第25章 壊滅の真実

 漆黒しっこくの闇の中をっているヌルシキが、不意に止まった。

 そのなまめかしい尻にぶつかりそうになってブルシモンが急停止すると、自身の臀部でんぶにドンとシンディーソの頭が衝突して来た。

「うぷぷっ。なんで急に止まるんだよ、野蛮人!」

 毒吐どくづいたシンディーソには構わず、ブルシモンはヌルシキに「どうした?」と確認した。

 が、すぐには返事がなく、ややを置いて「うむ」というような覇気はきのない声が聞こえた。

「すまぬ。道を間違えたようじゃ。この先はがけになっておる。引き返そう」

 自分の手が届く範囲ぐらいから先はまったく見えないこの『スヌヌスの闇』の中では、そう言われたところで、他の二人には確かめようもない。

「はあ?」

 裏返ったような声で反撥はんぱつしたのは、最後尾のシンディーソである。

「冗談じゃねえぞ! 人ひとりがやっと通れるこの細道で、どうやって行列をひっくり返すんだよ? それとも、このまんま逆方向に戻るとすると、おれが先頭かよ? おれは道なんかわからねえぞ。落ちたら、谷底に真っ逆さまじゃねえか!」

「心配いらぬ。ジッとしておれ。婿殿むこどのもな」

 そう告げるなり、ヌルシキは最小限の動きで反転し、四つん這いのブルシモンの上を匍匐ほふくして行く。

 その際、意外に豊かな胸をブルシモンの背中にこすり付けるようにしたが、シンディーソの背中はポンと両手をいてび越えた。

 四つん這いの姿勢で着地すると、首だけこちらに向け、赤い歯を見せて笑った。

「その場で前後反転し、ついて参れ。が、気を付けよ。あまり大きく横に動けば、谷底に落ちるぞえ。ふむ。南方人にわらわ美尻びしりを見せるのはしいが、まあ、仕方あるまい」

「ふん。おれだって、てめえのでけえケツなんか見たかねえや。おれの好みはもっとこう、キュッとまった桃尻ももじりだからな。まあ、それは関係ねえけど、はぐれたら死ぬだろうから、この際仕方ねえ、じっくり見てやるよ」

 軽口かるくちたたく割には歴戦れきせんつわものらしく、シンディーソの表情は真剣そのものであり、その場で方向転換すると、ひたと視線をヌルシキの臀部に向け、同じ速度で進み始めた。

 ブルシモンも無言でそれに続く。

 ところが、またすぐにヌルシキが止まり、首をかしげた。

「はて? これはどうしたことであろう?」

 鼻先がヌルシキの尻にれる寸前で止まったシンディーソが声を荒げた。

「て、てめえ、わざとやってるだろっ!」

 と、今は最後尾にるブルシモンが、意識的にであろう、力を抜いた声でヌルシキにいた。

「道に迷ったのか?」

 らしくもない吐息といきの後、やや不貞腐ふてくされたようなヌルシキの返事が聞こえた。

「迷ってはおらぬ。いや、先ほどは道を間違えたのかと思うたが、分岐点ぶんきてんの一つへ戻ってみたところ、間違まちごうてはおらなんだ」

「どういうことだよ?」

 不機嫌ふきげんな声でたずねたのはシンディーソである。

 それにヌルシキが答える前に、ブルシモンがかさねてうた。

ほかの経路はないのか?」

「今考えておるわい。うむ。多少遠回りにはなるが、昔使っていた旧道を通って行こう。この分岐点から行けるはずじゃ」

だましてんじゃねえだろうな?」

 シンディーソの問い掛けには答えず、ヌルシキはびるような声でブルシモンにびた。

「すまんのう、婿殿。今しばらくの辛抱しんぼうじゃ」

「それは構わんが、こういうことはよくあるのか?」

 随分ずいぶんけてから、本来の老婆に戻ったような声で「妾もはじめてじゃ」と告げると、ヌルシキはおのれはげますように声を張った。

「さあ、くぞ!」

 再び闇の中を這いながら、ブルシモンはふとつぶやいていた。

「キゼアのように、魔道が使える人間を連れて来るべきだったな……」


 そのキゼアたちはすでに漁港をあとにして、一路ヤシュナギール遺跡を目指して進んでいる。

 ディリーヌが知っているという道は人の往来がえて久しいようで、獣道けものみちに近い状態になっていた。

 一行の先頭に立つビンチャオが、ディリーヌから返された剣でしげる雑草をり払いながら黙々と歩いて行く。

 無造作むぞうさに後ろに垂らしているげ茶色の髪が、大量の汗でれている。

 いい加減草臥くたびれているはずだが、剣を他人ひとに預けるのが不安なのであろう。

 その後方を、残りの四名が周囲を警戒しながら歩いていた。

「いっそ、みんなで飛んだ方が速いんじゃねえか?」

 不平そうに言うエティックに、風師ふうしイレキュモスが笑った。

「すぐに見つかって、ヤシュナギール族の餌食えじきにされるわい」

 自分の服が焼けたため、イレキュモスから予備の貫頭衣かんとういを借りているキゼアが首をかしげた。

「本当に、人間が人間を食べたりするのでしょうか?」

 その質問には、用心のため最後尾を進んでいるディリーヌが答えた。

「ああ、本当だ。やつらは食料を調達ちょうたつするために、定期的にほかの村をおそう。が、決して皆殺しにはせず、特に子供には手出しをしない。種芋たねいもを残す、とか言ってな。ああ、もっとも、何十年かに一度、若い娘をさらうことがあるそうだ。わたしも幼い頃、言うことを聞かぬとヤシュナギール族に攫われるぞと、やしなおやおどされたものだ」

「へえ、何で娘だけなんだろ?」

 訊いたのは無論エティックで、キゼアはきそうな顔で口を閉じている。

「知らん。恐らく、連中の信仰する神への人身御供ひとみごくうだろうな」

 すると、珍しくキゼアが声を荒らげた。

生贄いけにえを要求するような神は、神じゃないです!」

 それが聞こえたらしく、ビンチャオが手を止めて振り返り、声を上げて笑った。

「おまえらの住む旧アナン王国の守護神ジュラはそうかもしれんが、われらの神は常に戦士という生贄を求められているぞ。もっとも、われらの神は生きておられるがな。そうさ。苛烈王かれつおうガルダン陛下だ」

 眉のない顔でほこらしげにうそぶくビンチャオに、最後尾のディリーヌが緊迫した声で警告した。

「ちゃんと前を見ろ!」

 同時に気配を感じたらしいビンチャオは、振り向きざまに持っている剣を水平に振るった。

「待ってくれ!」

 ビンチャオの剣先をかわしながら両手をげたのは、体中刺青いれずみだらけの半裸の男であった。

 頬骨ほおぼねが浮くほどせており、懇願するように必死な眼でこちらを見ている。

 わらんだ腰蓑こしみのだけの姿で、武器らしいものは持っていない。

「ほう。その恰好かっこうから見て、おぬし、シーグ人じゃな?」

 イレキュモスが指摘したように、全身の刺青や腰蓑はシーグ酋長しゅうちょう国連邦の民衆に一般的に見られる風俗である。

 男はガクガクとうなずいた。

「そうだ。あんたらがどういう人間かは知らんが、おれにい物をめぐんでくれないか? もう三日も何も食べてないんだ」

 と、横にいだ剣を再びその男の鼻先に戻したビンチャオが、あざけるように告げた。

「ふざけるな。おまえがシーグ人なら、今朝ベギン族の村で充分な食料を渡されたはずだ。それとも、もう全部喰ってしまったとでも言うのか?」

 シーグ人の男は悲しげに首を振った。

「あんたの言うことが本当なら、おれは仲間と行き違ってしまったんだな。おれは先行してヤシュナギール遺跡へ向かった部隊の生き残りだ。ベギン族の村に残っているはずの仲間を探して歩きまわるうちに道に迷い、人の声が聞こえたのでここへ来たんだ。とにかく、そんなことは、今はどうでもいい。何か喰い物をくれよ」

「大事な食料を、おまえなんかにやれるか!」

 ビンチャオが剣を振り上げたところへ、「まあ、待て」とディリーヌが声を掛けた。

「今は少しでも情報が欲しい。それに、わたしたちもここらで食事をして置かないと、途中で日が暮れてしまう。食べながら、その男の話を聞こうじゃないか」

「ふん! 勝手なことばかり言いおって。分隊長は、われだぞ」


 反撥はんぱつしたものの、ビンチャオとてディリーヌが言ったことの正しさはわかっており、その場で野営することになった。

 男は兵士ではなく、雑役夫ざつえきふだという。

 キゼアとエティックが調理した雑穀粥ざっこくがゆめるように少しずつ食べながら、ディリーヌに問われるままに話を聞かせた。


 ……おれの専門は船旅のまかなめしを作ることで、地元ではちょっと知られた料理人だったんだ。

 本来なら上陸する立場じゃないんだが、隊長にえらく気に入られて、遺跡まで長旅になりそうだからと無理やり連れて行かれたのさ。

 おれもヤシュナギール族のうわさは耳にしていたからこわかったが、まあ、二十騎の騎兵部隊が同行するし、後詰ごづめに十騎がベギン族の村で待機してるってことで、何とかなるだろうとたかくくってたのは、いなめない。

 が、自分の考えが甘かったとわかったのは、『人体の門』を見た時だ。

 やつら、食べ残した人体の残骸ざんがいを、村の入口の門にかざる風習があるらしい。

 おれは震え上がり、その場から走って逃げた。

 どれくらい走ったのかわからねえが、後ろから大勢の悲鳴が聞こえ、すぐに断末魔だんまつまのような声に変わった。

 おれはしゃがみ込み、両手で耳をふさいだ。

 だいぶってから立ち上がり、フラフラと歩いて行ったが、やがて目の前に現れたものを見て愕然がくぜんとした。

 そうだ。

 それこそ『人体の門』だった。

 しゃがみ込んでから立ち上がった際、方向がわからなくなって、元来た道を戻ってしまったんだ。

 足がすくんで動けないでいると、門の向こうから人のうめく声が聞こえた。

 おれもどうかしていたんだな。

 まだ生き残った仲間がいるかもしれないと思い、声のする方へ歩き出した。

 門をくぐるのは嫌だったが、横から下をのぞくと、馬ごと空堀からぼりに落ちた仲間が先をとがらせた木のくいで串刺しになっているのが見え、あわてて門の方へ回り込んだ。

 然程さほど進まぬうちに、仲間たちが見えた。

 いや、最初は仲間だと、わからなかったよ。

 大きな岩のような白いかたまりから、何人もの手や足や顔が突き出している。

 よく見れば、白いのは粘々ねばねばした太い糸のようなもので、それにからられた仲間がうごめいていたんだ。

 恐ろしいことに五体満足な者は一人としておらず、片腕のない者、目をつぶされている者、耳をぎ落されている者、陰部いんぶぎ取られている者など、凄惨せいさんきわまりない状態だった。

 そして、口がける者たちは皆、「いっそ殺してくれ」と訴えている。

 ところがおれは、あまりに悲惨な仲間の姿にかえってせられたようになり、その場から動けなくなってしまった。

 と、「どうじゃ、美しいであろう?」という女の声がした。

 振り返ると十二、三歳ぐらいの銀髪の少女が笑っていた。

 その口に並ぶ歯は血をったように真っ赤で、大振おおぶりの首飾りは人面をし固めて作ったもののようだった。

 おれは恐怖に声も出ず、震えながら頷いた。

 少女は「ついて参れ」と告げるとおれの横を通り過ぎ、粘着する糸に自由を奪われている仲間たちのそばいざなった。

「こうして置くと当分の間、生餌いきえに困らぬのじゃ」

 少女はニッと笑うと、塊から突き出している手に顔を近づけ、指の一本をカリリと千切ちぎった。

 胸の悪くなるような絶叫が聞こえたが、少女は平気な顔でクチャクチャと指をしがみ、「おお、やはり鮮度が違うのう」と笑った。

 おれはもうもなく泣きくずれ、助けてくれ、助けてくれと少女に土下座した。

 が、少女はさらに恐るべきことを告げたのだ。

「ならば、おまえも指を一本くらえ。それでゆるしてやろう。妾たちは今、腹一杯はらいっぱいじゃからの。おまえは運がいい。じゃが、もしそれがいやだと申すなら、マセリのえさにするぞえ」

 マセリというのが何かわからなかったが、おれはすでに正気を失っていたのだろう。

 少女が食べた手に顔を寄せると……。


「喰っちまったのか?」

 嫌悪感をあらわにしてエティックが訊いた瞬間、おとろえた男が信じられない速度で動いた。

 横に座っていたキゼアに飛び掛かって背後から片腕で首をめ上げ、もう一方の腕で動けないように押さえ込みつつ、こちらをにらんだ。

「誰も動くなよ。この子供が死ぬことになるぞ」

 あまりに一瞬の出来事に皆がこおり付いたようになる中、眠そうに目を細めたディリーヌが「馬鹿な真似まねはよせ」となだめた。

「こっちは四人だ。とても逃げきれんぞ」

 男は狂気をはらんだような笑顔を見せた。

「わかってるさ。おれも逃げる気なんかない。どうせもう、普通に生きることはできないと、さっき雑穀粥を喰ってみてわかったんだ。こんな不味まずいものを喰うくらいなら、うまいものを腹一杯喰って死にたい。そう思って見ていると、どうだ、極上ごくじょうの喰い物が目の前にあるじゃねえか。これを喰わずに、いられるかよ!」

 声も出せずに目を見開みひらいているキゼアの耳朶みみたぶをペロリとめ、男が大きく口をけた、その時、イレキュモスが叫んだ。

「キゼア、発火せよ!」

 直後、空気がぜるような音と共にキゼアの全身から炎がき出し、はじかれたように男の体が飛ばされ、苦悶くもんするように身をよじりながら、メラメラと燃え上がった。

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