第26章 傀儡の群れ

 ヤシュナギール遺跡の内部をめる異空間、スヌヌスの闇。

 途中で道が消失していたことに若干じゃっかんの動揺を見せたものの、妖姫ようきヌルシキは、昔使っていたという旧道を四つんいで粛々しゅくしゅくと先導した。

 が、ほどもなく急停止し、今度こそシンディーソの鼻面はなづらがヌルシキの臀部でんぶに衝突してしまった。

「ぷはっ! このあま、急に止まるなって、言ったろう!」

「……」

 本来なら軽口かるくちで返すであろうヌルシキの沈黙に、最後尾のブルシモンが、つとめて優しく声を掛けた。

「行き止まりか?」

 長い吐息といきあと、ヌルシキは老婆のようにしゃがれた声で答えた。

如何いかにも、そうじゃ。ふむ。どうやら、スヌヌスはおいかりのようじゃな」

「ほう。余所者よそもののおれたちが侵入したからか?」

 わざとのように明るい口調で問い返すブルシモンに、ヌルシキも少し若やいだ声で否定した。

「いや、それはあるまい。事前におうかがいの占事うらごとを立てた際にはいなではなかった。それに、わらわたちが入ってから道がくずれたのなら、無音ということはあり得ぬ。つまり、道がこわれたのはその前ということになろう」

「その前とは、おお、そうか」

 何事かに思い当たったらしいブルシモンに、シンディーソがれたように舌打ちした。

「何でえ何でえ、ひと合点がってんしやがって。おれにもわかるように言えよ」

「手鏡のことさ。そうだろう?」

 今度のヌルシキの沈黙は長かった。

 しびれを切らしたシンディーソが「だから、おれにもわかるように」と言い掛けたところで、おもむろにヌルシキの声が聞こえた。

「……ユマの鏡を見たのかえ?」

 四つん這いに疲れ、地べたに座っていたブルシモンは、ゴツイ両肩を器用にすくめた。

「何という名の鏡かは知らん。知っているのは、光を当てると三つ目の顔が浮かぶことだけだ」

 ヌルシキもあきらめたようにその場に腰を下ろした。

「もう二か月前になるかの。仲間の一人が何者かに取りかれたようになり、この奥にある廟所びょうしょに侵入して暴れた。気づいた者たちが取り押さえようとしたが、みずから谷底に身を投げてしまった。その後、廟所の中を改めたところ、三品みしな宝物ほうもつのうちユマの鏡だけがくなっていたのじゃ。狂った男と諸共もろともに谷底に落ちたのなら、妾たちにも取り戻せぬ。が、マセリが羽化うかすれば、探し出してくれると思うておった。マセリにとって、スヌヌスの闇は本来のじゃからの。まさか、ユマの鏡が外へ持ち出されておったとは。スヌヌスがお怒りになるはずじゃ」

 手鏡のことを言い出したブルシモンがヌルシキの言葉を慎重に考えているかんに、シンディーソが先に問うた。

「あのでっかい蛆虫うじむしが飛ぶのか? いや、そもそもあの太さじゃ、入口の穴に入れねえだろ?」

 ブルシモンが「少し口をつつしめ」とたしなめたが、無礼をとがめるどころではないのか、ヌルシキは「そうじゃ」と答えた。

終齢幼生しゅうれいようせいのままでは中に入れぬ。が、さなぎから羽化する際、胴体は人間並みの大きさに縮む。よって、羽根をたたんだ状態で穴をくぐり、中で羽根を広げて飛翔するのじゃ。何のためじゃと思う? 廟所の祭壇にささげられた処女おとめまぐわうためさ。妾のようにのう」

 おぞましい光景を想像したのか、顔をしかめて口をつぐんだシンディーソの代わりに、ブルシモンが提案した。

「飛べば廟所へ行けるのなら、おれの知り合いの見習い魔道師をここに呼んでもいいか?」

 ヌルシキにもほかに方法がないことはわかったらしく、深く息をいた。

いたかたあるまい。来月のマセリの羽化まで待ちきれぬ。一刻も早くスヌヌスの怒りをしずめる祭祀さいしり行わねば、わが部族にどのような天罰がくだるのか、考えるだにおそろしい。して、その見習いとやらは、いつ頃来るのじゃ?」

 ブルシモンは横目でちらりとシンディーソの顔を見たが、かくし事をしている場合ではないと覚悟を決めたらしく、ありのままを告げた。

「そうさな。別の船で北大陸に渡ったから、今どのあたりまで来ているのか、実はおれにもわからんのだ。が、一緒にいるはずのおれの友に狼煙のろしで状況を知らせれば、飛んで来よう。が、そのためも一旦野営している仲間のところへ戻り、陰険いんけんな上司を言いくるめねばならん。おお、それに偵察だけのつもりで非常食しか持参しておらんから、野営地に戻って飯を食わねばな」

夕餉ゆうげなら、部族の者に用意させても良いぞえ?」

 さすがに苦笑して、ブルシモンは「それは遠慮しておこう」と断った。

 横で聞いていたシンディーソは、きそうな顔で不平をらした。

「とてもじゃねえが、今は食欲がかねえや。しかし、こんな場所で寝たら、いや、たとえ村に戻ったとしても、そのねえちゃんたちにいつわれるかとおちおち眠れやしねえ。こうなったら、早いとこ、あの辛気臭しんきくせえカラン隊長のところへ帰ろうぜ、副隊長」

 野蛮人ではなく副隊長と呼ばれたことに、わずかに微笑ほほえんだブルシモンであったが、すぐに表情を引き締め、ヌルシキに頼んだ。

「では、入口へ引き返そう。案内してくれ」


 その頃、ブルシモンの言う見習い魔道師キゼアは、ヌルシキに影響されて食人の風習にまったシーグ人を倒すため、再び発火のわざ顕現けんげんさせていた。

 栄養不良状態であったシーグ人はすぐに黒焦くろこげとなったが、キゼア本人はそれも目に入らぬ様子で、けもののような咆哮ほうこうを上げながら、全身から炎をき出していた。

「ひゅららるるるいいいいいいんっ!」

 呆然ぼうぜんと友人の変わり果てた姿を見ていたエティックが、発火を命じたイレキュモスに向き直った。

「おい、じいさん! ちゃんと最後まで面倒みろよ!」

 言われたイレキュモスは「ほい、そうじゃった」とうなずき、老体ろうたいに似合わぬ大音声だいおんじょうめいじた。

しずまれ、キゼア! おのれを取り戻すのじゃ!」

 恐らくはキゼア自身も度々たびたびの発火にれて来たのか、比較的短時間で理性を取り戻したようで、ややこもった声ながら「ああ、すみません」とびると、全身を包む炎も瞬時に消えた。

 が、当然、せっかくイレキュモスからもらったばかりの貫頭衣かんとういは燃え尽きている。

 そうなるとかくしようもなく、屹立きつりつした巨大な男根だんこんあらわとなった。

 ただ一人の女性であるディリーヌはさすがに目をらし、ビンチャオは不愉快そうに鼻を鳴らして顔をそむけた。

 目のやり場に困っている一同の中で、イレキュモスだけがキゼアの下半身を凝視して、「はて?」と首をひねった。

 すると、いまだに呆然ぼうぜんとしたまま立ち尽くすキゼアをかばうように、エティックがイレキュモスの前に出た。

じいさん、あんまりジロジロ見るんじゃねえよ。キゼアだって好きで裸になってるんじゃねえ。もう予備の貫頭衣はねえのか?」

「ふむ。なくはないが、無駄じゃろう。炎師えんしと呼ばれておったルフタルは発火の前にすぐ脱げるよう、前開きの服を特注しておったわい。が、それにしても……」

「何だよ、さっきから不思議そうな顔しやがって」

 イレキュモスはディリーヌに視線を走らせたが、それに気づいた本人が「気にするな。わたしは生娘きむすめではないぞ」と苦笑した。

 イレキュモスも笑って「すまんの」と断り、全員に聞こえるように話した。

「わしもルフタルの全身発火は何度か目撃したが、このように男根が勃起ぼっきした状態は見たことがない。どちらかと言えば縮んでおった。おっと、女性の前ですまん。あからさまついでに申し訳ないが、ルフタルはこのような巨根きょこんの持ち主でもなかったよ。が、これを見て、わしは別の人物を思い出したのじゃ」

「誰だよ?」

 いたのは勿論もちろんエティックで、ビンチャオは興味を失くしたように周囲をながめている。

 イレキュモスは言うべきか少し迷っているようであったが、「調べるなら今が良かろうからな」とひとちると、再び声を張った。

「密告結社のおさ、フェティヌール侯爵こうしゃくじゃ」

「ええっ!」

「何!」

「そんな……」

 全員が驚く中、一番大きな声で反応したのはビンチャオであった。

「何だと! われの得た情報では、フェケルノ帝国を実質的に支配しているという人物ではないか!」

 イレキュモスは「それは言い過ぎじゃろう」と軽く首を振った。

「実際には、内政は宰相さいしょうのダナルークが、軍事は元帥げんすいのゾロンが握っておるわい。まあ、いずれにせよ、幼帝ようていキルゲリはお飾りじゃが、今はそれもどうでもよい。わしの知っておるのは、フェティヌールがひた隠しに隠しておる、あやつ自身の秘密よ。それを確かめねばならん」

「ほう、秘密とは何だ?」

 そのディリーヌの問いには答えず、イレキュモスはやや勃起がおさまったキゼアに向き直った。

「キゼアよ。恥ずかしいであろうが、確かめたいことがある。すまぬが、おぬしの尻の穴の近くを見せてくれぬか?」

 これにはキゼア本人よりも、親友のエティックが激昂げっこうした。

「この変態爺いっ! キゼアをてめえの稚児ちごにでもする気かよ」

 が、ディリーヌが「待て」と止めた。

「わたしも船上でキゼアを見た際、『おや?』と思ったことがある。その時は見間違えかと思ったが、確かめてみたい。キゼア、すまないが、風師ふうしの言うとおりにしてくれぬか?」

 金髪碧眼きんぱつへきがんの美女ディリーヌに改めてそう言われたキゼアは耳まで真っ赤になったが、大きく深呼吸すると覚悟を決めたらしく、「どうぞ」と言いながらむこう向きに四つん這いになった。

「おお、やはり」

 声を出したのはディリーヌだけで、最初に頼んだイレキュモスも、反対していたエティックも、眉のない目を細めて見ていたビンチャオも、言葉を失っていた。

 キゼアの少年らしい白くて丸い尻には、肛門と睾丸こうがんの中間、つまり会陰部えいんぶにもう一つの穴があったのである。

 それは小さいながらも、明らかに女陰じょいんであった。

 長い吐息といきの後、イレキュモスはひとごとのようにつぶやいた。

「……やはり両性具有りょうせいぐゆうであったか。しかし、何故キゼアはフェティヌールと同じ体質をしておるのか。まさか……」


 一方、ヌルシキの案内でヤシュナギール遺跡の入口となっている土塁どるいから出たブルシモンとシンディーソは、挨拶あいさつもそこそこに帰途きといた。

 日没が近づいているからである。

「ぶるるっ。この村を出る前に日が暮れたんじゃ、生きた心地ここちがしねえからな」

 人体の門を出てヌルシキの姿が見えなくなるなり、シンディーソはそう愚痴ぐちこぼしたが、ブルシモンはジッと考え込んでいる。

「……ダナルークは、あの手鏡を手に入れたのは密告結社の者だと言っていた。つまり、谷底に身を投げた男から手鏡を受け取った者が別にいるはず。が、村人でなければ、すぐに気づかれる。うーむ。寝返りは考えられぬから、黒魔道で操られていたのだろう。その男は、どこへ行ったのだ?」

 その時、シンディーソの切迫した声が、ブルシモンを現実に引き戻した。

「おいっ、あれを見ろ!」

 夕暮れの草原を、こちらに向かって走って来る人影が見えた。

「ん? おお、あれはカラン隊長じゃないか。何かあったらしいな」

 普段は眠そうな目を見開き、必死の形相ぎょうそうで走っているカランも、同時にブルシモンたちに気づき、大声を出した。

「に、逃げるんです! 早く!」

「何から……」

 逃げるのかとシンディーソが訊くまでもなく、カランの後ろから百名近い隊員たちが追って来るのが見えた。

 手に手に武器を持っているが、不気味なことに誰一人声を出さず、まるで死人のように無表情のまま、ギクシャクした不自然な動きで走っている。

 ブルシモンは舌打ちした。

「まずいな。どう見ても黒魔道で操られているようだが、仲間は仲間。り捨てるわけにもいかん。と、なると、おれたちも逃げるしかあるまい」

 瞬時に状況をみ込んだらしいシンディーソが、「ヤシュナギールの村に戻るのか?」とたずねたが、ブルシモンは即座に太い首を振った。

「いや。ヌルシキたちに迷惑を掛けられん。下手をすれば、戦争になる。ともかく、別の方向へ誘導しよう。見たところ、あまり早くは走れんようだ」

 そうこうするうちにもカランは目の前まで来ており、「何を愚図愚図ぐずぐずしてるんですか! 早く早く!」と怒鳴った。

 このような状況であったが、ブルシモンは不敵ふてきに笑い、「真っ直ぐは駄目だめだ」と上司を止めた。

「おれが先導するから、遅れずについて来てくれ! シンディーソもな!」

 言うなり、ブルシモンは見かけによらぬ素早すばやさで横に向かって走り出した。

「ったく、あなたという人は、自分勝手に、ああ、もう、わかりましたよ!」

 文句を言いながら方向転換したカランに続き、シンディーソも走り出したが、やはり気になるのか、追って来る自分の仲間たちを何度も振り返った。

「あいつら、どうしちまったんだ? 一時的に操られてるのか、それとも……。いや、今はそんなこと考えてる場合じゃねえな。とにかく逃げねえと。に、しても、腹が減ったぜ。今夜は飯抜きかよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る