第24章 異世界の迷宮

 キゼアたちがオルジボセ号から救出された頃、ブルシモンとシンディーソの二人は案内されたヤシュナギール遺跡を前にして唖然あぜんとしていた。

「何をそんなに驚いておるのじゃ?」

 巨大なマセリにまたがったまま、皮肉なみを浮かべてたずねるヌルシキに、無遠慮ぶえんりょな声を上げたのはシンディーソの方である。

「はあ? これが驚かずにいられるかよ! 古代ツェウィナ人がつくったとかいう御大層ごたいそうな遺跡が、こんな子供ガキかくみてえなちっぽけなもののはずがねえだろうが。ははあ、わかったぞ。てめえ、だましやがったな。ただじゃ置かねえぞ!」

 シンディーソがおこるのも無理はない。

 そこにあるのは、人の背丈せたけ程度の高さしかない丸い土塁どるいのようなもので、その正面に、大人がつくばってやっと入れるくらいの穴がいている。

 周辺には何もなく、雑草が伸び放題である。

 いや、草は土塁の上にもえていて、何年も手入れをされていないようだ。

「ほう? うそだったら、どうするというのじゃ?」

 真っ赤に染めた歯をき出しにして挑発するヌルシキに、シンディーソは激昂げっこうした。

「このあまっ!」

 が、ブルシモンがシンディーソの前に回り込み、両手を広げて立ちふさががった。

「よさんか。揶揄からかわれているだけだ。あの穴をよく見てみろ」

「穴? 穴がどうしたって?」

 改めて土塁の穴を見たシンディーソの顔から、スーッと怒りの色が消えて行った。

 土塁の周辺は明るい陽光にあふれているのに、その穴には一切光が差し込まず、内部がまったく見えない。

「どうなってんだ?」

 目を細めていぶかるシンディーソに、笑いを含んだ声でヌルシキが提案した。

「何なら手を差し入れてみても良いぞえ。おお、心配せずとも、怪我けがをしたりはせぬ。ちょっと冷んやりとはするかもしれんがのう」

 シンディーソの喉仏のどぼとけかすかに上下した。

 その視線の先にある穴は、入口からすぐに闇に閉ざされており、まるで濃密な暗黒そのものにおおわれているかのようだ。

 しかし、シンディーソがおのれ鼓舞こぶするまでもなく、先にブルシモンが応じた。

「ならば、おれが試してみよう」

 シンディーソにめるを与えず、スタスタと土塁に歩み寄ると、ブルシモンはいささかも躊躇ためらわず、それでも用心のためか、き手ではない左腕の方を穴に差し込んだ。

「げっ!」

 声を上げたのは、あわてて後ろから駆け付けたシンディーソである。

 見れば、ブルシモンの手首から先が消失している。

 が、ブルシモン自身は顔色一つ変えず、「成程なるほどな」とつぶやくと、左腕を引いた。

 と、消えていた手首から先が元通りになっていた。

 振り返ったブルシモンは、岩のような顔に微笑を浮かべて「心配ない」とシンディーソに告げると、ヌルシキを見上げた。

「黒いきりのようなものがあるのかと思ったが、違うな。見えなくなったてのひらに、横からの風を感じた。どういう理屈かわからんが、この穴は別の場所につながっているようだ」

 ヌルシキの十代のまま変わらない美しい顔が、莞爾かんじほころんだ。

「さすがわらわの未来の婿殿むこどの。よくぞこの短時間で真相に辿たどいたものよ。そうじゃ。この穴は『スヌヌスの抜け穴』と呼ばれておる。これを抜けた先に、本当の遺跡がある。さあ、では参ろうかの、婿殿?」

 ヌルシキはマセリの背中をホトホトとたたいて「見張っておれ」とめいじると、身軽みがるにポーンと飛び降りた。

 穴の前に立つと、ふところから白いひもを取り出し、笑顔のまま二人に告げた。

「これより妾が中へ案内あないするが、この紐をしっかにぎって付いて参れ。マセリの糸をり合わせたものゆえ、簡単には切れぬ。そして、これが大事だいじなところじゃが、何があっても決して手から離してはならんぞ。中ではぐれれば、妾でも見つけ出せぬからのう。良いな?」

「わかった」

 即答したのはブルシモンで、シンディーソは大きくめ息をいただけだ。


 ブルシモンの提案で、全員紐を胴体に一巻ひとまきしてから、各自の手にからませることにした。

 いで、立ったままでは中に入れぬため、穴の前でヌルシキ・ブルシモン・シンディーソの順に四つんいになった。

 すると、首だけ振り向いたヌルシキが「あれ、ずかしや」と含羞はにかんで見せた。

「婿殿に尻を向けてすまぬのう。が、それもまた一興いっきょう。ふむ、妾の尻を見られているのかと思うと、も知れぬ昂奮こうふんおぼえるぞえ」

 確かに、細身ほそみの少女の体つきに似合にあわず、四つん這いになったヌルシキの臀部でんぶは大きく横に張っており、薄絹うすぎぬを通してそのなまめかしい輪郭りんかくがハッキリわかる。

 が、勿論もちろん、男二人には色気を感じるような余裕はなく、ブルシモンでさえ表情がかたい。

「そろそろ行こうじゃないか。案内を頼む」

 ヌルシキは軽く鼻を鳴らすと、「ついて参れ」と告げ、這いながら穴へ入って行った。

 その頭部が消え、両腕が消え、左右にれながら大きな尻が消え、最後にあしが消えると、さすが一度深呼吸してから、ブルシモンもあとに続いた。

 ブルシモンが見えなくなると、シンディーソはなさけない顔で「行くしかねえよな」とひとち、目をつむって這って中に入った。

「え?」

 ほほに風を感じて思わず目をひらいたシンディーソは、周囲を包む暗黒に絶句した。

 見えているのは、直前を這っているブルシモンの、洋袴ズボンり裂けそうな筋肉質の臀部だけであり、その先を進んでいるはずのヌルシキの姿さえ見えない。

「な、なんでえ、ここは……」

 別に問い掛けたわけではあるまいが、先頭を進むヌルシキから返事があった。

「ここはスヌヌスの闇よ。ちなみに、スヌヌスとは冥界めいかい主神ぬしがみとされており、この世の始まりと終わりをつかさどるとわれておる」

 ブルシモンが話の内容ではなく、別のことに反応した。

「声が全然響かぬな。洞窟どうくつのような場所では、もっと響くものだと思うが」

 ヌルシキが少女のように笑ったが、その笑い声もまったく反響しない。

「おお、さすが婿殿。スヌヌスの闇を良く理解しておる。試しに周囲を手探てさぐりしてみるがいい。ただし、今の位置から大きく動きすぎるなよ」

「わかった」

 シンディーソの目の前で、ブルシモンはドカリと尻を地面にけて座り、まず腕を左右に伸ばした。

「むっ」

 いっぱいに伸ばした腕の先で指をヒラヒラさせたが、何もれないようだ。

 さらにそのまま両腕を上げたが、天井に届いた様子もない。

 シンディーソが「なんでえ、立って歩けるじゃねえか」と立ち上がろうとすると、ブルシモンから「待て」と声が掛かった。

 ブルシモンが両腕を徐々に下ろして行くと、座っている地面の高さを通り過ぎ、肩から垂直の位置になってやっと止まった。

「ほう。手の感触だけで言うと、切り立った尾根おねの上の、人ひとりやっと通れる細道、というところだな」

「見事じゃ、婿殿!」

 皮肉ではなく、心からめそやすようにヌルシキが感嘆の声を上げた。

まさにそのとおり。妾たちが今通っておるのはスヌヌスの細道というもので、はばは人の肩幅ほどしかなく、左右は底知れぬ峡谷きょうこくとなっており、落ちればまず助からぬ。しかも、途中にいくつもの分かれ道があり、一度ひとたび道を間違えれば、同じ場所を何度も行き来したり、行き止まりに突き当たったり、最悪、道が途切とぎれてそのまま谷底に落ちてしまう。よって、道順を熟知しておる妾でさえ立って歩くことかなわず、こうして赤子あかごのように這っておるのじゃ」

「じょ、冗談じゃねえや」

 震える声を出したのは無論シンディーソであり、ブルシモンは落ち着いてたずねた。

「ずっとこの細い道なのか?」

「いやいや。もう少し進めば広い場所に出る。そこからは立って歩けるし、何なら妾をぶって行ってもよいぞ」

 びるような鼻声を出すヌルシキに、ブルシモンはピシリと告げた。

「ともかく先へ進もう」


 その頃、漁港で一人待つビンチャオは、殺された五人の部下をめ終わったところであった。

 墓標ぼひょう代わりに突き刺した五本の剣の前で合掌がっしょうし、眉のない目を瞑った。

「おまえたちのかたきは、きっとわれがってやる。安心してあの世で戦え」

 ヤンルーでは、戦死した人間はそのまま天国へ行くが、このように不名誉な死に方をした者は、一旦いったん全員地獄へとされ、そこでの戦いに勝ち残った人間だけが天国へ行ける、と信じられているのだ。

 フーッと息をいて目をひらくと、海岸の方を振り返った。

「……遅いな。まさか、逃げたんじゃ……。おっ、あれは」

 ビンチャオの鋭い視線の先に、飛んで来る人間の姿があった。

「ん? 子供ガキ二人か?」

 それはキゼアとエティックであった。

 キゼアは全裸の上にディリーヌの黒革くろかわの上着を羽織っているだけの状態で、その上着のそでをエティックがつかんでいる。

 砂浜まで降りて苛々いらいらと二人の到着を待っていたビンチャオは、キゼアの足が着地するなり怒鳴どなるようにいた。

風師ふうしとあの女はどうした!」

 キゼアが答える前に、負けじとエティックが叫び返した。

心配しんぺえしねえでも、あとからちゃんと来るよ! あんたらと違って、約束はキッチリ守るからな!」

「何だと、小僧こぞう! われらがいつ約束をやぶった!」

 そのままなら確実に喧嘩けんかになったであろうが、「ああっ……」という切ないような声が聞こえ、キゼアがその場に仰向あおむけに倒れた。

 そのあたりは少し砂が湿しめっていたらしく、キゼアの体がれたところから、濛々もうもう湯気ゆげが上がった。

 エティックと喧嘩になりかけていたことも忘れたように、ビンチャオはキゼアに近づいた。

「なんだ、こいつ? ん? うっ、こ、これは……」

 はだけた上着を押し退けるようにして、キゼアの巨大な男根だんこん屹立きつりつしていたのである。

 あるいは、男根に血流が集中し過ぎて、脳が貧血状態で倒れたのかもしれないが、そのような知識のないビンチャオは、嫌悪けんお羨望せんぼうの入り混じったような苦い表情になった。

「へっ。大きければ、いいというものじゃないぞ」

 これを耳にしたエティックは思わず失笑したが、すぐに「いや、笑い事じゃねえや」と首を振った。

「ビンチャオのおっさん、聞いてくれ! おいらにもどうしたらいいのかよくわからねえが、少しましてやった方がいいと思う。何かで海水をんで、キゼアの体にびせてやろうぜ!」

「あ、ああ」


 結局、誰かが中身だけ食べたらしい椰子やしからを二つに割り、交互に海水を運んで、キゼアの体を冷やしてやった。

 そのおかげなのか、或いは単に時間が経過したからなのか、キゼアの男根はみるみるちぢみ、ディリーヌをかかえたイレキュモスが戻って来た時には、普通の少年のあるべき大きさに戻っていた。

 同時に気絶からもめたようで、「お帰りなさい、風師、ディリーヌさん」と言いながら起き上がった。

 が、二人は軽くうなずいただけで、代表するようにイレキュモスがビンチャオに告げた。

「一応、二人は無事に救出できたが、ちょっとやり過ぎたかもしれん。あきらめて帰国してくれれば良いが、報復に戻って来るおそれがある」

 ビンチャオは「だろうな」と苦笑した。

「ディリーヌが乗り込んで、ただむはずがないと思っていたさ。が、連中が戻って来るなら望むところだ。ヤンルー人を殺したらどうなるか、思い知らせてやる!」

 勢い込むビンチャオを、そのディリーヌが笑って止めた。

「まあ、待て。如何いかにおぬしが強くとも、多勢たぜい無勢ぶぜい。そんなことより、やつらが戻って来る前にここを引き払い、早くヤシュナギールの遺跡を目指そう」


 一方、ブルシモンとシンディーソを送り出したフェケルノ帝国の派遣部隊は、ようやく野営の準備を終え、各自で食事をとっていた。

 皆から一人離れ、地面に直接いた毛布にゴロリと横たわったカランは、し肉をクチャクチャとしがみながら、際限なく愚痴ぐちこぼしていた。

「……ったく、どうでしょう、わたしの部下たちの冷たいこと。隊長たるわたしに食事をきょうするというような気働きばたらきができるような人間は、一人もいないんですかねえ。そりゃ、わたしだって煮炊にたきぐらいできますよ。でも、みっともないじゃありませんか。普通なら雑役兵ざつえきへいでも付いてるべきなんでしょうが、今回は少数精鋭ってことでそれも許されませんでしたし、宰相はそういう心配こころくばりをするような人じゃ……」

 ちょうど宰相ダナルークの悪口を言っている時に他人ひとの気配を感じ、カランはガバッと起き上がった。

「……ああ、違います、違います。決して宰相閣下かっかのなさりように不平不満を述べたんじゃ……。ん? 何ですか、おまえは?」

 かたわらに呆然ぼうぜんと立っていたのは帝国軍の兵士ではなく、カラン自身が警邏庁けいらちょうから選抜した部下の一人であった。

 その男は焦点の合わない目でこちらを見ていたが、クルリと白眼しろめくと、乾いた唇から赤い生き物をき出した。

 それが紅蜘蛛べにぐもと気づいた瞬間、カランは女のような悲鳴を上げて逃げ出していた。

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