羽交はがめにして止めた。

「やめてよ、もう! そんな場合じゃないだろ!」

 すると、め息をいたイレキュモスが「伝聞でんぶんじゃが、代わりにわしが説明しよう」と告げた。

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フェケルノ帝国異聞 石和零次郎 @reijiro

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