第23章 炎師の系譜

 妖姫ようきヌルシキの案内でブルシモンたちがヤシュナギール遺跡へ向かった頃、女剣士ディリーヌ・風師ふうしイレキュモス・分隊長ビンチャオの三人は、ヤンルー兵たちの死体が転がる海岸縁かいがんべりに戻っていた。

「トドメはそれぞれの剣で刺されているが、全員その前に後ろから棒のようなものでなぐられているようだな」

 おそれげもなく死体を検分けんぶんしたディリーヌがそう告げると、ビンチャオはすぐに「あいつらだな!」と歯噛はがみした。

船奴せんど分際ぶんざいで主人たるヤンルー人を殺すとは! 見つけたらただでは置かん!」

「に、してもじゃ」

 口をはさんだのはイレキュモスである。

「残っている足跡から見て、大勢の人間が森から来て海の方へ向かったのは確かじゃ。しかも、この足並みの乱れ方は訓練を受けた兵士ではあるまい」

「じゃあ、誰だ?」

 眉のない顔に凶悪きょうあくな表情を浮かべて問いめるビンチャオに、イレキュモスが苦笑して肩をすくめると、わってディリーヌが答えた。

「確たる証拠はないが、心当たりはある」

「おまえの仲間か!」

 今にも剣を抜きそうに身構みがまえるビンチャオに、ディリーヌは平然と答えた。

「仲間ではないが、同国人だろう」

「ほう、フェケルノ帝国の人間かの?」

 横からたずねたのはイレキュモスの方である。

「ああ。わたしたちが密航したオルジボセ号がそろそろ港に着く頃合ころあいだ。恐らくベギン族に断られて上陸できず、こちらへまわって来たのだろう。が、こちらの漁港では水深すいしんが浅すぎて、オルジボセ号は接岸せつがんできぬ。そこで、先発隊が上陸して、ここでヤンルー兵と小競こぜり合いとなったのだな」

 ビンチャオも少し落ち着きを取り戻し、腕組みをして首をひねった。

「それを幸いと船奴が叛乱はんらんを起こしたか……。しかし、その後どうなったのだ?」

 それを考えるのも、本来は分隊長たるビンチャオの役目である。

 文句を言いながらもすっかりディリーヌを当てにしているようだ。

 ディリーヌも特に気負きおわず、見事な金髪を片手でかき上げると、淡々たんたんと答えた。

「船奴たちは亡命を希望したはず。戻れば確実に殺されるからな。子供二人は人質、というより、おとりだろう」

「囮?」

「囮とは?」

 しくも声をそろえたビンチャオとイレキュモスに、ディリーヌはにがい顔で告げた。

「ああ。キゼアとエティックよりも、オルジボセ号の連中にとって報復したい相手はわたしだろう。行きがかりとはいえ、脱出の際にめたからな。よって、まだ遠くへは行かず、近くに停泊しているはずだ」

「ならば、どうする?」

 聞いたのはビンチャオだが、ディリーヌはイレキュモスに向かって答えた。

あらかじわなとわかっていれば、逆に対処の仕方もある。風師、わたしを連れて飛んでくれ」

 当然ビンチャオが自分も行くと言い張ったが、大人二人を抱えては自由に飛べないとイレキュモスに断られた。

「ほう。おまえたち、そのまま逃げる気だな?」

 いやな目つきでにらむビンチャオに、ディリーヌは負けないくらい強い眼差まなざしであおい瞳を向けた。

「逃げはせぬ。キゼアとエティックを無事に取り返せたとしても、オルジボセ号そのものを奪うのは無理だ。二人をここへ連れ戻り、共に本来の使命を果たすまでのこと。わたしとて、古代ツェウィナ人の秘宝に興味はあるからな。まあ、その後、南大陸へ帰る方法については、別に考えねばならんが」

 言外げんがいに『いのちがあれば』という含みを持たせた答えに、ビンチャオも渋々うなずき、「早く帰って来いよ」と言いながらプイと横を向くと、自分の剣をさやごとディリーヌに手渡した。


 その頃オルジボセ号の甲板かんぱんでは、キゼアとエティックの二人が、床几しょうぎに座った船長の前に引きえられていた。

 二人は猿轡さるぐつわまされ、後ろ手に縛られ、更に足環あしわまで付けられて、一切抵抗できない状態にされている。

 ちなみに、この状態では呪文をとなえたりいんを結んだりできぬため、キゼアの魔道もほぼふうじられていることになる。

 船長は何故なぜか船員たちにしばらく近づかないよう命じると、潮焼しおやけした顔に皮肉なみを浮かべ、ゆかじかに座らせられた二人の少年の顔を交互に見た。

「ふん。二人ともまだ希望は失っていないようだな。まあ、風師イレキュモスと女剣士ディリーヌがいずれ助けにくると信じているんだろ? わしもそうさ。早く助けに来てくれぬかと、そわそわして落ち着かねえんだ。ちょうど、小海老を釣り針に付け、でっけえ魚を釣り上げようとしてる時の気分だぜ」

 少年二人の顔に驚きが走るのを見て、船長の笑みが深くなった。

「そうとも。おめえたちの事情はみんなわかってる。出航前にサモゾフの野郎から、こんなものが入った箱が届いたのさ……」

 船長が口をけて見せると、赤い生き物がうごめくのが見えた。

「……そうさ。あのサモゾフは密告結社けっしゃの一員、というより、幹部の一人らしい。勿論もちろんわしもそんなことは知らなかったが、この紅蜘蛛べにぐものおかげで色んなことがわかるようになったよ。ん? おお、そうか、ディリーヌのことはともかく、イレキュモスの件まで何故なぜ知っているのかときたいのだな? 決まっているだろう。ずっと見張っていたからさ。あのいぼれ、あれで密告結社からかくれているつもりだったとは。はっ、笑わせるぜ……」

 船長が笑うと、口の中の紅蜘蛛もおどるように動いた。

 それとともに、徐々に船長の口調くちょうにも変化があらわれた。

「……ああ、今まで泳がせていた甲斐かいがあったというもの。風師イレキュモスならば、必ずや古代ツェウィナ人の秘宝を手に入れるだろう。われらは懐手ふところでしてそれを待てば良いのだ。ただし、そのかたわらにはわれらの支配下の子供がいて、逐一ちくいち状況を知らせてくれることになるがな。さてさて、どちらの体が心地ごこちが良いかな?」

 ひとちながらも、既に船長は白眼しろめいており、半開はんびらきになった口から紅蜘蛛がい出て来ようとしている。

 キゼアたちには知るよしもなかったが、骨と皮だけにされたレナハ男爵と違い、航海を続けさせるためか船長の体内はい荒らされておらず、したがって紅蜘蛛もその一匹だけのようだ。

 紅蜘蛛が体外に出た瞬間、船長の体はグッタリとなったが、大きな臀部でんぶが床几にまり込み、普通に腰掛けているように見える。

 が、あせったのか、事前にキゼアとエティックの猿轡をはずしていなかったため、紅蜘蛛はもぐり込む穴を求めて二人の鼻や耳を行ったり来たりした。

 そのかん二人は身をよじって紅蜘蛛を払い落とそうとしたが、動きが素早すばやく、ついにキゼアの洋袴ズボンすそから中に入り込まれた。

 すぐにキゼアの尻に目的のものを見つけたらしく、割れ目の部分の布がふくらんであやしく動き始めた。

 キゼアの顔に苦悶くもんの表情が浮かび、何かに必死で耐えているようにひたい脂汗あぶらあせが流れている。

 異変に気付いたエティックは、藻掻もがいて床に倒れ、芋虫のように体をくねらせてキゼアの方へ移動しようとした。

 と、その時。

「!」

 声にならないうめきが聞こえてキゼアの体が硬直こうちょくし、同時に全身からメラメラと赤い炎が上がった。

 炎はたちまちキゼアの服をやし、縄を焼き切り、足環をがし、猿轡のひも焼失しょうしつさせた。

 くせのある赤毛も炎にあおられてユラユラと立ち上がったが、不思議なことに少しも焼けない。

 全身を炎に包まれたキゼアは立ち上がり、口から猿轡の残骸をき捨てると、天に向かって咆哮ほうこうした。

「ひゅららるるるいいいいいいんっ!」

 同時に尻の穴から何か焼け焦げたものを、ボトリとひり出した。

 ブスブスとくすぶりながら燃えているのは、紅蜘蛛の遺骸いがいであろう。

 ただならぬ気配に船員たちも騒ぎ始めたが、キゼアの姿を一目見るなり足がすくむらしく、決してこちらに近づこうとはしない。

 なおも全身から炎を上げながら、野獣じみた声でえ続けるキゼアに、上から呼び掛ける声がした。

「キゼア、正気を取り戻すんじゃ!」

 姿こそ見えないが、その声はイレキュモスのものだ。

 隠形おんぎょうしたまま飛んで来たらしい。

 イレキュモスの呼び掛けの効果か、キゼアを包む炎が徐々じょじょやわらぎ、今度は「待っていろ!」というディリーヌの声が響いた。

 直後、ダーンと甲板がきしむような音を立ててディリーヌがり立った。

 すでに剣を抜いており、エティックのいましめをると、あわてて駆け寄って来ている船員たちにやいばを向けた。

「寄らば斬る! 無駄死むだじにするな!」

 その間に自分の猿轡をはずしたエティックが、泣きそうな声で「キゼア、どうしちまったんだ?」と親友を気遣きづかった。

 が、「今は近づいてはならん!」とイレキュモスの怒声どせいが飛び、薄汚うすよごれた貫頭衣かんとういすそをはためかせながら甲板の少し上に出現した。

「じゃあ、どうすりゃいいだよ!」

 エティックの泣きごとには構わず、イレキュモスは普段滅多めったに見せないような厳しい表情で、キゼアにめいじた。

「気をしずめよ、キゼア! 怒りや恐怖に負けてはならん! おのれ自身を取り戻すのじゃ!」

 けだものじみた声でずっとうなっていたキゼアがはじめて気づいたように、白髪白髯はくはつはくぜんのイレキュモスの顔を見つめた。

「……風師?」

 直後キゼアを包む炎が見るに小さくなってスーッと消え、一糸いっしまとわぬ幼い少年の肉体があらわになった。

 が、一か所だけ少年らしからぬ部分があった。

 怒張どちょうして天をくように屹立きつりつした、見事な男根だんこんである。

「お、おいらのよりでけえや」

 あきれるエティックよりもキゼア本人がその異常に気づき「あ、これは……」と両手でかくそうとしたが、とてもおおい切れるものではない。

「これを着ろ!」

 ディリーヌが黒革くろかわの上着を脱いでほうり投げると、キゼアは慌ててそれを羽織はおって、前を閉じた。

 女にしては大柄おおがらなディリーヌの上着でも、完全にはキゼアの男根を隠せず、その部分だけ天幕てんまくのように突き出している。

 一方、上半身が胸に巻いたさらしだけになったディリーヌは、極力キゼアの方を見ないようにしてたずねた。

「エティックを連れて飛べるか?」

「あ、はい!」

「では、先に漁港へ戻れ! わたしたちもすぐにあとを追う!」

 その頃には船員たちも多少冷静さを取り戻し、「逃がすかよ!」「船長に何をしやがった!」「血祭りにしてやる!」などと口々に叫びながら、武器を手にこちらを遠巻とおまきにして騒ぎ出した。

「くそっ、おいらも残ってたたかうぜ!」

 いきがるエティックに、ようやくいつものおだやかな表情に戻ったイレキュモスが「阿呆あほう」とたしなめた。

「ここで闘っても意味はない。ディリーヌのはあくまでも時間かせぎじゃ。早くキゼアに連れて行ってもらえ。ああ、そうじゃ、気をつけてさわらんと」

 イレキュモスの言葉が終わらぬうちに「熱っ!」と叫び声が上がったが、それはエティックではなく、気絶していたはずの船長であった。

 いつの間に目がめたのか、両目とも通常の黒目くろめに戻っており、周囲の状況を見て咄嗟とっさに目の前のキゼアの足首をつかんだのだろう。

 が、炎が消えたとはいえ、まだ熱かったらしい。

 イレキュモスは「言わんこっちゃない」と苦笑した。

「エティックも直接キゼアのはだに触れてはならんぞ。革の上着のそででも掴んでおけ」

「ああ、そうするよ! 行こうぜ、キゼア!」

 まだ気懸きがかりそうにディリーヌに目を走らせたキゼアも、既に船員たちとの闘いが始まっているのを見て、このままではかえって足手纏あしでまといになることを理解したようだ。

「よし、行こう、エティック!」

 その横で、火傷やけどしたてのひらをフーフーと息を吹きかけて冷ましていた船長が、ふと首をかしげた。

「わしは何をしていたんだ?」


 同じ頃、フェケルノ帝国の帝都ヒロールの東区にあるフェティヌール侯爵こうしゃくの屋敷には、オルジボセ号の船長が名前を挙げたサモゾフの姿があった。

 場所は『謁見えっけん』などと揶揄やゆされる大広間ではなく、以前レナハ男爵だんしゃくが通されたこともある私室の方である。

 部屋の正面の大きな机の後ろには、壁面をくすように古い書籍が並んでいる。

 黒い上着うわぎを着たサモゾフは、額に掛かる銀髪を自分の指ででつけながら、机に向かい合うように置かれた椅子で待っていた。

「待たせたね」

 不意に声がして、足音も立てずにフェティヌールが入って来た。

 皇帝家の血筋を思わせる漆黒しっこくの長い髪はゆるやかな曲線を描いており、吸い込まれそうな黒い瞳はうるんだ光を帯びている。

 そのままフワリと正面の机の椅子に座ると、フウとなまめかしい溜め息をいた。

「おまえに預けていた紅蜘蛛が、つい先ほど死んだよ」

 サモゾフの冷たい表情には少しの動揺もなく、唇には薄く笑みすら浮かんでいる。

「ほう。イレキュモスに見つかってしまったのですね」

 フェティヌールの美しい眉が寄った。

「いや。そうではないようだ。最期さいごの瞬間、激しい熱波を感じた」

 初めてサモゾフの表情が動いた。

「まさか、炎師えんしルフタルでしょうか?」

「わからぬ。が、その可能性があるなら、放っては置けない。おまえも北大陸へ渡りなさい」

「ははっ、御意ぎょいのままに」

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